第三部 MLB「ステロイド時代」は本当に終わったのか
”第一部 MLB「ステロイド時代」について考える”では1990年代から2000年代におけるMLBのドーピング汚染の流れについて簡略的にまとめさせてもらいました。”第二部「What is doping?」”ではそもそもドーピングとは何なのか,その種類やスポーツを取り巻く現状をお伝えしました。(本当は筋肉増強剤と興奮剤の特集をやりたかったけどめんどくさいのでカット。ごめんなさい。)
そして最終章となる”第三部 MLB「ステロイド時代」は本当に終わったのか”では前章をふまえ,忌々しきステロイド時代に対する考察をまとめていきたいと思います。
①「ステロイド時代は終わった」
「ステロイド時代は終わった」ーーーー
2018年7月18日,MLBコミッショナーのロブ・マンフレッドが会見で語った要旨だ。「MLBにおいてパフォーマンス向上薬がこれ以上普及しているとは思わない。」「パフォーマンス向上薬の使用を防止するためにできる全てのことを行ったことに満足している。」
MLB機構が成し遂げた功績に愉楽の面持ちを見せた会見,私はマンフレッド現コミッショナーの脳裏には前コミッショナーであり,「ステロイド時代」といわれた時代のMLBを牽引したバド・セリグ氏の功績を思い浮かべていました。
セリグ前コミッショナーが任用された時代(1998年~2015年)に起きたドーピングに係る諸問題は以下の通り。
見てのとおり,これは「ステロイド時代」と呼ぶにふさわしい薬物汚染の歴史であり,一人の野球ファンとしては絶対に忘れてはいけない真実だと思います。かつてオークランドを支えたバッシュ・ブラザーズも,世紀末にMLBを熱狂させたホームランダービーも,ハンク・アーロンを打ち破る本塁打記録も,すべての記憶と記録が真っ黒に染まった時代と読み替えることができてしまうのです。
そんな時代にあって,MLBから禁止薬物を根絶しようと尽力したのがセリグ氏であります。当初は薬物問題に対して極めて愚鈍な一面を見せていたものの,MLBの時代錯誤な禁止薬物への取締・処分を改革・強化し,多くの問題に対処してきたセリグ氏には退任の折に「名誉コミッショナー」の座が与えられました。
マンフレッド就任後も,禁止薬物へのスタンスは不変であり,今日におけるまで禁止薬物使用の根絶を目指してきました。では果たしてこれで「ステロイド時代は終わった」と言えるのでしょうか。本章では様々な観点から独自の見解を出させていただこうと思います。
②数字で見る「禁止薬物処分者」
「バルコ・スキャンダル」を受け,MLBでは2005年よりドーピング使用者に対して初めて罰則を設けました。また,黎明期には罰則が他のスポーツに比べると軽すぎることが批判を呼び,様々な法整備を進めてきました。当初,ドーピングを使用した場合の罰則はたったの10日間出場停止のみでありましたが,現在では80試合の出場停止という重いものになっています。
2005年からの違反者(ロースター上の選手)について数字を挙げて見ていこうと思います。現在に至るまでの違反者は以下のとおり。
どうでしょうか。私のように近年MLBを見始めた人からすれば「この選手,有名な選手だけど過去に禁止薬物を使っていたんだな」と驚く人もいるかもしれません。ラファエル・パルメイロやマニー・ラミレスは圧倒的な実績を持った選手でしたが,薬物使用が明るみに出たことがきっかけとなり,MLBから引退。
日本人である入来や藪(マイナー)も処分を受けた過去があります。ライアン・ブラウンはMVPを受賞した2011年10月に薬物検査で陽性が出るも当時は処分を受けず,結局翌々年にバイオジェネシス・スキャンダルが発覚。
クリス・デービスも二冠王受賞の翌年にアンフェタミンに陽性反応が検出され,処分を受けています。(彼の場合はADHDの処方薬にアンフェタミン系の物質が含まれていたのにTUE申請を怠っていたのが原因とされている)
これはあくまで薬物検査によって陽性反応が検出された選手らの出場停止処分リストであるため,カンセコやマグワイア,ボンズなどは含まれていません。しかしそれでも,これだけの処分者がいることはびっくりですよね。しかも上記リストに羅列されているのはあくまでアクティブロスターに登録されている時点での処分者であり,マイナーリーグにおいても約同数の選手が今日までに処分を受けています。
マンフレッド現コミッショナー体制においても,16人が禁止薬物の使用によって処分を受けており,中でも当時イチローのチームメイトであり,首位打者・盗塁王を獲得したこともあるディー・ゴードンや日米野球2014でも来日したロビンソン・カノーの処分には驚きを隠せなかった人も多いのではないのでしょうか。残念なことに,マンフレッドが会見を開き,声高々に宣言したあとにも,今年に入ってスティーブン・ライトやフランシス・マルテスが禁止薬物を使用・処分をうけています。
