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あのたび -海外で待ち合わせ-

 友人Nは大学の同じサークルの後輩だった。Nは在学中から海外志向があり1年休学して上海へ留学していた。就職活動の際も、1年目から海外赴任させてくれる会社を選んで入社したようだった。

 そのNがインドネシアのジャカルタに赴任したと聞いていたので、この長い旅行中にインドネシアに立ち寄った際メールを書いたのだが、転勤して今度はシンガポールにいるということだった。20年前の当時はまだスマホが普及しておらず、海外で待ち合わせして会うというのはかなり困難だった。大きい都市にはネット屋があったが速度が遅く、日本語が読み書きできないなどということは当たり前の状態であった。

 それから半年後、他の国々を周りながらボクはシンガポールまで来た。シンガポールは進んだ国でネット屋も快適に利用できた。入国した日にNにメールをしてしばらく待つと、今は日本に帰国していて25日にシンガポールに戻るとのことだった。

 シンガポールの安宿に泊まりながら過ごしようやく25日になった。ネット屋に行くが特にNから新しい連絡は無い。電話番号だけ知らせてくれていた。宿に戻り残ったパンをジャムで食べる。同部屋のじいさんからみかんをもらった。

 昼12時頃、電話をかける。コインを何枚か用意した。公衆電話は日本と同じようだが使い方も一緒だろうか。1回目不通、2回目も不通。ボクのやり方が間違っているのかNが電話に出られない状態なのかがわからず不安。20¢吸われる。

 しばらく時間を置いて何回かかけるがやはり通じない。10¢、50¢、10¢、10¢と無駄に無くなっていく。たいした額ではないのだが今日は会えないのだろうか。宿はチェックアウトして荷物を持っているのでまた戻ることになるのだろうか。Nは部屋が空いているので泊めてくれるとメールで言っていた。

 そして夜8時半、10回目くらいの電話でようやくNとつながった。今いるところまで迎えに来てくれた。なつかしい。久しぶり。大学以来だから6年ぶりか。海外で友人に会うということがこんなにも安心することだとは。日本食が恋しいだろうからとラーメンをおごってもらった。

 その後Nが住んでいるという、会社で借り上げているマンションへ行く。日本だったらこりゃ超高級タワマンの一部屋である。30階建てくらいの10階で眺めも良い。1人暮らしなのだが2LDKはあるということで一部屋使ってよいという。テレビもあり衛星放送が見られる。シャワーもお湯が出る。最高だ。

 何日いていいとか何も言われなかった。甘えたくはないがいつまでもいてよいらしい。ゴミ出しだけお願いされた。といっても日本のように1階のごみ集積所に持っていく必要はなく、各階についているダスト扉に入れると、つつーっと1階まで勝手に滑り落ちていっていくもののようだ。いやこれまで泊まってきた安宿と比べて極楽だ。

 すでにNは現地責任者的な立場になり偉くなっているようだった。海外で染色の工程を行いそれを日本に輸入するという仕事だとか。日本人の性格や技術と異なり、やはり現地では仕事がアバウトでちゃんと塗らず品質がバラバラとなりそれを正すのに苦労するという。

 平日昼はNは仕事で、合鍵を借りる。なのでボクは何をやるのも自由だ。DVDもいっぱいあった。夜は一緒に食べることもあり中華街に行ったり、王将でおごってもらったりした。

 あまりにも今までの旅行が急いで移動ばかりで疲れたので、快適すぎるこの部屋にどっぷりと腰をおろしてしまい、なかなか次の行動を起こることができなくなっていった。

 NHKの海外放送を見ると、インドネシアは2月1日よりビザが必要になり、30日25$・3日10$とか。タイ・ベトナム・インドネシアで鳥インフルエンザが流行っているというニュース。ますます移動したくなくなってくる。

シンガポールルート

(つづく)


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