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村上春樹と物語の現在――最新作『街とその不確かな壁』をゆっくり読む

【書評】松田樹

 「ゆっくり歩け、そしてたっぷり水を飲めってね」鼠はジェイに向って微笑み、ドアを開け、階段を上る。(村上春樹『1973年のピンボール』)

「…ねえ、少し歩かない?」とマリは言う。
「いいよ。歩こう。歩くのはいいことだ。ゆっくり歩け、たくさん水を飲め」
「何、それ?」
「僕の人生のモットーだ。ゆっくり歩け、たくさん水を飲め。」(村上春樹『アフターダーク』)

一、なぜいまさら『街とその不確かな壁』か――「ハルキ現象」の現在

 村上春樹の最新長編『街とその不確かな壁』(新潮社)が、2023年4月13日に刊行された。

 本作が作家自身によって葬られた幻の旧作「街と、その不確かな壁」(『文学界』1980.9)のリライトであるとか、改作によってコロナ禍の下でのロックダウン状態が反映されているといった時事的な話題は、いまさらもう、問わない。
 注目したいのは、刊行直後の瞬間風速的な反応が終息してしまえば、本作を話題にする人間が、ほとんどいなくなってしまったという事実である。この稿は刊行から約半年が経った23年10月に発表されているが、もはや話題は絶えて聞かない。本書評も読者には、「ああ、そんな作品あったな」くらいの反応しか呼び起こさないかもしれない(だが、同時代的な反応を得るために私は小説を読んでいるのではない)。
 現代の小説はこの上なく、「いま」の時間感覚に呑み込まれている。実際、春樹の新作をめぐる反応は、あたかも速さを競うようにして発表されていたことを思い起こそう。例えば、批評家の宇野常寛は「村上春樹の新作長編『街とその不確かな壁』を、発売当日に電子書籍で購入してKindleで一気に読み通した」と刊行後わずか2日後に自身のnoteに長大な書評を掲載していたし(『街とその不確かな壁』と「老い」の問題――村上春樹はなぜ「コミット」しなくなったのか」2023.4.15)、福嶋亮大もまた10日後に大部の評を発表していた(「村上春樹による村上春樹のリマスターは成功したのか――『街とその不確かな壁 』評」2023.04.23 )。「遅いインターネット」(宇野常寛)を標榜していたはずの彼らでさえ、反応速度を競い合うこのゲームに抗うことができない。その他の様々なSNS上の反応は、推して知るべしである。
 同様の事情は、活字メディアをも呑み込みつつある。全国の新聞・雑誌記事を一括検索できる『ELNET 全国新聞・雑誌記事紙面データベース』を使用し、春樹の近年の長篇小説『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』(2013.4.12)、『騎士団長殺し』(2017.2.24)と本作の反応を比較してみると、興味深いデータが得られる(下図)。 

 直近の2作と比較しても、本作は、刊行直後から、これまでの倍以上の反応が寄せられていることが窺い知れる。もちろん、たんに検索結果を打ち込んだだけなので単純に比較はできない(し、統計上のデータの扱いに関して私は素人である)。だが少なくとも、春樹の最新作がこれまでを大幅に上回る数で、瞬間的な反応を呼び起こしたことは見て取れよう。とりわけ、本作にかぎっては6週目から7週目にさらに急増する様子が見られる――18週目の増加は「夏の読書週間」などで取り上げられたからであり、ここでは問わない――のは、これまでであれば緩やかに発表されてゆくはずの内容に踏み込んだ評までが、われ先にと早い段階で発表されていたためだと考えられる。だが、何度も言う通り、それは一過性の瞬間風速として過ぎ去ってしまった。
 ちなみに、グラフ化はしていないが、刊行される前の1ヶ月間の記事数を調べてみると、『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』(51件)、『騎士団長殺し』(90件)、『街とその不確かな壁』(153件)と出る。情報を小出しにして期待感を高めてゆくのはSNSマーケティングの常道であるが、今回の「バズ」現象は「幻の長編」という惹句を用いながら情報を小出しにしていく出版社のマーケティング戦略がうまく功を奏したと言えるかもしれない。『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』から『街とその不確かな壁』に至る10年は、春樹自身の作風の変化はさておき、出版社の情報マーケティングが浸透してゆく10年ではあった。
 確かに、『ノルウェイの森』(1987)以来、「ハルキ現象」と呼ばれるほど春樹の新作は「お祭り」の雰囲気と無縁ではなかった――この時期に秋の風物詩のように報道されるノーベル文学賞関連の話題もそうである――。が、上記の事実を鑑みれば、最新作をめぐる反応には、春樹のみならず、昨今の小説をめぐる受容環境の変化をも見てとれるかもしれない。例えば、近年、長篇小説が売れないと嘆かれるのは、作品を処理するタイムパフォーマンスが悪いからである。それよりも話題になった芥川賞作品1作だけを収めた薄い単行本の方が売れる。批評より書評が重宝されるのも、求められているのは反応のスピード感に他ならないからである。
 現代では、あらゆる文章は、「いま」の時間感覚の下で消費されてしまう
。逆に、時宜を逸したことが、読まないことの言い訳として機能してしまう。文学研究は古典的な作品を当時の受容環境や広告戦略から読み替えることをしばしば試みてきたが、現代の小説をめぐる環境の変化にも何か考察に値する点があり、そこから内容に資する読解をも導きうるのではないか。
 今年の春、春樹の新作に前後して亡くなった大江健三郎は、かつて『ノルウェイの森』が刊行された際、そこに以下のように小説をめぐる時代の転換を見出していた。

