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『一千一秒物語』と『タルホと月』

最近、2つのことをしていて、それで時間がどんどん無くなる。

一つは稲垣足穂の『一千一秒物語』の前身となる『タルホと月』の原稿起こしとその製本である。製本とはいっても、個人で楽しむためのものである。

日本での著作権は2016年に死後50年から70年に延びたため、稲垣足穂の著作権フリーは彼の没した1977年から70年でそれの翌年、つまり2048年である。
『ブレードランナー2049』じゃあるまいし、まぁ『イナガキタルホ2048』である。
谷崎潤一郎は1965年に亡くなったが、彼の場合は運良く?2015年に滑り込みで間に合ったので、青空文庫などで作業の済んだものはフリーで公開されている。なので、1970年に死んだ三島は2041年だし、1972年の川端は2043年になるまで著作権フリーにならない。
大江健三郎が青空文庫で読めるのは2094年になる。車谷長吉は2086年。津原泰水は2093年、西村賢太も2093年、あ、これ私の好きな小説家です。
もう読んでるので、あんまり関係ないけれども。

なので、まぁ、私が個人的に楽しむためであることと、ちょうど、タルホの描いた『TARUPHO ET La Lune』の絵を所有しているため、それをスキャンして、表紙を作り、冊子を作ろうという魂胆である。
なので、まぁ、完全に私蔵ZINEのようなものだ。

ちなみに、『タルホと月』に関しては、これは『一千一秒物語』を書く前の作品であり、この更に前の作品である『小さなソフィスト』やその他のパラパラとした小品を佐藤春夫に送り、これを読んだ佐藤に「どうやら君は本物らしい。1冊の本にするだけの値打ちはあるようだ。」と、上京を勧められて、東京へと赴いたわけである。それをまとめた一つが、『タルホと月』であり、もう一つの作品集の『小さなソフィスト』の原稿はまだ未発見である。
『タルホと月』は中央公論社の滝田樗陰が所蔵していたものが10年ほど前に発掘された。で、『タルホと月』は彼の『一千一秒物語』の原点であり、そしてその原点は『一千一秒物語』よりも、遥かに人間味がある。
形式を同じとしたコント集ではあるが、今作は『一千一秒物語』よりも荒削りであり、徹底されていない。
『一千一秒物語』はよく言われるように、乾いた、ダイヤモンドのような硬質な文体だ。アラビアンナイトを葉巻に封じ込めたと佐藤春夫に言わしめた、その非人間的な世界の構築までは到達していない、まだ御伽噺の余地のある、幼年期の作品と言える。


『タルホと月』を読んでいると、たしかに葉巻を吸ったような、甘いなんとも言えない気持ちになる(私は葉巻や煙草の類は嗜まないが)。まぁ、感覚的なものである。そして、この甘い甘い匂いにつられて、私は何度か今作を読み直しているが、『一千一秒物語』と同題、内容も同じもの(文章に差異があるものが多い)も多く、『一千一秒物語』という傑作を生むための並々ならぬ思索が繰り広げられたのがわかる。
今年は関東大震災から100年、宮崎駿の『風立ちぬ』の世界においても、その災害は描かれたが、1923年、今から100年前のこの年は、この『一千一秒物語』が金星堂から刊行された年でもある。

『風立ちぬ』の震災のシーン、地震の起こるシーンの演出は凄かった。最新作『君たちはどう生きるか』の序盤の火事も凄まじかった。カタストロフこそが宮崎駿の真骨頂である。『崖の上のポニョ』のブリュンヒルデと津波、『天空の城ラピュタ』のラピュタの崩壊、『もののけ姫』のシシ神の暴走。破壊は再生の裏返しであるから。
『君たちはどう生きるか』の夏子さん。可愛いのでこちらにアップしました(本文に関係ない)

当時タルホは23歳、そこから、7年間、傑作をものし続けて、浮き沈みはあれど、不遇の40年間に突入する。

私の持っている『タルホと月』は東京でのタルホ・ピクチュア展で描かれたもので、裏面に『最初の一千一秒物語の表紙』と鉛筆書きがある。
これは、本来的には『一千一秒物語』の表紙案としてタルホが考案したもので、タルホは絵も嗜んでいる。そもそもが、まずは画家志望だったわけで、その絵のセンスも良い。レオナルド・ダ・ヴィンチ同様、芸術家は絵が上手いのも相場で決まっている。
彼の描いた『最初の一千一秒物語』の表紙は結局はお蔵入りになり、『佐藤春夫』の書いた推薦文がアラビアの象形文字を模した赤字で書かれていて、これもまた味のあるものになった。この、『一千一秒物語』のカバーはウルトラにレアであり、まぁ、カバー付き初版は30万〜40万円くらいが相場と思われる。今年の明治七夕古典会でも出品されていたが、無論買えるはずもなく。カバーなしでも5万円前後はするのである。

明治七夕古典会のサイトから。
超美しい状態の1世紀前の『一千一秒物語』。
第6版まで確認されているが、私は2版〜4版は見たことがない。初版、五版、それから異装の第六版だけ見たことがある。本当にあるのだろうか?

『一千一秒物語』は羽良多平吉がデザインした透土社版のものもなかかなにレア、かつ美しい。これは結構出回るが、基本的には10,000円〜20,000円くらいする。

で、私としては、『タルホと月』という作品を、当初想定していたカバーで包んであげたいというわけである。折角、そもそもの絵が私の元に来てくれたので。


で、もう一つのことは、これは翻訳作業であり、100年くらい前の海外文学を翻訳している。
一応全訳したが、これから再度原稿と訳文を睨めっこして推敲し、文章を整える必要性があるので、あと3ヶ月はかかるだろう。この本に関してはまた改めてお話したい。私家版として製本する予定。

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