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ドグマ95

デンマークにはドグマ95という映画運動がある。
映画監督のラース・フォン・トリアーにより提唱された、独自の映画作りのルールである。純潔の誓い、という、いくつかのルールが存在する。

撮影はすべてロケーション撮影によるものでなくてはならない
現場以外での効果音を付け足してはならない
カメラは手持ちのみ許される
光学合成やカラーフィルターを使用してはならない
表面的なアクションを描いてはならない
時間的・地理的な乖離は許されない(回想シーンなど)
ジャンル映画は禁止
35mmフィルムで撮影する
監督の名前をクレジットしてはならない

上記のような、常軌を逸した方法で、映画を作り上げるのである。

ラース・フォン・トリアーといえば、一番有名なのは『ダンサー・イン・ザ・ダーク』になるだろうが、あれは救いのない暗黒映画である。他にも、『アンチクライスト』や『ドッグヴィル』とか全部嫌な映画である。

私は2012年に公開されたトリアーの『メランコリア』という映画が妙に印象に残っていて、この作品は鬱になっているキルスティン・ダンストが主人公で、地球に惑星が衝突するまでの話である。まぁ、トリアー版『ディープ・インパクト』である。(めっちゃ適当な説明)。
私は映画館で観たのだが、キルスティン・ダンストが夜空を全裸で見上げているシーン、
最後に円陣を組んで座っている主人公たちに惑星が迫ってくるシーン、しか覚えていない。印象に残っているのに、物語は覚えていない。けれど、独自に世界観が形成されていた。

ビジュアルイメージはとても綺麗だったような気がする。

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『ディープ・インパクト』で思い出したのだが、『アルマゲドン』というウルトラ馬鹿映画は皆さん、ご存知だと思う。数々のお馬鹿シーンがあるが、私としては、ロシアの宇宙飛行士が、「機械が壊れた時はこうするんだよー!」とめっちゃ機材を叩くシーンが相当にやばいと思う。超優秀な宇宙飛行士が小学生なみのマインドで衝撃を覚えた。

さて、メランコリアとは憂鬱という意味である。ラース・フォン・トリアーはうつ病の経験を元にこれを作った。憂鬱な人は、憂鬱な映画を創るのだろうか。
基本的にはうつ病は普段明るい人ほどなりそうである。
『ウォッチメン』におけるコメディアン、『ジョーカー』におけるジョーカー、更には、ロビン・ウィリアムス。そしてジム・キャリー。
日本のお笑いの人も、オンオフの切り替えがすごい人もいるらしい。

ドグマ95だが、この純潔の誓いを小説で実践してみるのも面白いかもしれない。小説と映画だと、媒体が違うからまんまの実践は難しいかもしれないが、ストイックにそういう小説を書くのは大事なことのような気がする。

例えば、『名もなき生涯』という、テレンス・マリックの映画があるけれども、あれは自然光のみで、当時の生活を再現すべくに抑制した美術や演出で撮り上げた作品だという。同様に、『バリー・リンドン』なども、蠟燭の灯りのみの世界を作り上げる為に、照明などを使用しない撮影法を取っている。

例えば江戸時代の農民の生活を調べ上げて、徹底していたリアリズムで1本の小説を書くのならば、良い作品が仕上がりそうである。どこまでも透徹して、小さい場所に視線を注げば、美しさが抽出される。

ドグマという言葉を調べてみると、宗教における教義のことらしい。
新人賞も色々ルールがあるから、広義で見ればその賞のドグマかもしれない。

私は、監督の名前をクレジットしてはならない、というのが好きである。


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