 『懐かしい年』が出た直後、沖縄だったと思いますが、地方に出掛けていて、気になりますから東京に戻るとすぐ大きい書店に行ってみた。そうすると平積みされているのが一面、赤と緑のきれいな装丁の『ノルウェイの森』で、私の本はその奥から恥ずかしそうにこちらを見ていた(笑)。非常に印象に強いんです、その小説が読まれる機運の転換が。(大江健三郎『大江健三郎作家自身を語る』2007、強調は引用者、以下同様)

 同年に刊行された自作を後景に配することで、大江は『ノルウェイの森』が顕在化させた「小説が読まれる機運の転換」を明確に浮かび上がらせる。「私自身はつくづく二〇世紀の作家だった」と述べる大江にとって、「ハルキ現象」とは「二十一世紀」の到来に他ならなかった。大江の指摘に導かれて、遅れに遅れて『街とその不確かな壁』を、刊行直後に現れた反応とともに読み直すことで、大江の所謂「二十一世紀の村上さん」はいまどのように読まれ、そのことを作家自身がどう捉えているのか、考えてみたい。それは批評に必要な遅さを取り戻すことでもある。大江のように、書き手自身も小説の読まれる機運の変化に無自覚ではいられないのであるから、ともすれば、このアプローチが『街とその不確かな壁』に対する有益な読みを提供し得るかもしれない。 

二、春樹はいま?―――『街とその不確かな壁』の反響と批判

 僕が思うに、小説という形態の優れた点は実に、書くのにも読むのにも時間がかかるということにあります。時間をかけてしか受け取れないもの―――そういうものがこの世界にはやはりあるはずです。それはこの時代のスピードには合っていないかもしれません。しかしそれゆえに、逆に不可欠なものとなっているのです。小説にできて、小説以外のものにはできないこと。それは長い物語を、時間をかけてくぐり抜けることです。(村上春樹「疫病と戦争の時代に小説を書くこと」2023)

 刊行直後の講演で春樹は、「時間をかけてしか受け取れないもの」があることに小説というメディアの特徴を見出している。「小説にできて、小説以外のものにはできないこと。それは長い物語を、時間をかけてくぐり抜けることです」と、春樹は言う。ただし、「この時代のスピードには合っていないかもしれません」と述べられる通り、小説がインスタントに消費されてしまう現代の環境について、作家自身きわめて自覚的である。とすれば、書き手に可能なのは、それに対する防衛線をあらかじめ小説の内部へと繰り込んでおくことである。本作で「時間」や「物語」の伝達そのものが主題とされているのは、それゆえである。
 結論を急がないでおこう。いま我々は刊行直後に現れた評をも見渡しながら作品を読み解くことができる。刊行直後の反応を整理してみれば、新作『街とその不確かな壁』は歓迎のうちに迎えられたとは言い難かった。否定的な評価を大別すれば、批判の論拠は以下の三つのようにまとめることができる。 

