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魔道と芥川賞

芥川賞と直木賞の違いというと、純文学と大衆文学、新人小説家とある程度の中堅〜ベテラン小説家という大雑把な分け方が出来る。

車谷長吉は1998年に『赤目四十八瀧心中未遂』で直木賞を受賞したが、この時車谷自身は、内容的には芥川賞だが、ページ数も多い長編のため、直木賞を受賞した、と言っていた。

大衆文学、という意味では車谷長吉の小説は明確にその道筋から外れている。車谷長吉の文章は負、怨、陰、呪に満ちていて、読む人の気が堕ちていく。
然し、車谷長吉の文章は明瞭で非常に丁寧であり、論理的に構築されている。驚くのは、美しいものの表現という意味では、他の文豪の書くものと比べると数段落ちるのだが、然し、巧緻な文章そのものの美しさは数段上である。私個人としては、車谷長吉は、谷崎潤一郎や川端康成などと並べても遜色がないほど、現代小説としての完成度は非常に高いと思っている。
構成力だけなら、川端よりは当然、谷崎よりも上かもしれない。

車谷長吉の作品の、『白桃』という作品がある。


これは元々新潮に掲載された時、『魔道』というタイトルで、短編作品である。
この『魔道』は暁夫と遼一という少年が主人公の話だが、物語の最初、二人は廻り将棋をしていて、その際に遼一が病気の発作で失神してしまう。ここは、後半のある箇所の伏線になっているが、様々な要素が巧みに配置されていて、一つの結末へと、見事に結実していく。

暁夫は遼一たちと六尺近くもある青大将をなぶり殺しにした日、婆さまと村のどうじょへお参りに行って、地獄極楽の絵を見せて貰ったことがある。婆さまは、『おィ様を殺したら今度生まれて来る時、おまはんが蛇に生まれて来るんやでェ」と言った。

この婆さまの言葉が初めに語られるが、そこから先は恐ろしい盂蘭盆会の幽かな記憶を書くようで、妙に心に残る作品である。

車谷長吉の妻の詩人の高橋順子は、付き合う前にこの作品を原稿で渡されて読んで、非常に感銘を受けていた。
車谷長吉は、『萬蔵の場合』(古井由吉の『杳子』のオマージュ?)で芥川賞の候補にもなるが、この時は1976年なので、31歳の頃である。新潮新人賞の候補にもなっていて、編集者の前田速夫にも目をかけてもらっていたが、これを獲れず、長く贋世捨人生活を送る。
『赤目四十八瀧心中未遂』での直木賞は彼が30代後半で再起してもう一度書き始めて、それから53歳でようやく勝ち取った賞であり、本人曰く、男子の本懐を遂げた、とまで言っている。
執筆再開から更に『漂流物』で再び芥川賞の候補になっていたのだから、尚更だろう(『漂流物』はウルトラに傑作の幻想的な小説である。これが獲らないってどういうこと?そら五寸釘で天誅もあるやろうなー)。

『直木賞受賞修羅日常』という作品があって、これは随筆だが、延々と、受賞してからの日々を日記形式に書いていてる。この辺りは高橋順子の『夫・車谷長吉』と併読すると面白いかもしれない。
とにかく今までの本などにも重版がかかりまくり、儲かり、家を買う。
つまり、賞をとった時点で著作が多い人の方が、印税がたっぷり入るということだ。
話題になって1冊だけ10万部刷られるよりも、10作品全てに3万部づつ重版がかかれば、30万部になるわけだ。

車谷長吉は神経症で、ものすごく手を洗って、ものすごく掃除をしていた。『アビエイター』におけるハワード・ヒューズと同じである。私も、この二人には及ばないが、すごく神経質なので、鍵を閉めたかどうか何度も確認し、何度か家に戻り、再度確認し、それでもしばらく不安のままである。
車谷長吉はそれの度が越していて、ウルトラにやばい状態だったが、ついに直木賞をとり、自身の最高傑作を書き上げて、後は抜け殻のようになっていく。

車谷長吉の表の最高傑作が『赤目四十八瀧心中未遂』ならば、裏の最高傑作は『鹽壺の匙』だろう。『鹽壺の匙』は三島由紀夫賞と芸術選奨文部大臣新人賞を受賞していて、普通に車谷長吉は賞に縁のある人で、超実力者なのである。
芥川賞よりも、彼の獲った三島由紀夫賞や川端賞(短編)の方が魅力的だという作家も多いのではないか。然し、世間一般では芥川賞と直木賞以外は価値がないのである。そもそも、存在を知らない。芥川賞が公募と思っている人間すらいる。

『鹽壺の匙』はその表題を塚本邦雄の短歌、
われがもつともにくむものわれ、鹽壺の匙があぢさゐ色に腐れる
から取っている。
これは、車谷長吉が塚本邦雄を敬愛していたからだが、塚本邦雄はガチの天才である。塚本邦雄はどちらかというと同性愛的な人だが、彼は感性の高みにいる人で、短歌は神がかっているが、然し、小説は微妙である。
この『鹽壺の匙』は、彼の叔父が首をつって自殺したことを書いた作品であり、これは本当に親族からは書かれたくないことだと、恨まれたそうだ。
自殺した叔父はインテリで、然し、失敗をし、その背景を幼い車谷には理解出来ていなかった。子供の目線から書いた物語である(回顧体だが)。

語ることはあばき出すことだ。それは同時に、自身が存在の根拠とするものを脅かすことでもある。「虚。」が「実。」を犯すのである。

と、車谷は作中で書いていて、ここに車谷長吉の文学観が表れていて、車谷長吉は常々、「文学には虚点が必要だ。実を書きながら、虚を組み込んでいく。虚がない作品は文学ではない。」と言っている。虚点がないものは、文学ではないのだと彼は言っている。
だから、彼の作品には無論、虚がいくらも織り込まれているのだろう。私小説など、そのようなものである。

『鹽壺の匙』で一番好きなシーンは、神戸元町の大丸の前の日東館で、叔父にギリシャ神話のミノタウルスの絵本を買ってもらうところである。
極彩色の絵物語に、少年の車谷は心を奪われたが、このシーンは、実だろう。非常に印象深い良いシーンである。
思い出には、嘘がつけないのである。恐らくは、大切な人との思い出には。

車谷長吉には、直木賞は獲ることの出来なかった芥川賞と同等の価値を持つ。世の中の人間に、ほら見たか、俺は凄い人間だ、傑物だ、と、改めて伝えることが出来たのだから。
然し、それで何がどうなったわけでもないような気もする。
むしろ、彼が嫌っていた俗物、世捨人の真反対になってしまったわけだから。まぁ、彼は『贋世捨人』という作品を書いていたわけで、俯瞰的にそれを理解していたとは思うけれども。

私個人が思う彼の最高傑作は『三笠山』、乃至は『漂流物』だと思う。





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