年次ごとの処分者数は以下のとおり。
一番処分者が多かったのはやはり初年度である2005年。処分が軽かった為に甘い考えを持った選手が多数いたのでしょうか。処分者が1名だけの年もあるものの,0名という年は一度も無く,数字だけを見るならば未だに禁止薬物の根絶は一回も果たせていないのが現実。
もうひとつこのグラフから読み解けるのは,処分者の多い年と少ない年がローテーションのようにはっきりと分かれている点。2010,2011年は処分者が合わせても3名しかいなかったのに対し,翌2012年には7人に急増。2013年にはバイオジェネシス・スキャンダルなどで更に9人へ増えています。
もしこの傾向が今後続くようであれば,
なんてことも有り得るのでしょうか。いずれにせよ,たかが数年だけ処分者が少ないからといって満足するのは時期尚早にも思えます。
次に球団別に見ていきます。残念と言うべきか喜ぶべきか,2005年から処分者がいない(あくまでMLB選手)球団はLAA,WSH,CHCの3球団に留まっています。最多はNYM,PHIの6回となっており,SEAが5回,BAL,SDが続く形。
処分者の数と球団は全く無関係なものなのでしょうか。カンセコは著書で「オークランド時代にマグワイアと臀部に注射を打ち合っていた」,「レンジャーズ時代にはパルメイロ,フアン・ゴンザレス,イバン・ロドリゲスとともに禁止薬物を使用していた」と語っているように,チームメイト同士の黒い繋がりというのも無視できないかもしれません。もし自分の球団に処分者が出た場合,球団は一度クラブハウスが薬物汚染されていないか調査する必要性すらも感じられます。
③処分者の更正は可能なのか
先程の処分者リストをもう一度みて頂くと,名前の横に丸書きで数字が記載されている選手が一部存在します。彼らは禁止薬物の使用により,一度処分を受けているにもかかわらず,再度禁止薬物を使用したことにより重い処分を受けた選手達です。
中でも目を引くのが唯一の3回違反者であるヘンリー・メヒア。彼は2015年に2回,2016年に1回,禁止薬物の使用が発覚し,規定によって試合出場の権利が剥奪され,永久追放されたのです。
しかし昨年7月,とんでもないニュースが飛び込んできました。MLB機構は「メヒア自身が薬物使用について十分に反省しているとして,2016年より科せられていた永久追放処分を解除した」と発表したのです。
さて,このようにMLB機構は3度も処分を受けたメヒアを「反省しているから」との理由で処分を解除した訳ですが,果たして禁止薬物の処分者の更正は可能なのでしょうか。
前章である「What is doping?」にて分かる通り,近代スポーツにおける禁止薬物の蔓延というのは,残念ながら目を疑いたくなるくらいの大きな規模で行われています。規制を受けたらすぐさま規制を回避するための薬物を作り出し,選手も徒党を組んでそれを使い始める人達も存在します。
野球界における一番の代表例は「クリア」と呼ばれたアナボリックステロイドでしょうか。通常の薬物検査では検出できないデザイナードラッグ「クリア」を栄養食品会社が開発し,スポーツ選手へ提供したとして起きたのがバルコ・スキャンダルであります。
これによってバリー・ボンズやゲイリー・シェフィールド,ジェイソン・ジアンビなどの大スターが「クリア」を使用していたことが明らかになりました。もともとリーグ屈指の成績を残せるような超一流選手の彼らでも「絶対に検出されないステロイド」が存在するのであれば手を伸ばしてしまう。これは事実として認めなければいけません。
もう一つの類似したケースとして,アレックス・ロドリゲスが挙げられます。彼は2013年にバイオジェネシス・スキャンダルによって大きな処分を受けた選手です。
彼の問題点は2013年以前から禁止薬物の使用について何度も禁止薬物の使用疑惑が出ていたことでありましょうか。先程も触れましたが,「禁断の肉体改造」の著者であるホセ・カンセコは「マリナーズ時代のA・ロッドからステロイドの入手先について相談をうけた」と語っていましたし,2009年には2003年に実施された薬物検査において,陽性反応が検出されていたことも明らかに。
こういった過程を経た後に発覚したのがバイオジェネシス・スキャンダル。過去の薬物使用が明らかになり,周囲からの視線が厳しくなってもなお,ステロイドを求めてしまったのは悲しい限りですよね。
以上のように,ボンズやA・ロッドのような一流選手ですら禁止薬物を使用し,それをやめることができなかった。事実としてそういう歴史があります。
しかし,こういった歴史があったにも関わらず,MLB機構は3度も禁止薬物をしようしたメヒアの処分を解除したのです。しかもメヒアは1回目,2回目はスタノゾロールを使用しているのに対し,3回目は少しでも発見されるリスクを抑えたかったのか,狡猾に種類を変えてボルデノンを摂取しています。これが更正の可否を判断する材料にもなりえるのではないでしょうか。
