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わかり合えてると思ってたけど何もわかり合えてなかった

こういう日は、体が勝手に動く。

Apple Musicを開いて、Syrup16gを探して、イヤホンで世界の音を消して、あとは音楽を再生すれば、
この広い地球の中でたった一人の世界に逃げ込むことができる。

そうして、
なんてことないフレーズで、
いつもと同じフレーズで、
私の思考を無視して心が勝手に涙を流してくれる。

あぁ、私が今誰かに共感してもらいたかったことは、
この言葉だったんだな、ってわかる。

心が疲れている時は、無音が心をさらに蝕む。

考えることを放棄させるような、
まさに音に埋もれるような、
そんなロックサウンドが、
唯一の救い。

私がシロップを愛してやまない理由はそこにある。
シロップは一部のアルバムを除いてほとんどの作品が、
五十嵐隆のボーカルボリュームを過度に上げていない。
あくまで楽器の一つ、というくらいにマスタリングされている。

だからこそ、「歌詞」に揺さぶられ過ぎない。
疲れている心と頭に、余計な言葉で語りかけてこない。

五十嵐が勝手に五十嵐自身のことを歌ってくれるから、
私は勝手に「赤の他人」である五十嵐隆の、「私に向けられていない言葉」に救われる。
その距離感がちょうどいい。

音に埋もれているからこそ、
今の自分にとって必要な言葉(フレーズ)だけが、
スポットライトを浴びたように突然耳に強烈に残る。

そうやって、私は何度もSyrup16gに救われてきた。

*

人が嘘をつかれて、怒ったり悲しんだりする理由はたくさんあるけれど、
侮られてたからとか
騙してもいいと思われてたからとか
恥をかかされたからとか
裏切られたからとか、
そんなこと私にはどうだっていい。

私が知ったはずになって喜んでいた「あなたの姿」が、ニセモノであったことが悲しい。

あなたのことを知れたと思っていたのに、
私のことを知ってくれたと思っていたのに。

わかり合えていたはずが、何もわかり合えていなかった
ということが、あまりにも残酷で、
私はその事実とどう向き合っていいかわからなくなる。

ニセモノのあなたの一面を知って喜んでいた時間も日々も、ニセモノだったということになる。

つまり、無。

何も無かったことと変わらない。
私とあなたには、何も無かったのだ。

そういうことが、本当に悲しい。

どうしてだかわからないけれど、
あったことがなかったことになることは、
私にとって本当につらい。
心が引き裂けるような思いがする。

*

失恋だってそう。
確かにそこにあったはずの愛が、
まるで最初からそんなものはなかったと言わんばかりに、
思い出ごと消そうとする別れ際の行為が心底嫌いだ。

だけど、
これが確かに最初から相手に愛なんてなくて、
ただずっと、「存在しない愛」の幻覚に溺れさせられていたのだとしたら、
本当に馬鹿みたいだ、私。

*

お酒が飲めない口ではないけれど、
ほとんどお酒を飲まなくなった理由もそこにある。

アルコールが入ると、大抵みんな記憶をなくす。
もしかしたら、記憶はなくしてないけど、
アルコールを言い訳にして、なくしたことにしたいのかもしれない。

私はどんなことだってはっきり覚えている。
だけど相手は何も覚えていない。

だったら、
あの言葉は、
あの時間は、
何もなかったことになるの?

私の記憶には確かにあるのに、
私以外の誰の記憶にも残っていないのなら、
それは「無い」のと同じだ。

じゃあ私は、存在しない言葉や記憶を一人で抱えて、
その感情ごと自分の努力で消し潰さなければいけないのか?

