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綺麗事では終わらせたくない

終わり良ければ全て良し、なんて言葉もあるけれど
私にはまだ少し良さが分かっていない。

例えば何かのプロジェクトで、途中で色んな大変なトラブルが続発して本当に苦労したけれどちゃんと成功してよかった。終わり良ければ全て良しだね。

こういうのは分かる。本当にそうだと思うし、私も何度も同じ経験をしたことがあるから。

その当人が「この辛かった経験は私のためになった、よかった。」って言えた時にその言葉をかけるのはいいことだと思うの。
だけど、まだまだ辛くて渦中にいる人に、「その経験はいつか良いものになるよ」と声をかけるのはちゃんちゃらおかしいと思うんだ。なんの慰めにもならない。



なんか、「悲しみ、辛さは悪いもの」って風潮を何となく感じるこの頃。
泣いている子に対して「泣かないで〜」って慰めたり
痛がってる子に対して「痛くないよー大丈夫だよ」とか
辛がってる子に対して「でもこんないいことあったじゃん」とか
落ち込んでる子に対して「元気出して!」とかね。

現実問題感じている感覚から目を逸らすっていう慰めをしているような気がするの。
それが悪いって言いたい訳じゃなくて。
ただ、感情って感じ切らないと昇華出来ないからさ。



私みたいに、他人の言葉で容易に自分を変幻自在に操られてしまう人間はね
小さい頃に言われた"それ"に、素直に従ってしまうの。

私は、「辛いこと、悲しいこと、落ち込むこと」はいけないこと、早く立ち直らないといけないもの、そういう風に学んでしまった。
私が早く立ち直らないと、周りの人を困らせてしまう。

次第に自分が何に落ち込んでいるのか分からなくなった。分かっても2秒で私の頭が「でもこんな素敵なこともあったじゃん!そんなの忘れなよ!ねえ、早く忘れて???」って圧をかけてくる。怖い。


けどね、私が欲しかったのはね

「そっか、そうだったんだね」
「そっか、辛かったね。それは落ち込んじゃうね。悲しかったよね。」
って言葉たちと、背中を摩ってくれることだけだったんだ。他に言葉なんていらなかった。

誰も好き好んで負の感情を選ぶわけないやん。
ならざるを得ないからみんな辛いの。
なのに、誰かからの「元気出して!」なんて余計なお世話過ぎるのよ。


その人は頑張って、自分の感情と向き合っていく。
だけどそれは1人じゃ時に難しいこともある。
そんな時に「助けて」って手を差し伸べられることもあるだろう。
そうしたら、その感情を無くす手伝いではなくて
その感情と向き合おうとしているその人の、向き合うことを助けてあげられるような人間になりたい。


私たちに必要なのは綺麗事じゃない。同情でもない。
「そっか、そうだよね」
たったそれだけでいいんだ。

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