別に彼の人格を非難するつもりはありませんが,こういった経緯を踏まえているのにも関わらず,全く論理的ではない「反省しているから」との理由で処分を解除していまうことは極めて無秩序と考えます。
もっといえば,近年禁止薬物の使用が明らかになったカノーやスターリング・マルテなどはすでにMLBの舞台で試合に出場。今年で言えばホルヘ・ポランコなどが大躍進を果たしています。
別にこれが悪いというわけではありません。むしろ一度過ちをおかした選手に再起の機会を与えることに私は大賛成です。ただ先ほどのように,このような経緯が軽視されているのではと思う場面が多々あるのも事実。
④Hall of Fame
毎年1月,MLBで輝かしい実績を残した選手(引退後5年経過)を対象に,全米野球記者協会(BBWAA)が投票を行います。そこで75%以上の得票を得られれば晴れて,アメリカ野球殿堂入りとなります。多くの現役選手は,自分のレリーフがクーパーズタウンに飾られることを夢観てプレーしているのではないでしょうか。
そしてこの殿堂入りについてもまた,禁止薬物使用者への投票について多くの議論を呼んでいます。「ズル(cheat)をした選手を殿堂入りさせるか否か」というのは2000年代からさかんに野球選手,野球ファンの間で意見が出されており,近年ではその動向が加速しています。
ここまで議論が活発になったのは間違いなく圧倒的実績を残したある2人の選手に依るところでしょう。共に2013年に殿堂入り候補者資格を与えられたバリー・ボンズ,ロジャー・クレメンスです。この二人は当方の記事で何度も名前の挙がる選手であり,当然メジャーを観ない野球ファンであっても彼らの人知を超越した成績はご存じかもしれません。
彼らが殿堂入り資格を有した当初から批判の声が多く,いまだに両名の殿堂入りは実現されていません。しかし近年,この二人に対しての得票に変化が起きているのです。
見ての通り,資格を有した1年目から3年目の間はわずか30%後半しか満たなかった得票が2016年に急上昇。その後も少しずつ上昇を見せており,今年1月の投票では60%に肉薄する結果に。明らかに2013年の状況から変化を見せています。このまま行くと資格が失効する2022年にはギリギリ殿堂入りを果たす可能性は十分に有り得ます。逆に言えば,いまだに「禁止薬物を使用した選手には絶対に投票しない」という記者も一定数おり,この層を取り込まない限りはこれ以上の得票が見込めない可能性も。
このように禁止薬物に揺らぐ殿堂入り問題ですが,私はある2つの観点から,2022年までに両名が殿堂入りを果たす可能性は高いと踏んでいます。
1つ目は殿堂入り済み選手との整合性。何度も言うとおり,今までBBWAAは禁止薬物使用者に対しては厳格な立場を取ってきました。これはあくまで”投票時点において”禁止薬物の使用が明らかになった選手に対してであります。では,殿堂入り後に禁止薬物の使用が明らかになった選手に対してはどうしているのでしょうか。
ここに列挙したのは一部でありますが,どれも歴史に名を残す名選手ばかり。ですが,この選手達はこのような噂や事実が発覚した後であっても,今日までにクーパーズタウンから閉め出されているようなことはありません。
ではこのまま我々はウィリー・メイズやハンク・アーロンへの疑念を棚に上げ,ボンズやクレメンスの過ちを叱責し続けるのでしょうか。確かにメイズやアーロンの時代は禁止薬物の概念が希薄であったでしょうが,ボンズやクレメンスが薬物の使用を開始したとされる時期もルール上では禁止されていなかったのは紛れもない事実。ここの整合性を取るために彼ら2人を殿堂入りさせる可能性もあるのではないでしょうか。
もう一つの理由は資格最終年が2022年となっていること。この2022年には2016年に引退したデビット・オルティスとアレックス・ロドリゲスが殿堂入り資格を得るのです。先述したA-RODはかなり厳しい見立てが立てられるものの立場としてはボンズ,クレメンスらとは変わらないでしょう。
問題なのがオルティスでしょうか。通算541本塁打・1768打点という実績に加えて,圧倒的な人気を得ていることなどから有資格1年目での殿堂入りが有り得ます。ただ彼も真っ白というわけではないのです。2009年,罰則無しの前提で2003年に行われた薬物検査で陽性反応を示していたことが発覚。
これに対してはオルティス自身も薬物使用を否定していますし,当時の検査精度や管理体制が現在とは大きく違うために検査結果の信憑性が揺らいでいることは見逃せません。
