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珠洲市蛸島の由来は「地震と津波と隆起」にあり

能登の人から聞いた話のデジタルアーカイブとしての投稿。

【とある能登の俳句から考えること】
言葉と防災と隆起編

能登言葉親しまれつゝ花の旅
 高浜虚子

永福寺と一本松公園に同じ句の句碑が建っている。

能登で愛される有名な句。
昭和24年、輪島に来た虚子が永福寺で地元の有志と句会を開いたのを記念して建てられたそう。

「ぞいやー」と聞こえてくる職場は、
今となっては何も感じないけれど、
気にしていた頃の私は、「旅気分」だったようにも思える。


今日はそんなその土地の言葉や呼び方に纏わる災害と防災の話。


「大水や!」

黒島地区には、「大水」と呼ばれる地域があると、
地元の人から聞いた。
昔は、よく洪水があって、洪水が起こるたびに
「大水や!大水が来るぞ!」
と呼びかけた。

洪水が家を襲った時は、
家の柱にしがみついて、必死に生き延びたという。

しかし、現在の地名にはなっていない。

「ここは大水と呼ばれたていた地区」
「ここは昔、砂浜だったから地盤が緩い」
「ここは昔、海の中で、隆起したところだから」

そんな何気ない会話は、
後世に残すべき歴史であり、
手っ取り早いソフトな防災手段である。

このように、地名や災害時の呼びかけの言葉の中に、
防災の知恵が隠されていることがある。
(東日本大震災の時の、同様の話がたくさんあった。)


「オオダコがくるぞ~」

今日は珠洲市蛸島の昔話。

このむかし話には、
地震と津波と隆起の記憶が残されている。

方言も含めて、示唆の富んだ昔話だと思う。

そしてその後には、
蛸島に関係する「三匹の虻」のお話しも、
時間があれば、読んでいただけたら。


タコの島(石川県珠洲郡誌より)

珠洲のむかしばなし
珠洲沖にはむかし、おっとろしい大蛸がおったがや。

丸太みたいなごっつい足で大波起こいてわ
船ひっくりかやいたりするもんで、漁師連中やおとろしがっとたがや。
この大蛸はときどき在所まで上がってきてわっさ(悪さ)するげった。

家はぼれてもう(壊れてしまう)わ、
田んぼや畑もひっくりかやいてもうわ、
ちょうもはちもつかなんだ(どうしようもなかった)。

やっとこ家もなおって、田んぼも畑もいいがになって
ほっとしたころに大蛸はまた海からあがってきてわ~
わやくそにする。
在所のもんな ほとほといわっとったがや(困っていました)。

ある時また波が荒なって、沖見とった漁師が
「オオダコがくるぞ~」って叫んだがや。

村はかいたらもたらや
村のもんな逃げ場失うて、海べりにある「山王の森」へ
逃げ込んだがや。

「こんでしまいや」(もう終わりだ)と思うたほんときや。
「山王の森」の神様が現れて、でっかい剣で蛸の足を
ブツッ!ブツッ!と切って、頭を沖へ放り投げた。
村のもんらっちゃ大喜びや。
「山王の森の高倉彦(たかくらひこ)の神様が
おらっちゃ(私たち)を助けてくださったがや。
ありがたいことや」

ほれから海も荒れんがになって、魚もよう捕れるがになったげと。

高倉彦の神様が放り投げた蛸の頭は沖で島になったもんで、
村は「蛸島」てよばれるがになったげと。


三匹の虻(日本の昔話 柳田国男)

 昔、能登国蛸島(現在の珠洲市蛸島)の湊に、柳某という人がおりました。
 ある日一人の若い者を連れて、鯖を釣りに小船に乗って沖に出ましたが、面白いほど鯖がよく釣れるので、帰ることも出来ないで、いつまでも釣りを続けていますと、舟を漕ぐ若い者は、退屈になってしまい寝てしまいました。主人は暫くして、ふと気がついて見ますと、何処から来たものか三匹の虻(アブ)が飛び回って、しきりに寝ている男の鼻の穴から、出たり入ったりしています。

 こんな沖合に蚊などが飛んでくる訳がないが、と思って、その若者が寝ているのを揺り起こしました。若者が起きて言うことには、
 「私は今実に珍しい夢を見ていました。村の丸堂の中から3体の仏様が三匹の虻になって飛んで出られたのを、どこまで行かれるのか見届けようとしているうちに、貴方が起こしになったのです」と申しました。

 主人はこれを聞いて「それはなる程奇妙な夢だ。それでは今日の鯖を残らずお前に上げるから、その夢を私に売ってくれぬか」と言いました。
 「夢なんかもし買って下さるならば、幾らにでも売りましょう」と言って、若者は沢山の鯖を貰(もら)って、喜び勇んで共々帰って来ました。
 柳の主人は、その足で直ぐに村の丸堂という御堂のある所に行って見ますと、果たして夢の話の通り、御堂の壁の隙間から、3つの虻が出入りしておりました。

 笠を手に持っていたので、そっとその虻を押さえて大急ぎで家に帰り、座敷の中でその笠を除けてみますと、虻ではなくて一寸八分ほどの美しい3つの御仏像でありました。
 これを3つとも家に置いては、あんまり欲が深すぎると思いまして、阿弥陀様は村の勝安寺というお寺に納め、弁天様は湊の外の、小さな島に持って行って、今でもそこを弁天島と言っております。そうして残りの毘沙門様の像だけは、今でも大事にして、この家で祀っているという話であります。


石川県に来て、いろんな人に
「石川県は災害が少なくて良いところ」
と言われたけど、伝記にはたくさんの災害があって、人々は災害とともに生きてきたことが分かる。

次は、いくつかの土地で、
隆起した伝記があるのをまとめた回にする。

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