①自作のリサイクルに対する微妙な反応
②コロナ禍をうまく取り込めていないという指摘
③作家の老いや成熟が反映されていないという批判

 ①は、発表直後の評で最も多く見られたものであった。ただし、微妙な反応としたのは、そこではリライトに対する直接的な批判は記されていない点である。「「集大成」なのか。それとも「再生産」なのか。どちらにせよ、長年村上作品に親しんできた一人の読者として、これまで村上作品において物語を形作ってきた技術的な側面が、ほとんど職人的な域に達している」(小川哲「「集大成」なのか、「再生産」なのか」『新潮』2023.6)、「過去のさまざまな春樹作品の構造や要素を単純化して再利用しているようにも思われる」(佐々木敦「小説と、その不確かな壁」『すばる』2023.7)といった及び腰な評がそれを体現している。同じく新作の登場を歓迎しながらも、リライトの経緯や相似した内容の先行作『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』(1985)との照応に記述を向けることで、作品分析を回避しているように思われるものも散見された。逆に、本作を手放しに歓迎している評は、殆ど見受けられなかった。
 次に、②近年の事象をうまく取り込めていないという指摘も存在した。実際、主人公が行う「夢読み」の作業は「疫病のたね・・」(149頁、傍点原文、以下同様)を鎮めるとの記述がある。単行本の末尾に付けられた「あとがき」にも、「コロナ・ウィルスが日本で本格的に猛威を振い始めた三月初めに、ちょうどこの作品を書き始め、三年近くかけて完成させた」と記されている。しかし、この点について川村湊は「疫病という言葉でコロナを連想する読者をきれいに裏切るならさらに良いのですが、ちょい出ししただけ。書いている最中に起きた出来事はうまく取り込めていない」(『朝日新聞』2023.5.8)とし、清水良典も「「疫病」という言葉も出てくるのにそれほど追及されないのは、あまりにコロナ禍がリアルだったからか」(『中日新聞』夕刊、2023.5.22)とやや同情混じりにコメントを寄せている。
 最後に、③のように作家の老いがうまく作品に取り込まれていないとの批判も見られた。先に挙げた宇野常寛は、本作を「無自覚な老人小説」と呼び、「かつてのように性愛を軸にアイデンティティを維持し、社会にコミットできなくなった老人が中年を装って自分探しをする……それがこの小説の正体だ」と断じている。こうした評価は「社会環境との共鳴を失って硬直し、自家中毒に陥ってしまった」「村上のこの低調な自己模倣モード」と本作を評する福嶋亮大や、「性」や「老い」の不在を指摘する円堂都司昭および三宅香帆らの評とも共通している(「村上春樹『街とその不確かな壁』に見る、老いの想像力」2023.06.14)。改作の間に流れたはずの時間に見合う成熟が反映されていないため、春樹はむしろ後退しているのではないかと言うのである。
 ②はさておき、①と③の反応は重なり合いつつ展開されているように思われる。すなわち、封印された旧作がいまさら取り上げられる必然性は何であり、そこに作家としての成熟が反映されていないならば過去作をわざわざ取り上げる意義はどこにあったのか、といった疑問としてそれらはまとめられる。
 だが、そもそも春樹にとって書くことは走ることにも擬えられるような、反復的で自閉的な営みに他ならなかった。「僕は小説を書くことについての多くを、道路を毎朝走ることから学んできた」と、春樹は言う。 

 ただ黙々と時間をかけて距離を走る。速く走りたいと感じればそれなりにスピードも出すが、たとえペースを上げてもその時間を短くし、身体が今感じている気持ちの良さをそのまま明日に持ち越すように心がける。長編小説を書いているときと同じ要領だ。(…)継続すること――リズムを断ち切らないこと。長期的な作業にとってはそれが重要だ。(『走ることについて語るときに僕の語ること』2007)

 「ただ黙々と時間をかけて距離を走る」こと。それと同じように小説を書くこと。老いや成熟といった社会的な規範はそこでは問題ではない。ただ無時間的な反復それ自体が目的である。こうした自閉的で冗長な営みを許容するからこそ、「小説以外のものにはできない」と小説という媒体が特権化されるのだ。
 そして、先に見た通り、書き手だけでなく、読者もまた「時間をかけてしか受け取れないもの」がそこには存在すると春樹は述べる。世界から切断された場所で孤独な営為として時間をかけて何かを託すこと、一方もまた世界の外で時間をかけて何かを受け取ること――――このようなコミュニケーションこそ、春樹が「物語」と呼んできたものに他ならなかった。本作の刊行に際しても、やはりそのキーワードが言及されていた。

