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安心という温もり。

ここのところ、一週間おきに寒かったり暖かかったりする。今週はすっかり春めいて、あちこちで梅が咲いているが、先週は今季初の湯たんぽを使って布団を温めるほど寒かった。目まぐるしく気候が変わって体がついていけないのか、ここ2週間は就寝時の耳鳴りがひどい。

寒い夜、ジージーという耳鳴りを聞きながら、あるできごとを思い出していた。

私は子どもの頃から体が弱く、しょっちゅう熱を出していた。母は子どもの具合が悪くなるとたちまち機嫌が悪くなり、「どうしてそんなに体が弱いのか。手のかかる子どもで本当に困る」と怒鳴り散らして私を叱った。

叱られるのが嫌だったので、熱があるのが分かっても、気持ち悪くて吐きそうでも、とにかく午前中だけでも学校に行かねばと、毎回けっこう必死な思いで行っていた。しかしやはり昼にはつらくなり、また徒歩で家まで帰る。

母が畑に出ていれば、家には誰もいない、あるいは祖父だけがいた。こっそり布団を敷いて、悪寒に震えながら静かに寝る。結局、夕方母が戻ってくると烈火のごとく怒りはじめて責められるので、叱られるのは同じなのだが、朝より夕方の方が彼女の怒りは短い。それを子どもながらに観察して理解していた。

母の機嫌を損ねて家じゅうにどんよりとした空気が漂うのは、本当につらかった。そこへ父が帰ってくる。母から、この体の弱い娘をどうにかしてくれと愚痴られているのが聞こえてきて、いつもいたたまれない気持ちになった。

父は私が寝ているそばに来て、「具合はどうか、きついか?」と尋ねる。そしていつも「熱が下がれば楽になる。大丈夫、大丈夫」とおまじないのように私に言い聞かせ、布団の毛布を引っ張り上げる。その毛布を、寝ている私の肩の隙間にゴソゴソと入れ込み、「温かくして、汗をいっぱいかいたらタオルで拭いて着替える。これを繰り返したら熱が下がるから」と毎回言うのである。

娘が寝込むと、必ず毛布で肩の隙間をふさぐ父。これが「この冬一番の冷え込み」なる夜になると、寝込んでいなくても発動する。

たいてい私は寝たふりをして、薄目で父の様子を見ていた。「寒くないかい?」と言って私の顔を覗きこんだ彼は、やはり同じように毛布を引っ張り上げて肩の隙間に入れこみ、「肩と首を温めれば寒くない」とひとりごとのように言って去っていくのだ。

父が部屋を出て行った後、私は目を開けて天井の変な木目の模様を眺めながら、体が温かくなっていくのを感じていた。熱があるときは考える余裕がなかったが、肩と首を温めるとこんなに温かいのか。

もう何十年も昔のことだが、今でも私は、寒くなると毛布を肩の隙間にゴソゴソと入れ込んで寝る。先週は耳まで毛布をあてて寝た。しかしあの頃の温もりとは少し違う。子どものころのあれには、おそらく「安心」という温もりが含まれていたのだと気づいたのはつい最近。

そうやって体の弱い娘を見守ってきた寡黙な父は、8年前に他界してもういない。寒い冬の夜、自分で毛布を引っ張り上げながら父のことを思い出し、ちょっと涙をぬぐった。

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