見出し画像

水俣から天草、そして沖の宮へ

ジョニー・デップ主演の映画、『MINAMATA-ミナマター』をNetflixで鑑賞。

どうでもいいが、私は今年でNetflixを解約しようと思っている。Netflixは非常にラインナップも豊富で、話題作もいち早く観られるが、痒いところに手が届かない作品群&時間がないという個人的理由で、毎年12,000円も支払うのはあんまりなー、という思いに至った次第。

それならば、映画館で腰を据えて6、7本観たほうが良さそうだ。

『MINAMATA-ミナマタ-』は日本の四大公害病の一つ、水俣病の実態を現地にて取材したフォトグラファーのユージーン・スミスと、その奥方だったアイリーン・美緒子・スミスの物語であり、日本人俳優も多数出演している。浅野忠信、國村隼、加瀬亮、真田広之など、大御所がたくさん、更に、ジョニデと対決していた元海賊であるビル・ナイも出演していた。

ライフ誌編集長として、アル中のスミスをボロクソに貶しながら鼓舞する。


水俣病は、非常に恐ろしい公害病であり、その実際は調べるほどに壮絶で哀しいものである。

水俣といえば、やはり石牟礼道子の『苦海浄土くがいじょうど』だろう。石牟礼道子氏は地元である熊本県の水俣において、この病気の実態を識り、作品を書いた。第1回大宅壮一賞にも選出されたが、辞退された。


『苦海浄土』は湯堂部落の入り江で遊ぶ子供たちのシーンから始まる。ここの写実的かつ現実的な文章は圧巻で、時の静止から始まるこの物語の激情が極めて冷徹に描かれている。ここで、山中九平少年の、野球の素振りの練習の精緻な描写・観察力に驚かされる。

そして、彼女が産まれた熊本天草を舞台にした新作の能楽作品、『沖宮おきのみや』という作品を最近鑑賞した。2018年の新作能である。

シテである天草四郎時貞。美しい水色の着物は、志村ふくみデザインで、この青は臭木(くさぎ)で染め抜いたもの。


『沖の宮』は、天草四郎時貞がシテとして登場する。

島原の乱後、干ばつの続く天草で、雨乞いの生贄として、少女あやが選ばれる。あやは、天草四郎の乳兄妹である。生贄になったあやは緋色の着物を着て、海底にある沖の宮へと死出の旅立ちへ向かう。その水先案内には兄である天草四郎である。
「兄様……。」と、『もののけ姫』のカヨ的な感じで呟くあやはまだ幼子である。だから、じゃっかん、「あにしゃまー」と聞こえて、境遇を思うと涙が出る。
そして、沖の宮には雨の神である龍神が棲まい、舞を舞う。

龍神が舞う。一番激しい見せ場である。


村々は
雨乞いの まっさいちゅう
緋の衣 ひとばしらの舟なれば
魂の火となりて
四郎さまとともに海底うなぞこの宮へ

➖HPよりー

これは、『ファイナルファンタジーⅩ』である。つまりは、少女は贄となりて、他者のためにその生命を捧ぐのである。『FFⅩ』は琉球王国やタイ王国のイメージが濃密に生きていて、今作『沖宮』も九州・琉球の色合いが色濃く現れている。
シンと呼ばれる災厄を、シナリオの野島伸司氏は「台風のようなもの」と捉えて、それを形ある(てゆーか鯨)にして、明確な敵として描いていたが、現実には、形あるもの以上に恐ろしい自然や、人間の業そのものに苦しめられることが圧倒的多数である。
そこでは、祈りとしてしか闘うことは出来ないけれども、写真や、映画、そして文学、それから能もまた、現実と闘う手段の一つである。
闘いというのは、攻撃だけではない。それは、他者の心に思いを訴える、相手を突き動かす、そのための表現方法こそが闘いに他ならない。

ユージン・スミス氏、石牟礼道子、共に誠に藝術家である。藝術家とは、賞をもらうために描くのではない、生活のために描くのではない。
結句は、命を賭して何を告げようとすることが、まことの藝術家である。

さて、この『沖宮』は来年2023年の1月22日になんと現地の島原にて公演があるようだ。島原関連の能楽を島原で観るチャンスなど、今後あまりないと思われるので、気になる方はいかがだろうか?

そろそろ大河ドラマで『天草四郎時貞』をやってもらいたいものである。
まぁ、48話分くらいをつなげるのは相当の難度だと思うけれども、島原の乱は最近のスケールでも制作して欲しいものだ。
『魔界転生』の天草四郎以外にも観たいなー。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?