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川端康成のみづうみ


女性と男性の差なのかはわからないが、川端康成の小説において、『眠れる美女』は女性でも好きな人が多いのに対して、『みづうみ』はキモがられることが多い気がする。


『みづうみ』はどちらかというと男性読者の好む傾向にある作品かもしれない。どちらも限りなく犯罪に近い、いや、ごめん、やっぱり普通に犯罪者の話なのだが、『眠れる美女』は薬で眠らされた美女がいるお宿で、その美女と一晩添い寝するじーさんの話で、どう考えてもキモいのを、川端の筆致で耽美にしている。
お耽美な感じだと何故か芸術だとか美しいとか言われて許される傾向にあるが、完全に変態の世界である。これがもし、現代日本で同じような倶楽部があると発覚したら(いや、多分あるのだろう)、袋叩きにされそうなものだが、創作の世界では許されるのである。

作家、という人種は基本的には変態である。
個人的には小説家は犯罪者、小説家志望は犯罪者予備軍として認識している。

『みづうみ』は『眠れる美女』よりももっとやばくて、完全に○○の変態教師が教え子とイチャイチャしたり、トルコ風呂で洗われながらその女性の声の美しさに恍惚としたり、美しい学生少女を見つけてストーキングする話で(その女の子のスカートに蛍籠をかけるという、まぁなんという倒錯した世界)、この主人公桃井銀平は幻聴を聞きながら徘徊するやべーやつである。まさに白昼夢の世界の人間である。
ある種の幻想小説で、川端康成の小説の人物は何故か生活感が皆無である。
いや、働いている人はたくさん出るのだが、全員、ニート的な匂いを醸し出している。
『雪国』の島村もニートみたいなものであり、そういえば、最近ニートってあんま言わないな、死語なのかな。


『伊豆の踊り子』においても、主人公(康成)が踊り子の少女薫(薫っていうのは本当は実際の踊り子のアニキの名前)が客を取らされているかも……と、1人悶々としながら夜を明かし、翌日公衆浴場で、主人公を見つけた裸の踊り子が勢いよく駆けてきて手を振ってきてくれたことに対し、なんとも満ち足りた思い(西村賢太風)になって、「子供なんだ。私たちを見つけた喜びで、まっ裸のまま日の光の中に飛び出し、つま先で背いっぱいにのびあがるほどに子供なんだ。」
と心に清水を感じたらしいが(何にでもこのオッサンは清水を感じるな、『尿瓶の底に清水の音』とか)、
「ロリコンなんだ。あんたはただのロリコンなんだ。」と言ってあげたい。

とにかく若い女性が大好きで、養子の娘政子も溺愛してるし、絶筆の『隅田川』では「若い娘と心中したい」と書いている。
カジノ・フォーリーに入り浸り(今で言うアイドルたち)、カフェーの女給に恋をしプロポーズ(14歳、まぁ昔だし……)、梅園龍子という美少女女優に色々と習い事させたり、まぁ、谷崎潤一郎とか永井荷風とはベクトルは違うが大の女好きである(それも若い人)。

魔界の文学、魔界を書くことが川端康成の本質であるとされるが、やたら妖しいほどに美しい日本語の筆運びに、読者は縹渺ひょうびょうたる幻想世界へとそのまま誘拐されて陶酔してしまう。
「目を覚ましてー!そのおっさんはただのロリコンなんだー!」
おそらく、三島由紀夫も思っていただろう。「あのおっさん、利用する価値は大いにあるけど、趣味が違うからなぁ。曝け出せないからやんなっちゃうヨ。僕はというと、あんまり女性には興味ないんだけどナ。」なーんて。

まぁ、『みづうみ』は良い小説である。圧倒的ですらある。『たんぽぽ』もである。これも魔界の小説で、然しやはり一番すごいのは有名な『片腕』だろう。『片腕マシンガール』ではない、『片腕』である。
「片腕を一晩お貸ししてもいいわ。」から始まるこの短編小説の持つ妖しさときたら、手に持った文庫が霧雨を受けて濡れてしまったかのように感じてしまうファントムセンスにあふれている。

小説家志望は『片腕』は読まないほうがいい。

特定の人はそのスタイルに強く影響されてしまうだろうから。
然し、川端康成の魔界、というのは徹頭徹尾の虚無を泳ぐ美しき天女の物語であり、天女は美しさで物語を包むけれども、天女は所詮は神(川端)に残酷な運命でもってその羽衣を剥がされてしまうのである。
死の反対にある生=若い娘、或いは女性という観念が、永久にその中に宿っている。

然し、あれだけの成功を掴んでもついぞ天女は掴もうとすれば彼から逃げてしまうのである。それも当然で、天女、というのは存在しない。天女のように見えて人間だからである。
川端康成は虚無の目で弱い立場の女性の美を見つめ続けてきたが、虚無なのは御本人だけなのである。

でも、新潮文庫のYASUNARI本、新調したんだなー。すごいキレイな表紙。
『古都』とか、超オシャレだ!
この『古都』の東山魁夷装丁の特装本が牧羊社から発売されていて、1200部版、700部版、350部版と三種類があるが、もう1種、30部限定の光悦垣装というのがある。これがこの夏古書の大即売会の目録に出ていたが、お値段は最低落札価格180万円からである。

画像お借りしました。

読むだけならば、この新しい新潮文庫の装丁で十分だ。とても美しい、洒落た現代の、モダンな装丁である。


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