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一生売れない心の準備はできてるか

と、いうのは、4月に公開される映画のタイトルである。

売れる、売れない。

これは、アーティスト、乃至はエンターテイナーを選んだものにつきまとう問題である。

売れる、売れない。

売れたほうが正義。という風潮がある。まぁ、売れる=大多数に受け入れられているわけで、その方程式は間違いではない。然し、売れていない=駄目、というのはまた違う。そんな単純なものではないのだ。

まぁ、私はこの予告編を観ていて元気をもらった。これは本編を観なければならないな、と思った刹那、調べてみると、上映館は、え!3つ!糞ぉ…東京め。いつもいつも、オマエは首都だからって、優遇されているよな。そりゃあオマエは1000万人を背負う街さ。でもさ、京都だって、100万人は背負ってるんだ。政令指定都市、なんだぜ?
東京、メガシティ…魔都……冗談じゃねぇ……。

然し、この映画の公式ホームページを観てみると、ご支援の御礼、という項目があり、そこを読んでみると、劇場でかけるためには、映倫審査にかける必要性があり、その審査に30万円もかかる書いてある。
映画を上映するためには、超えるべきいくつもハードルがあるのだなぁ……。映画を観るためにも、超えるべきいくつもの県境がある。私は、この映画を観ることができるのだろうか……。

まぁ、売れる、売れない、というのも大切な要素ではあるが、然し、もう1本、今月公開の気になる映画が。
タイトルは『94歳のゲイ』。


ドキュメンタリー映画である。まぁ、予告編を観ればどういう内容かある程度想像がつくが、この主演の方は詩人でもあるのだという。詩が支えなのだという。

詩人。私は詩人が好きだ。小説家は嫌いだ。理由は、小説家は、理性的だからだ。小説家は売れたいと思っている。いや、詩人も思っているのか。

まぁ、詩では食っていけない。詩で食えるのは指折り数えるほどしかいない。詩は幻想であり妄想であり野望であり欲望であり怒りであり愛であり言葉であり夢であり真実であり嘘であり空であり海であり大地であり母であり父であり私であり姉君であり兄君であり弟であり妹であり天使であり悪魔であり君であり貴方であり死であり正であり聖であり魔であり男であり女であり花であり星であり酒であり虫であり血であり国々であり自由であり暴力であり性愛であり希望であり絶望であり内面である。

小説は嘘言である。作り事であり、金儲けである。
小説家もまた食えない。文学は食えない。それが文学の宿命だからだ。
食っていけるのは天才だからではない。運がよく、外面を気にしたからだ。

何度でも言おう。私は小説家は嫌いだ。詩人は好きだ。売れていないやつが好きだ。生活に、創作が入り込んでいる人が好きだ。内面を見つめ続けている人が好きだ。
小説家は外面を気にしているから。

はじめの話に立ち戻ると、売れる、売れない、この話である。

売れるとは外に向かう力だ。売れない、とは内面に立ち戻ることである。
どちらが真の芸術か、言うまでもない。
けれども、小説でも、内面に向かうものがある。これは、小説の形をとった詩の眷属である。

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