 小説は長い時間性の中で何かを語る、何かを与える物語。何年か考えてやっと分かるということもある。僕はそういう物語の力を信じたい。(「コロナ禍で物語の力信じる 村上春樹さん、小説の意義とは」2023)

 周知の通り、春樹が「物語」なるものを頻繁に口にし始めるのは、阪神淡路大震災と地下鉄サリン事件が起きた1995年である。私見では、事件を機に執筆された『アンダーグラウンド』は、しばしば言われるようなオウム被害者に作家自身が向き合った例外的な試みではない。むしろそれは彼が80年代から継続的に行ってきた一群の海外居住ルポの系列に属するものであり、それらルポにしばしば見られるような空間の隠喩によって――「地下鉄」で大量殺人が起きたという事実が春樹の一番の関心事であった――オウム事件とそれが浮き彫りにした「社会の闇」が捉えられている。この辺りの事情については『近代体操』創刊号掲載の拙論「村上春樹の「移動」と「風景」(『近代体操』創刊号「特集=なぜいま空間は退屈か」2022.11)に書いたが、本稿の文脈でその内容を少しだけ辿り直しておこう。
 95年以前の春樹作品、とりわけルポ系列では、世界から切断された場所で書き手が時間をかけて孤独な「風景」に自身の内面を託すことが志向されていた。だが、『アンダーグラウンド』執筆のために日本に帰国した春樹は、異国の辺境地に求めてきたその場所を、東京の地下という空間に移し替えてゆく。
 世界から切断された個人的な「風景」から、都市に生きる人々の内面の闇が託される「物語」へ。
春樹にとっての95年はこうまとめられる。彼の作品で特権的に描かれる、地下、廃墟、墓場といった無時間的でカオスティックな空間は、以降、性や暴力の主題と関連付けられながら、世界の外で内面を託し合う人々のコミュニケーションの磁場として自覚的に取り上げられてゆくことになる。
 そして、老いも成熟も、現代社会の事象さえ、うまく取り込まれていない本作は、春樹が95年以降固執してきた「物語」を介したコミュニケーションを直接的に主題化している。先にも見た通り、春樹の理想とする「物語」のあり方と小説をめぐる現代の受容環境との懸隔がますます顕著となってきた――同時代評価としてはいささか不振のままに迎え入れられたのもその傍証となろう――からこそ、従来よりもさらに露骨に描かれているとさえ言えるかもしれない。
 どういうことだろうか。

三、「立体的に転写される」――『街とその不確かな壁』における時間と伝達

 「わたしは、いろんなことにたくさん時間がかかるの」ときみは言った。ぼくはその言葉を、まじないの文句のように頭の中で何度も反復するそして時間が通りすぎていく様子を、辛抱強く見守っていた。しょっちゅう腕時計を眺め、一日に何度も壁のカレンダーに目をやり、ときには歴史年表まで開いてみた。時間はひどくのろのろと、それでも決して後戻りすることなくぼくの中を通過していった。一分間にちょうど一分ずつ、一時間にちょうど一時間ずつ。時間はゆっくりとしか進まないが、後戻りはしない。それがその時期にぼくが身をもって学んだことだった。(『街とその不確かな壁』p,115)

 作品の概要は多くの媒体ですでに紹介されているので、必要な箇所のみ抽出する。18歳の「ぼく」は16歳の少女「きみ」との間で、かつて想像上の「壁の中の街」を作り上げた。しかしある日、「きみ」は姿を消してしまい、40代になった今でも「ぼく」は「壁の中の街」に固執し続けている。「きみ」の語りを「ぼく」が書き留めることで成立したのが「街」であり、『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』にも描かれていたパラレルワールド(下図)は、本作において「きみ」との間の二人称的な関係性の下に移し替えられている。