そんな残酷なことがあるだろうか。

*

あんた、言ったよね。

「ごめん、何に怒ってるのか全くわからない」

って。

正直、私だって全然わからない。
なんでこんな奴のために、こんなにも感情が揺さぶられてるのか。
全然わからない。

「嫌い、どうしようもなく嫌い」

そう言った私の言葉は本心だった。
今のあんたが、どうしようもないくらいに憎い。

消えてなくなればいいのに、と思う。
どうせだったら、お前ごとなかったことになれば、
私がこんな思いをしなくてもいいのに、と思う。

そんな私の最大限の憎しみすら、受け入れてくれない。
笑って流された。

それがどうしようもなくムカつく。
私に嫌われようと、何とも思わないその「私に対する興味のなさ」が本当にムカつく。

本当は、まだまだあんたのことを傷付けたかった。

「もう二度と顔も見たくない」
って言いたかった。

だけどやめた。

それすらも何とも思ってくれなかったら、
本当の意味で拒絶されてるのは自分の方だったことに気付かされてしまうから。

暴力的な感情だと、自分でも思う。
どうしたいのかも、どうなりたいのかも、
さっぱりわからない。

むしろどうにかならなくていい、
どうにかなったところで、
その先なんてないから、誰にとってもね。

ただ、あんたの世界の全てが私にならないと、
どうしようもないくらいにムカつく。

*

あんたは最初から嘘つきだった。
あんたにとって「それ」は、
ただのブランディングとか見栄とか
その程度のものだったのかもしれない。
何の意味もない冗談、だったとすれば、
それは最高に最悪だね。

私を助けてくれた分、
あんたには幸せになって欲しかった。
それは本心だった。

だけど同時に、
とびっきり不幸になって欲しかった。
そうして、いつまでも傷を舐め合っていたかった。

私は、容姿も可愛くないし、性格も可愛くない。
だから、誰かから守られることなんてない。
「俺が守ってあげなきゃいけない存在」になれることなんてない。

だからせめて、お互い一緒に守り合う存在でいたかった。
私の全てを背負ってくれなくても、
お互いの傷をお互いに共有できる存在でありたかった。

頼られたかったし、それ以上に頼りたかった。

*

誰にだって言えることだけど、
私にとっては、
”その人”のことを一番に知っているのは、
恋人ではないと思う。

だって恋人に恋人の相談はしないから。

その人が、その人の恋人にも言わないことを知っているポジションが、
一番特別だと思う。

これは私に限った話じゃない。
恋人の友達に嫉妬する人、というのは少なからず存在するから。

最低なことを言うと、
傷付いている人の姿ほど、愛くるしいものはないと思う。

多くの人は、恋人のその姿を見られない。

どんなに才能のある人でも、どんなに成功を収めている人でも、
子供みたいにどうしようもなく無力に弱ることができることは、
人を愛すること、だと思う。

だから、多くの人は、愛に傷付く。
恋人の言動に傷付く。
そして、一番弱っている姿は、恋人には見せない。

その姿を見ることができる、「恋人ではないポジション」、
これが一番、その人の本当の姿を知っていると私は思う。

だから、愛する人の恋人になることは、
その人の一番特別な存在になることとは同義ではないと思う。

(もしかしたらこれこそ、
不倫や略奪ばかりしてしまう人の、
意図せず恋愛観の根底にある思想なのかもしれないが。)

*

そういう意味では、
私はあんたに、私の特別をたくさんあげた。
他の人じゃ見られないような姿をたくさん見せた。

裸なんて、セックスしてる姿なんて、
恋人になればいくらでも見れる。
だからそんなもの、さほど「特別」じゃない。

だけど、本当に衰弱している姿は、
恋人なんかでは見られない。

私のそういう姿を、
あんたは何度だって見たんだよ。
私はあんたに見せたんだよ。

その度、あんたは私が求める以上のことをしてくれた。

そうやって私が無防備な私をさらけ出す度、
あんたも私に、同じような姿を見せてくれた。

見せてくれていたと思っていた。

だから、わかり合えていると思った。
本気でそう思っていた。

それが、どうやら違ったらしい。

もしかしたら、その瞬間は、
本当にわかり合えていたのかもしれない。

だけど、もう今は違う。
それどころか、その頃わかり合えていたことすら
なかったものにしようとされている。

困ってよ、私のことがわからなくなって、
困って欲しいんだ。

大嫌いって言われたら、返信もできなくなるほどに思考停止して、
顔も見たくないって言われたら、泣き喚いて、
だけどお酒には溺れないでね。
その時に抱いた感情を起きてから忘れてしまうことがないように。
部屋中を埋め尽くすような鬱屈とした感情を、一人で抱え込んでね。

その苦しみを、他の誰にも話しちゃだめだよ。

そういうことは、私だけに話すんだよ?
誰よりも特別な私に、私だけに、話すんだよ。












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