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『鴨川ホルモー』の普遍性

万城目学といえば、『鴨川ホルモー』が一番好きである。

万城目学作品は、『偉大なるしゅららぼん』を最後に読んでいないため、あれから作風が変ったかどうかはわからない。

万城目学の小説はエンターテイメントであり、ライト文芸であり、ライトノベルである。読みやすく、平易な文章である。普段、活字に慣れていない人でも手に取り読みやすい。
そして、誰もが共感を抱きやすい設定で作られている。特に、高校生以上、一番刺さるのは大学生から新社会人くらいだろうか。

毎回、奇想が一匙振り撒かれている。その奇想を軸として、人間模様や目標の達成を描くのである。ここから奇想を抜くと、それはただの文芸エンタメになり、読者層が異なってくる。

『鴨川ホルモー』はホルモーという式神を使った競技に青春をかける羽目になった青年の話で、まぁ、大雑把に言えば恋愛小説である。ホルモーはおまけでしかなく、実際には京都という学生の街での、学生たちの青春である。
つまりは、2000年代の学生たちの青春である。だから、一番刺さるのはやはり30代〜40代かもしれない。それも、京都で学生生活を過ごした人々である。

『鴨川ホルモー』は、この奇想に物語が潰されていない。巧く機能して、若者の恋愛話の道筋をスムーズに運ばせた(これは、冷静に考えるとどんな作品でも構成は結局同じであり、ただ競技が異なるだけだということだ)。然し、『プリンセス・トヨトミ』なぞになると、その奇想が日本全体を揺るがすほどに根幹に関わってくるため、奇想に押しつぶされた形になる。粗が目立つのである。『プリンセス・トヨトミ』を成立させるためには、奇想を活かすために一層精緻な作り込みが不可欠だが、然し、そもそもこの設定自体に無理があったのかもしれない。もう少し、狭い範囲でのお伽噺に留めていたら、或いは傑作になり得たのではないか。


『偉大なるしゅららぼん』や『鹿男あをによし』も、『鴨川ホルホ−』ほど上手くいっていないと思われるが、然し、『プリンセス・トヨトミ』よりは読みやすく、着地まで無理がなかったかのように思われる。


大学生感覚、今の学生のことは識らないからなんとも言えないが、この『鴨川ホルモー』にはかつての大学生感覚が横溢している。
多くの大学生は、究極のモラトリアム状態である。その感覚が、今作には描かれており、奇想がなければ、この作品がそれほど評価されることはなかっただろう。

この奇想をフックに、読者が手に取り、普遍的な物語運びに甘酸っぱい思いを覚える。この、幕之内一歩よろしくの、リバーブローからのガゼルパンチ、そしてデンプシーロールという究極の方法論が、万城目学氏、いや、売れるエンターテインメントの根底に流れるものである。

設定とは読者を掴むための餌である。あとは美味しい料理を拵えれば満足する。

私は、『鴨川ホルモー』はとても好きな作品である。私も京都で学生生活を送った。無論、式神などには出会ったことはないが、けれども、同じような時間を共有していたからである。

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