『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』に挿入されている地図

 「きみが語り、ぼくがそれを書き留める」(p,16)と、「壁の中の街」の姿を「目に見えるもの、言葉で描写されるものとして起ち上げていく」のが「ぼく」の役割である。一方、「きみ」の語る「街」は言葉と時間の不在によって特徴付けられる。「言葉少ない街で君は生まれて育った」(p,43)。中心にあるのは時計台と図書館であるが、「時計台は針を持たず、図書館には一冊の書籍もない」(p,43)。そこに生きる獣たちは「独自のサイクルと秩序」を持ち、「すべては規則正しく反復され」る(p,21)。「街」に戻れば「あの夏の夕暮れ、そのままの姿」(p,31)で「きみ」は立ち現れるが、「私は今ではもう、遥かに年上の男性」であり、「時の流れが私の心を刺す」。「ぼく」が言葉を操るのに対して、「きみ」は「言葉はどれもわたしの意図とは異なったもので、何ひとつ意味をなさないように思えるからです。だからずっと沈黙を守っています」と言う(p,130)。「きみ」の無時間的な世界から「ぼく」は言葉を持つがゆえに疎外されており、「きみ」の不定形で混沌としたイメージを言語によって形を整えてゆくのが「ぼく」の役割である。
 その試みは功を奏し、40代になった今では「街」のイメージが「ぼく」の心に刻まれている。そればかりか、主人公の周囲はあたかも「きみ」が語っていた「壁の中の街」に相似してゆく。例えば、第二部で主人公は、福島県Z **町の町営図書館に勤めることになるが、館長である子安さんの「はめた腕時計に針がついて」おらず、「あの時計台と同じだ、と私は思」う(p,273)。子安さんはのちに「影を持たぬ人間なのです」(p,287)と述べ、それに伴って北国の風景も「あの壁に囲まれた街での生活を思い起こさせ」(p,256)る。図書館もまた、「ただたくさんの本を集めた公共の場所というだけでは」なく、「なにより、失われた心を受け入れる特別な場所」(p,383)とされている。そもそも第一部では「街」の中では「私」、外では「ぼく」と一人称が使い分けられていたのに対して、第二部に至っては区分が失効している。「自分がこの今いったいどちらの世界に属しているのか。ここは高い煉瓦の壁の内側なのか、それとも外側なのか」(p,361)と述べられる通り、「きみ」と「ぼく」は多くの時間を共有することで、そして「きみ」が去った後も彼女の言葉を「頭の中で何度も反復する」ことで、「街」のイメージは主人公へと引き渡されてゆくのである。
 さらに、第三部では図書館にイエロー・サブマリンの少年が現れ、「私」が形成してきた「街」の記憶が彼に受け継がれる。少年も「きみ」と同じく「ほとんど誰とも会話をしない」(p,424)ばかりか、「ここでは時間は進行しない」(p,634)と無時間的な世界を生きている。彼が「知らない人と口をきくのは、相手の生年月日を尋ねるときに限られている」(p,424)が、そこで関心の対象となるのは「水曜日」などとやはり循環する曜日のみである。「それはなんと申しますか、継承のようなものであるかもしれません」(p,503)と、子安さんは「私」と少年との関係性について言う。

 「よろしいですか、あなたは既にじゅうぶんに彼の手助けをなさっておられるのです。なぜならば、あなたはあの少年の意識の中に、その『高い壁に囲まれた街』を打ち建てられたのですから。その街は今では彼の中に生き生きと根付いております。この世界よりも遥かに生き生きと」
 私は言った。「つまり、私の中にあったその街の記憶が、彼の意識にそのまま移されたということなのでしょうか?立体的に転写されるみたいに
 「はい、彼には生まれつき、そういう正確無比な転写能力が具わっているのです。このわたくしも、ああ、及ばずながらいくらかその手助けのようなことをしたかもしれないのですが」(『街とその不確かな壁』p,502)

 「私」は少年と一体化することで、「きみ」を出発点としていた「街」のイメージは彼へと「立体的に転写される」。これが前節で見た、世界の外で互いの内面を託し合う春樹の所謂「物語」のコミュニケーションと対応していることは見やすいだろう。しかも、これまで特権化されてきた地下という空間なしでそれが実現されている(図書館がその代替なのかもしれない)。このことは春樹作品としては珍しく、性と死の要素――それらは地下という空間に関連付けて描かれてきた――が本作には希薄であることに対応しているはずである。最新作『街とその不確かな壁』が従来の春樹作品から一歩踏み出しているとすれば、いわばこうした転写的関係性という人々の間の新たな繋がりを描き出しているからである(注1)。

