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スマブラステージ【AD.1979.宇宙ステーション】

 1973年に打ち上げられ、1979年に大気圏に再突入して地上に落ちた、アメリカの宇宙ステーション・スカイラブ(Skylab)のスマブラステージです。

 大気圏再突入時の発熱で、機体の一部が赤熱しながら宙を舞うギミックを搭載しています。

赤熱した、機体の一部が回転!

・人間の宇宙観

 昔の人間にとって宇宙は、人間の世界と隔絶された、神の住まう領域とされていました。
 ところが、17世紀になると、天文学、物理学の発展によって、宇宙空間も地球と同じ物理法則の働く場所だと証明され、19世紀末になると宇宙人が登場するSF小説が人気になり、宇宙へ実際行こうとする試みも始まりました。

・宇宙開発の始まり

 宇宙開発でおなじみのロケットは、兵器として14世紀頃から用いられていました。

 ロケットを使って宇宙へ行くことを思いついたのは、ロシアの科学者コンスタンチン・ツィオルコフスキーでした。ツィオルコフスキーは1903年に燃料タンクを飛行中に切り離して、段階的に機体を軽量化する、多段式ロケットを使えば、宇宙(大気圏外)へ到達できると論文で発表。人工衛星や起動エレベーターも構想されました。

 約20年後にはアメリカの発明家ロバート・ゴダードが、実際にロケットを飛ばす実験を重ねて行います。

 これらは当時、世迷い事と扱われましたが、第二次世界大戦中にロケット兵器の改良が進み、1942年ドイツ軍は、大気圏外まで上昇してから目標地点に落下する兵器V2ロケットを完成させ、人類は宇宙まで物を飛ばすことを実現しました。

・宇宙の軍事利用

 V2ロケットは速度が速く、落下地点の予測が困難なため対空砲で防ぐことができませんでした。

 ロケット兵器の射程が長くなれば、自国から地上のどこへでも攻撃が可能となり、人口衛星が実現して、カメラを搭載できれば、敵国の偵察、諜報が容易かつ安全に行えるようになります。
 ロケットと偵察衛星に、開発されたばかりの原子爆弾を組み合わせることで、爆撃機を超える最強の兵器ができることは確実となりました。

 第二次世界大戦終結前に、アメリカとソビエト連邦は、ドイツのロケット技術者を自国に引き抜き、ロケット兵器の開発に力を入れます。
 アメリカに航空戦力で劣っていたソ連は、軍事的優位を得るためにロケット(大陸間弾道ミサイル)と人工衛星の開発に特に力を入れていました。

 また、冷戦時代のアメリカとソ連は、宇宙開発を相手より先に成功させることで、自国の体制が相手より優れていると示しすことができると考え、冷戦の始まりと共に熾烈な宇宙開発競争が展開されました。

・宇宙開発の進展

  • 1957年10月、ソ連が世界初の人工衛星スプートニク1号を打ち上げ成功

  • 1958年1月、アメリカが人工衛星エクスプローラー1号を打ち上げ成功

  • 1959年9月、ソ連の無人宇宙船、ルナ2号が月面に到達

  • 1961年4月、ソ連のユーリィ・ガガーリンが初の有人宇宙飛行に成功

  • 1961年5月、アメリカのアラン・シェパードが有人宇宙飛行に成功

  • 1965年11月、ソ連のベネラ3号が金星に到達

  • 1966年3月、アメリカ、初の宇宙船同士のドッキングに成功

  • 1969年7月、アメリカ、アポロ11号が人類初の月面着陸

  • 1971年4月、ソ連、初の宇宙ステーションサリュート1号を実現するも、帰還時に飛行士は事故死


 このように、アメリカは基本的に宇宙開発で、ソ連に遅れをとっていました。1961年に宇宙飛行士を月に着陸させるアポロ計画が立ち上げ、アメリカは巻き返しを狙います。

 事故で死者を出しながらも、アポロ計画は進展し、1969年7月20日、ついにアポロ11号が、人類初の月面着陸と乗組員の無事の帰還を成功させました。この時アメリカと資本主義陣営国は熱狂に包まれ、アポロ11号の月面着陸は人類の科学力の象徴となりました。

 月面着陸を成功させたアメリカは、観測と科学実験を行うための宇宙ステーション、スカイラブ(Skylab:空の研究室を意味)の建造を始めます。

・スカイラブ計画

 スカイラブは、地球の周回軌道を回る研究室(スカイラブ1号)に、アポロ宇宙船(アポロ計画で開発された宇宙船)がドッキングして、宇宙飛行士が乗り込める宇宙ステーションでした。

研究室(スカイラブ1号)、飛行士が居住し、業務を行う
アポロ宇宙船、乗組員と物資を運ぶ
気密室を介して、研究室と宇宙船を接続、ソーラーパネルが電力を供給する

 スカイラブは1973年5月に打ち上げられ、無重力状態での科学実験や、無重力が人体に及ぼす影響の調査、地球と太陽の観測写真の撮影など、様々な実験が行われました。宇宙船による乗組員の入れ替えを2度行い、171日間運用されます。

 運用終了後、1974年4月にスカイラブは無人となり、徐々に高度を下げながら地球の周回軌道を回り続けていました。

 スカイラブの高度を引き上げて、再利用することが検討されたものの、 1970年代後半に太陽活動が活発化した影響を受けて、予測より早い1979年に地球に落下することとなりました。

 通常、人口衛星やロケットは、市街地ではない海などに落ちるように計算して、大気圏に突入させますが、スカイラブは予定外の落下となり、大気圏に突入したスカイラブが、突入時の高熱と衝撃でバラバラに砕けて、陸地に落下するおそれが出ました。

 スカイラブ落下のニュースで世界はお祭り騒ぎとなり、新聞社サンフランシスコ・エグザミナーによって、スカイラブの部品を最初に持って来た人に賞金1万ドルを出すキャンペーンが行わています。

 結局、スカイラブは1979年7月11日に、オーストラリア南西部に落下しました。付近ではスカイラブの破片が、光りながら空を落ちる様子が目撃されています。

後編に続く。

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