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未来に向かう成長

【書評】リディア・ミレット『子供たちの聖書』 評者:川村のどか

 この作品は「気候フィクション」と銘打たれている。著者のリディア・ミレットは生物多様性保護を目的とした非営利団体に勤務しており、この経歴からも、本作がニューヨーク・タイムズ誌の発表する年間ベストテンに選ばれた際、気候変動を扱った一群の作品の一つとして見做されてきた。実際、作中には大型ハリケーンや疫病の猛威が描かれており、気候変動や環境問題は本作の背骨として、物語全体の芯となっている。しかし、私にとって最も重要な点は、本作が親と子の関係を描いていることにある。
 自然を破壊してきた世代である親たちと、SDGsをはじめ環境への配慮を当然のこととして教育されている子供たちの関係。それは構造的な加害者と被害者の関係に他ならない。本作において、被害者である子供たちは、ある種の諦めを伴いながら親たちに理解を示すようになる。その過程には、子供たちが自分自身を被害者であることから解き放つ契機が描かれている。このような子供たちの成長は、現代に必要な姿勢を示唆しているのではないか。

 アメリカが舞台となっている本作では、大学時代に交友を結んでいた仲間たちが東海岸の別荘を共同で貸し切り、休暇の一夏を過ごす計画を立てることがすべての発端となっている。強制的に別荘へ連れてこられた彼らの子供たちは、スマートフォンやタブレットといった電子機器を取りあげられた上、羽目を外した親たちから完全に放任される。本作の語り手イヴは、子供たちがこのような親への反抗として、見られていないところで飲み物に唾を入れたり、親たちの誰かの気に入ったインテリアを陰に隠れて破壊したりといった、陰湿な嫌がらせをくり返していることを報告する。子供たちが顔を合わせるのは別荘に連れてこられたこのときが初めてだったが、親に対する憎悪によって彼らは団結することができた。彼らは老いることへの恐怖と憎悪で結束し、親のようになることを徹底して拒絶していた。子供たちはSDGsをはじめ、環境への配慮を当然のこととして教育されている。そんな子供たちにとって、環境を破壊してきた親たちの世代への拒否感は、大人になることそのものへの拒絶に繋がっているらしい。子供たちの大人になりたくないという感情は、親たちへの理解を拒み、世代間の対立を生んでいた。
 次に引用する文章は、子供たちの拒絶がどのようなものなのかを如実に物語っている。

 私たちは親にたいして厳しかった。罰を与えた。盗み、あざけり、食料飲料への混ぜ物。
 彼らは気づかなかった。そして私たちは、そういう罰則に見合った罪があると考えていた。
 とはいえその犯罪のなかでも最悪なものは、特定できないがゆえに正しく罰せなかった——それは彼らの存在の性質そのもの、彼らの人格の本質だった。(本書11頁)

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