見出し画像

Tonight we drink!

彼女と休みが合った週末、串焼き屋のカウンターで並んで座って僕らは飲んでた。

今夜の彼女は珍しく故郷の話をした。

「毎日帰りたいって思う。だからあまり話さないのかもね。特にあなたとのデートの時には」

目の前の焼き場から粋な煙が出て、それ越しに僕は横にいる彼女を見た。

誰かが店に入って来るたびに、東京的な冷評とした空気が中に入ってくる。夏なのに。

でもさ

ビールジョッキで乾杯すればひとつひとつの会話を曖昧に区切れる。

カチンと軽い音を立てて乾杯。

「故郷、故郷」僕は串物をやっつけながら唱える。

僕には故郷なんかない。それは彼女も知っている。

旅に行きたいわけじゃない。

旅から帰りたいのさ、僕は。

軽く酔って、店を出て、少し踊った。

彼女は長いスカートを履いていて、楽しそうに笑った。

彼女が後ろにのけぞったのを手で支えてdipみたいなポーズを決めた時に僕は言った。

「もう1箇所付き合ってくれないか、今夜は」

「もう一軒じゃないのね、今夜は」

タクシーを拾った。旅から帰るために。

行き先を告げる。『柴又までお願いします』

🚕  🚕  🚕  🚕


僕は極度の人見知りだし、旅好きじゃないし、家族的なほんわかしたものが欠けた人間だけど、『男はつらいよ』が大好きだ。

何かを埋め合わせるために観てるのかもしれないけど。

寅さんはいつも、旅から帰るために旅を続けている。

故郷。

それがある人にだけできる。

「柴又着きましたよ」

ドライバーさんが映画の中の人みたいに言った。

もう夜中で人通りもなくひっそりとしている。

柴又商店街入り口のアーケード。しばらく見つめる。

特に思い入れのない彼女は軽やかに降りて、軽やかに歩き出す。

誰もいない寅さんの世界の中へ二人で入る。

「へー、ここなんだー」と彼女は僕の前をキョロキョロしながら歩く。

彼女はいつも靴を銀座でいっぱい買い込んでいて、今日はダルメシアンみたいな柄の靴だとその時気づいた。


両側のあの店この店、時代がかっていて、止まっていた時計をもっと止めてしまう。

「あれ?」

僕は立ち止まる。

「どうしたの?」

振り返る彼女。

「寅屋がない」

もうそこに帝釈天が見えてる。こんなに短いアプローチだなんて……。帝釈天も小さいし……。

完全に映画脳になっている僕はうまく受け入れられない。

「え?そうなの?でも映画だからそういうもんなんじゃない。セットでしょ」

「まぁそうなんだけど……」

「あなたたしか学生のとき映画の勉強してたんでしょ?その割にはウブね、フフ」

彼女の言う通りなのだ。酔いが吹っ飛ぶ。

僕は映画の中の故郷にさえ帰れない男なのか……。

「柴又駅からやり直そうよ」と僕。

二人で手を繋いで駅まで戻る。

喜劇王ならこうするかなという感じの繋ぎ方で。

駅前の寅さん像にあいさつ。

『柴又駅』と味をもって書かれた駅舎が滲む。

ここで数々の名台詞が生まれた。

感慨束の間、

くるりと向き直り再び商店街へ。

にしても、駅からこんなに目と鼻の先にあったとは……。

いかんいかん、また映画脳だ。

「ねぇ、また寅屋がなくても落ち込まないでね、ダーリン」

「また寅屋がなくても落ち込まないよ、ハニー」 

君がいて良かった。

迂闊にも惚れ直してしまった。

君と旅に出るより、君と帰って来たい。そんな気持ちに気づけた。

そう、僕は今、旅から帰って来たのだ。

君とね。

それだけで十分なのさ。

今夜は寅さんみたいに金町でとことん飲もう!へへ



                      終




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?