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女性どうしの衝突の考察

女性向けかもです。アセクシャル女性が観察した、女性同士の衝突についてです。

とは言うものの、私個人は女性同士の衝突には巻き込まれません。いつも争いは蚊帳の外、もしくは相談仲介役です。しかしながらずっと周囲の女性間のいさかいをそれなりに観察してきました。全ての問題は突き詰めればセクシャルに通ずると思っているので、女性であるためにいろいろ観察できた女性同士の衝突について書いてみたいと思います。

女性同士の衝突のそもそもの原因

●女性同士の衝突の理由はだいたい「女性観」

女性同士の衝突は女性観のすれ違いです。
「〜な女だからきらい」というぶつかり合いが女性同士のいさかいです。話聞いてても全部そうです。
個人の人格ではなく、女性としてのありようを攻撃し合っている印象です。
私が女性同士の衝突の当事者にならないのは、アセクシャルの私が「〜な女」像に当てはまらないだからだと思います。これからも女性間では無性・無害ムーブで行きます🥷

女性同士の仲良くなりかた


●女性は、「自分=女性」がかなり大きなアイデンティティであることが多い

日本のジェンダーギャップランキングを考えると(2023年は146カ国中125位)あんまり良いことだとは思えないんですけど、これはひしひし感じます。
往々にして現れる「私は『女性』です(年齢やパートナーの有無等、間接的表明含む)」という申告は必要性がよく分からないと思っていましたが、女性にとっては「自分=女性」がアイデンティティなんだと考えると納得できました。
社会生活ではマジョリティ女性のできる限りの観察と模倣をしていますが、普段「自分は女性だ」という意識を持っていないので、違和感をひしひし感じます…とそんなことを日々ぼんやり考えている、アラサー独身です。←こういうやつ笑 

●女性のアイデンティティを尊重する


相手のアイデンティティを尊重する、という姿勢を示すのは、いつでも友好的なコミュニケーションとなります。「女性を女性扱いすること」が、女性同士の距離を縮める良い方法です。その後から彼女の個人的な人格を掴んでいけばいいです。上記のように、女性は「自分=女性」というアイデンティティをデフォルトで持って(持たされて)おり、そのアイデンティティを守るため、警戒し合い、女性同士衝突します。
だから、年齢世代関係なく相手のアイデンティティに対しての肯定を伝えるだけで、女性は警戒を解いてくれます。また共感性が高まって雰囲気も柔らかくなるので、良い結果になります。
「女性扱いする」は大体は男女の性愛関係で、しかも男性側から茶化す感じでしか言われないですが、女性同士でも相手へのそもそもの敬意と関心をきちんと示せる取っ掛かりとして、普遍的なアプローチだと思います。外見に対してでも良いですが、仲良くなりたいなら精神性の方が良いです。
他人への気配り、寄り添おうという姿勢、他人のために怒れるところ、共感性の強さ、見落としがちなものに気づけるところ、単調なものへの創意工夫、豊かな感情、綺麗なものへの愛情、そういう相手固有の女性的なところをガンガン見つけましょう。優しい世界…

女性間の衝突の本質

「自分=男性」をアイデンティティにしている男性は恐らく少数派だと思いますが、女性はそういう人がほとんどです。
それはなぜか?
「女性は女性であること以外のアイデンティティなんか別に必要ないやろ」というのが日本社会の本音だからです。
女性であることをアイデンティティにしている女性は、社会適応しているだけです。
125位の真髄、ここにあり…。
私は女性同士の衝突を見ていると、受験勉強に追い詰められたイライラ優等生を思い出してうっすら同情してしまいます。実際女性観でイラついている女性は「社会における女性の優等生」を目指しているわけだから、たいへん真面目な性格で努力も苦労もしているんです。でも、だからといって他の女性の固有の女性観を優越のために踏みつけたり、持論をふりかざして傷つけていいのではないです。優等生は比較によるものだから、他の排除が基本姿勢なんですよね。無意識でやってるんだろうし、息苦しさが性愛や社会構造と密接に絡み過ぎて、あまりにも言語化されていないから、何を言っても女性優等生たちにはうまく伝わらない…悲しい😿

「可愛くてごめん」の現実感


最近はこの「可愛くてごめん」という曲を聴いて、女性の衝突にまた思いを馳せました。
やはり女性が自己肯定感をすり潰されずに自主性を押し通すには、女性優等生バトルにそこそこ以上に勝たなくてはならない現実があります。「女性が強いメンタルを持ちたいなら、つべこべ言わず《まず》可愛くなれ」という、125位社会における暗黙残酷ルール、社会の要請をひしひし感じます。
このひどい不均衡を現実で突きつけられる過程で傷ついていない女性はいないはずです…。う、うーん…現実…。
また、この曲の女の子の場合、可愛くなるということに理由と欲求が重なっているから構わないと思うんですが、現実では全く関係ない社会的場面で女性の可愛さが求められることが多いと思います。

女性優等生バトルをそれなりに和らげていくという方向に動かないと、女性も男性もセクシャルにギチギチに縛られて、縛られるが故にたくさんの過剰さが生まれてみんな傷ついて、心の傷を逃避で埋めるしかなくて、結果日本社会全体の生きづらさは減らないままな気が致します。

私は女性ではありますが、「自分=女性」の全面肯定はできかねます。その人らしさと性別は不可分かもしれませんが、やっぱり別のものです。せっかく会えたのなら、その人としかできないコミュニケーションがしたいなと思います。

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