 「永続的」という言葉から思い浮かべられるのは、海に雨が降っている光景くらいだ。ぼくは海に雨が降っている光景を目にするたびに、ある種の感動に打たれる。それはたぶん海というものが永劫に――あるいはほとんど永劫に近い期間にわたって――変化することのない存在であるからだろう。海の水は蒸発して雲になり、雲が雨を降らせる。永遠のサイクルだ。海の水はそうやって次々に入れ替わっていく。しかし海という相対が変化することはない。海は常に同じ海だ。手を触れることのできる実体であると同時に、ひとつの純粋な絶対的な観念でもある。ぼくが海に降りしきる雨を眺めながら感じるのは(たぶん)そういう種類の厳かさだ。
 だからぼくがきみとの間の心の絆をもっと強いものにしたい、もっと永劫的なもの・・・・・・にしたいと考えるとき、頭に思い浮かべるのは、雨が静かに降りしきる海の光景になる。(『街とその不確かな壁』p,66)

 16歳の「きみ」から「ぼく」に受け継がれた「街」のイメージは、最終的にまた16歳のイエロー・サブマリンの少年に託される。それはまさに「実体」としては入れ替わりながらも、「純粋な絶対的な観念」としては「永遠のサイクル」を保っている「海」のようなものである(一読してわかる通り、本作には「水」の主題系も貫かれている)。上記の雨の場面自体も、ラストシーンでやはり反復されることになる。「私が大切に守っていたすべての情景だ。その中には広大な海に降りしきる雨の光景も含まれていた」と、「私」の見ていた光景さえも少年へと転写的に引き渡されてゆくのである。
 ところで、上記の箇所には「もう一度、雨降りと海のことを頭に思い浮かべようとする。そのしんとした風景はぼくの健康すぎる性欲を少しは鎮めてくれるかもしれない」という文が続いている。転写的な関係性は、性的な問題が抑制されることによって浮上しているのである。このような作風の変化は、果たして「老い」なのだろうか。俗耳に入りやすい素朴な読みを行えば、そう作家の身体性に帰してしまっても良いのかもしれないが、ここではもう少し丁寧に補助線を引いておこう。
 「鼠の小説には優れた点が二つある。まずセックス・シーンの無いことと、それから一人も人が死なないことだ。放って置いても人は死ぬし、女と寝る。そういうものだ」(『風の歌を聴け』1979)。そもそも彼は、このように性と死を描かないという決断から出発していた。他方で、「『風の歌を聴け』の中で、僕はセックスと死について書かないというテーゼを出したわけです。それを全部ひっくり返してみたかった」と述べるのは、『ノルウェイの森』に際してであった(「聞き書 この十年1979〜1988年」『文学界』1991.4)。村上春樹という作家にとって性と死は、作品の方向性そのものを規定する重要な主題なのである。本作の旧バージョンである「街と、その不確かな壁」が、当初は『風の歌を聴け』『1973年のピンボール』に続く3作目の小説であったことを考えれば、むしろ彼は『ノルウェイの森』以前の姿勢に帰ろうとしているのかもしれない。
 あるいは、近年刊行の短編とも関連付けてみよう。『女のいない男たち』(2014)に収録された短編群は、いずれも妻の急逝や浮気によって孤独に苛まれる男性たちが主人公である(その巻頭作が、後に濱口竜介によって映画化された「ドライブ・マイ・カー」)。表題作「女のいない男たち」の主人公は、昔の恋人が亡くなったことを現在の彼女の夫からの電話によって知る。注目したいのは、「彼は世界でいちばん孤独な男なのだ」と「僕」が昔の恋人よりも、むしろ電話口の向こうにいる夫に思いを馳せている点である。

 僕は散歩の途中、一角獣の像の前に腰を下ろし(僕のいつもの散歩コースには、この一角獣の像がある公園が含まれている)、冷ややかな噴水を眺めながら、その男のことをよく考える。そして世界でいちばん孤独であることがどういうことなのかを、僕なりに想像する。世界で二番目に孤独であるというのがどういうことなのかはまだ知らない。世界で二番目の孤独と、世界でいちばんの孤独との間には深い溝がある。たぶん。深いだけではなく、幅もおそろしく広い。端から端までしっかり飛び切ることができず、力尽きて途中で落ちてしまった鳥たちの死骸が、そこで高い山をなしているくらい。(村上春樹「女のいない男たち」)