しかし,同じ検査で陽性反応を示していた当時のチームメイトであるマニー・ラミレスはご存じのとおり禁止薬物を使用していましたし,当時テキサス・レンジャースに所属していたA-RODも同じ検査での陽性反応が明るみになった途端,薬物を使用していたと認めています。これで分かるようにこの2003年の薬物検査の結果というのは決して無視できないものでもあります。
いえばオルティスは潔白の可能性が高いものの,実際に禁止薬物を使用していた可能性もある。そもそも本人が使用を否定しただけで潔白と見なされるのであればボンズもクレメンスも偽証罪の裁判になどかけられていないでしょう。
もし3年後の殿堂入りにて以下のような結果になったとしてみます。
これは今までボンズ,クレメンス以外にもパルメイロやサミー・ソーサ,マグワイアらを頑なに拒否してきたBBWAAにとっては自己否定する結果ではないでしょうか。
例えばこれを
もしくは,
ともすれば多少なり整合性はとれるようにも思えます。ただ,オルティスが後者のように2003年の検査結果のみで殿堂入りできなくなるとは現時点では考えづらいために,ボンズ,クレメンスとあわせて殿堂入りする可能性があるのではないかと私は考えています。(A-RODの議論はこれから更に時間を要する可能性。少なくとも野球解説者として今後も人気を高めると好転するかもしれない。)
選手の間に禁止薬物が蔓延していた時代を一般に「ステロイド時代」と呼ぶのかもしれないですが,私はこのように薬物使用者の清算が完全に終わるまでが「ステロイド時代」なのではないかと感じています。
また,本記事作成に併せて,Twitter上で禁止薬物使用者が殿堂入りする事への可否について簡単なアンケートを行いました。
文字数の関係でかなりアバウトな質問になったものの,ありがたいことに261人もの方が投票をしてくれました。結果としては「基本的に賛成」という意見が41%を占めましたが,総合的には反対意見が53%という結果に。個人的にはもう少し反対意見が多いと踏んでいたのでこの結果は意外ではありましたが,引用リツイートなどによるコメントをみるとその理由が伺えます。
「規則が設けられる前の違反者であるボンズ,クレメンスなどの殿堂入りには賛成。規則制定以降の違反者は反対」,「オルティスとの整合性を取らざるを得ないので基本的に賛成」といった,本記事と全く同じ意見なども見られ,同じ思いを抱いているMLBファンも多く存在するようです。
⑤結論:「ステロイド時代」は終わったのか
現時点のMLBでは
●ドーピング使用の根絶を果たせていない
●ドーピング使用者の更正についての方策があまりにも曖昧
●過去のドーピング使用者に対する清算が終わっていない
以上の3点からして,私は”「ステロイド時代」は終わった”などと到底思うことができません。そもそもMLBがドーピング使用者の摘発だけに目を光らせていることが大きな間違いだと感じています。私が考えるに,「ステロイド時代」を本当の意味で終わらせるには,
①ドーピング使用の予防(選手への倫理教育等)
②ドーピング使用者の摘発(WADAの基準と同等かそれ以上の検査導入)
③ドーピング使用者の更正(処分者とチームメイト,球団の対話環境整備)
④過去のドーピング使用者清算(MLB機構,BBWAAが方針を明確化)
が軸になると思います。
今のように②だけにいくら力を入れようが,ドーピング使用の予防もできず,使用が発覚。結局更正もできずにボンズ,クレメンスのような議論の種がまた生まれてしまうのでしょうか。
このような認識をMLBだけに求めるのではなく,我々のような1人のファンそれぞれがこういった認識を持つことがドーピング使用の予防,再発への助力となるのかもしれません。ドーピング使用を許さないという強い心構えを持つと同時に,一度過ちを犯した者が同じ道を辿らぬよう,全力で応援し続けることがこの「ステロイド時代」におけるファンとしての在り方なのだと強く思います。
⑥最後に
昨年11月に第一部を投稿してから既に半年以上も経過してしまいましたが,ようやく自分のドーピングへの考えをすべて出し切ることができました。第一部を公開したとき,あれだけ多くの方々に読んで頂けるとは到底思ってもおらず,素直に驚いてしまったのを覚えています。併せて分かったのが皆さんがどれだけドーピングに関心を持っていたかということです。特に私と同じようにここ数年でMLBに関心を持ち始めた人にとっては取っ付き辛く,また詳しく調べようにもなかなか情報が少ない領域だったのではないでしょうか。私もこの領域に対しての知見を得ようとした際,日本語でまとめられた記事の少なさにお手上げだったことを思い出しました。「それなら自分でまとめちゃおう!」と躍起になったものの,やはり時間がかかってしまいましたね。
早速おまけ記事を一つ!
副本:第三部 MLB「ボンズ,クレメンスの殿堂入り問題を打破するもう一つの論法」
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