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スマブラステージ【AD.1925.映写機】

 サイレント時代の恐竜映画と、映写機を描いたスマブラステージです。
 映写機のフィルム入れが回転、レンズに触れるとスクリーンの中へワープするギミックを備えています。

 スクリーン上では、トリケラトプスの首が動く他、ティラノサウルスの脚と下顎が動き、踏み付けと噛みつきを繰り出します。

踏み付け!
噛みつき!

・映画前史 写真の誕生

 15世紀頃、被写体の映像をガラスに投影できる装置「カメラ・オブスクラ(暗い部屋という意味)」が、画家達の間で使われ始めました。この装置では映像を投影できるだけで、紙などに映すことはできず、画家達は映像をトレースして、写生の助けにしていました。

 19世紀に入り、強い光を当てると変色する化学物質を使って、カメラ・オブスクラの映像を定着させる試みが各地で行われます。
 1827年にジョゼフ・ニセフォール・ニエプスが写真を定着させることに成功しました。この写真は定着させるのに8時間以上かかるものでしたが、発明家たちは、より早く作れる、より鮮明な、より退色しにくい写真を開発していき、ネガフィルム(陰画)を使った写真の複製も可能となりました。
 こうして、19世紀中ごろから肖像写真、報道写真、記録写真などが普及していきます。

・映画(活動写真)の登場

 静止画を連続して見ると、動いているように見える現象を「仮現運動」と呼びます。これを利用して、連続撮影した写真をすばやく切り替えることで、動く画面(動画)を作る試みが始まりました。

 動画を撮るには、一秒間に数十回の撮影ができる、高速度カメラが必要です。1882年エティエンヌ・ジュール=マレイが写真銃と呼ばれるカメラで秒間20コマの高速撮影に成功し、1888年にはルイ・ル・プランスが、フィルムに記録した連続写真をスクリーンに投射し、動く映像を上映をさせることに成功させました。これが世界初の映画と言われています。

 その後、トーマス・エジソンが1894年に、箱を覗き込んで動画を見る「キネトスコープ」で、翌1895年にリュミエール兄弟が、映像をスクリーンに投写する「シネマトグラフ」を興行化し、スクリーンへ投影するタイプが主流となって、映画は普及していきました。

 最初期の映画は、白黒画面で、音が流れない、風景と人物を数秒間写しただけの映像でしたが、次第に映像にストーリー性が持たされ、合成や目の錯覚を利用した特殊撮影(トリック撮影)を使った映像の研究が進み、1902年には、上映時間18分の(当時では)長編の特撮SF映画「月世界旅行」が作られるまでになりました。
 その後、1920年代後半に音声付きの映画が、1930年代後半にカラー映画の商業公開が確立します。

・19世紀の恐竜ブームと恐竜映画

 人類は遥か古代から、恐竜の骨の化石を発見していましたが、未発見の動物の骨だと考えられ、絶滅した太古の爬虫類の骨とは考えられていませんでした。1825年、医師で化石収集者のギデオン・マルテルは、発掘した巨大な歯の化石が、中生代に生息した巨大な爬虫類のものであると論文を書き、これが認められ、1841年に、このような中生代の爬虫類は「恐竜」と呼ばれるようになりました。

 それ以降、恐竜の化石は次々に発掘されて、19世紀後半から大きな恐竜ブームが起こり、1912年には小説家アーサー・コナン・ドイルが、恐竜が生き残っていた秘境を舞台にした小説「ロストワールド」を執筆しています。

かつてティラノサウルスは背筋が直立し、尻尾は地面を引きずると考えられていました。


 初期の映画業界は、人気があった恐竜を映画に登場させることを考え、線描による短編アニメーション映画「恐竜ガーティ」が1914年に公開され、少しずつポーズを変えた人形を、コマ撮りして動いているように見せるストップモーションアニメを用いた恐竜映画が、遅くとも1914年には完成しています。

 職人のウィリス・オブライエンが、7年がかりで恐竜のストップモーションアニメを製作し、1925年に小説「ロストワールド」が映画化されました。当時において、非常にリアルに恐竜が動きまわる、この映画は大ヒットとなり、ストップモーションアニメを用いたモンスター映画が確立し、映画のスクリーンに様々なモンスターが登場することとなりました。




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