 「世界でいちばん孤独な男」と「世界で二番目の孤独」は「深い溝」を持ちながらも、ある女性との性的関係と死別という体験を共有することで、互いに別々のまま通じ合っている。ここでもやはり性と死の主題を通じて、世界の外で互いの内面を託し合う、あのイマジネールな関係性が描かれている。実際、彼らの間の「溝」にも、「鳥たちの死骸が、そこで高い山をなしている」と地下のおぞましい表象が付与される。「女のいない男たち」とは、そのような孤独でありつつも内面の底深いところで互いに通じ合った「冷ややかな複数形」の謂に他ならない。
 ところで、上記の箇所にさりげなく書き込まれた「一角獣」は、そうした「女のいない男たち」のあり方を象徴している。続く箇所では「ひょっとしたらその一角獣もまた、女のいない男たちの一員なのかもしれない」とされ、「いつも一人きりで、空に向けて鋭い角を勢いよく突き上げている。僕らはそいつを、女のいない男たちの代表として、僕らの背負っている孤独の象徴にするべきなのかもしれない」といささか通俗的にも、作品を通じて繰り返しそのファリックなイメージが強調されている。
 だが、清水良典も指摘する通り、旧バージョン「街と、その不確かな壁」や『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』では「街」を象徴するように登場していた「一角獣」は、本作では「単角獣」に書き直されている。ここにもやはり本作における性と死の主題の後退、そしてそれに伴って別の形で「物語」の共同性を立ち上げねばならないという事情が反映されているのかもしれない(注2)。こうした微細な変更は、単に「老い」から帰結されるものではあり得ないだろう。
 以上の通り、最新作『街とその不確かな壁』は従来の春樹作品の特徴を引き継ぎながらも、さらにそれを別の方向性へと推し進めようとした作品と見ることができる。こうした試みの数々を、失敗した「デジタル・リマスター」(福嶋亮大)などといった俗耳に入りやすい言葉で読み飛ばしてしまうのは、あまりにお粗末である。むしろ春樹のような形で、いま誰が小説の持つ可能性を肯定し得ているだろうか。時代の測量船としての村上春樹を、本作で厄介払いしようとすることは、まだまだ早計であると言わねばならない。

 どうか時間をかけて本を読んでください。我々も時間をかけて作品を書きます。(村上春樹「疫病と戦争の時代に小説を書くこと」)



(注1)ちょうどこの原稿を書き終えた後に、作家自身によるインタビューが掲載されていた(『日本海新聞』2023.9.23)。そこで春樹は、少年が主人公の耳を噛む場面を「引き継ぎの儀式」と位置付けている。ただし、留意しておきたいのは、そこから本作の主題が「子易さんのある部分を私が引き継ぎ、私のある部分を少年が引き継ぐ。その三世代の継承の物語」と説明されている点である。本稿では「きみ」→(「子易さん」→)主人公→「少年」という継承の過程を辿ってきたが、なぜか作家の説明からは「きみ」の存在が抜け落ちているのだ。先行論の多くでは作品全体への目配りが欠けていることから、それを意識して本稿は読解を試みてきたが、第一部に置かれた「きみ」と「ぼく」の恋愛関係と、第二部以降の世代的な継承の問題は、作家の中でまだ折り合いが付いていないのではないだろうか。

(注2)注1のインタビューでは、偶然にも、最近の神宮外苑の再開発の話題から、「単角獣」のことにも言及されている。「「街とその不確かな壁」に出てくる動物「単角獣」も神宮外苑にあるユニコーン像が出発点ですね」というインタビュアーの発言に対して、「そうです。「貧乏な叔母さんの話」(1980)で書いたユニコーン」と作家は返答している。「そもそもの始めは七月のある晴れた午後だった。(…)僕は散歩の帰り、絵画館前の広場に腰を下ろし、連れと二人で一角獣の銅像をぼんやり見上げていた」(「貧乏な叔母さんの話」1980)。

▶松田樹(まつだ・いつき)1993年、大阪府生まれ。愛知淑徳大学・創造表現学部助教。中上健次を中心に、戦後日本の批評と文学の研究を行う。「批評のための運動体」と銘打った同人誌『近代体操』の主宰・運営。主な論考に、「熊野への帰郷――中上健次『化粧』論」(『国語と国文学』2020・8)、「村上春樹の「移動」と「風景」」(『近代体操』2022・11)など。現在、中上健次に関する博論をもとにした書籍を刊行準備中。

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