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社会主義でも共産主義でも資本主義でも民主主義でもない新しい世界が必要

何だから、社会そのもののシステムが狂ってしまったように感じている謙也は、社会主義でも共産主義でも資本主義でも民主主義でもない世界が必要だと思っている。

1920年代から1930年代前半にかけて流行した文学で、虐げられた労働者の直面する厳しい現実を描いた「プロレタリア文学」が文壇を席巻した時代、「円本(えんぽん)の流行によって、文学者の収入が急増。しかし、まともな作家は、失業時代だったと聞いた謙也は、武者小路実篤がこんなことを言っていたのを思い出した。「自ら講談社を訪ねて、原稿を買って貰いに行ったくらいだ」と回想している。

「円本(えんぽん)とは、1926年(大正15年)末から改造社が刊行を始めた『現代日本文学全集』を口火に、各出版社から続々と出版された、一冊一円の全集類の俗称、総称。 庶民の読書欲にこたえ、日本の出版能力を整え、また、執筆者たちをうるおした。」(Wikipediaより)という内容だが、売れるの売れたが、書店や作家を含め被害者も多かった。

マルクスは、イコール現在に極悪な中国やロシアの共産主義、社会主義だと誤解するが、理想が高い主張で、間違って使っている中国やロシアとは別物だと謙也は思っている。「マルクス主義は、人々が労働者であるプロレタリアと、彼らを雇用し働かせるブルジョワに分裂していることを指摘し、ブルジョワの資産を社会全体の財産としようと主張している」

作家としては下記の人々が挙げられる。
* 藤森成吉(1892-1977)
* 葉山嘉樹(1894-1945)
* 黒島伝治(1898-1943)
* 徳永直(1899-1958)
* 鹿地亘(1903-1982)
* 松田解子(1905-2004)
* 平林たい子(1905-1972)
* タカクラ・テル(1891-1986)
* 宮本百合子(1899-1951)
* 谷口善太郎(1899-1974)
* 中野重治(1902-1979)
* 蔵原惟人(1902-1991)
* 小林多喜二(1903-1933)
* 窪川鶴次郎(1903-1974)
* 佐多稲子(1904-1998)
* 本庄陸男(1905-1939)
* 梅川文男(1906-1968)
* 宮本顕治(1908-2007)

「治安維持法と特別高等警察による社会主義、共産主義的思想の弾圧は年々厳しくなっていく。1933年2月20日に小林多喜二が築地警察署で獄死し、共産党員が続々と〈転向〉する中、プロレタリア文学も徐々に衰退していった。」厳しい現実がある。

そのプロレタリア文学が復活している要因は、貧富の格差の拡大やもがいてももがいても這い上がれない現実に対して、庶民の何か手を打ちたいという素直な思いがあると謙也は思う。

厚木市の七沢温泉旅館「福元館」は安政年間(1856年)創業の宿で、昭和初期に小林多喜二が小説「オルグ」の執筆で滞在した部屋が現存している。そこに謙也も家族で泊まった。多喜二の部屋は、文学者らしい質素で美しい部屋だった。同じ温泉の湯船に浸かっただけでも感動した。

「資本家は労働者を多めに働かせて「剰余価値」を生み出し「搾取」をします。つまり、労働力という商品だけが余計に価値を生み出すという特殊性をもっているから、資本主義が成立するということになります。資本主義社会では、資本家にならないと豊かにはなれないのです。」とマルクスは資本論で述べている。ある意味、マルクスは預言者でもある。

それがどうしたということにもなるが、なんか変だなと思っている人たちも多い。1兆円を持っている人と今日食う金もない人がいる。富の再分配が行われず、貧乏な人が何百倍も働いているにも関わらず、一向に生活が楽にならない現実。その一方で、簡単に富を築き、天文学的な金を持ち続ける異常者が数千人いる。何かおかしい。


謙也は、「資本主義の終焉」が叫ばれる今、もう一度読んでおきたい「資本主義誕生の歴史」というサイトで見つけた。「自由主義国家の政府?やつら、ただのブルジョアのガードマンじゃん。だから政府は、まず軍隊で外敵の侵入に備えつつ、警察力で国内の治安も守る。この二つさえあれば、自由放任経済はガッチリ守れることになる。資本主義体制で経済が絶好調なら、政治はジャマするなってことだ。」謙也は、もやもやが少しだけ解消した。

社会主義でも共産主義でも資本主義でも民主主義でもない世界が必要だと誰もが考えているのに、一向に進まない亀裂社会に苛立つ庶民。明日はないのかと模索する庶民。「慶応3(1867)年7月、三河国渥美郡牟呂村(現豊橋市)で端を発した「ええじゃないか」は、伊勢神宮などのお札の降下を契機に村中が臨時の祭礼を行い、民衆が「ええじゃないか、ええじゃないか」などと囃しながら乱舞した社会現象」がデモの意味合いが強く、再評価されている。不満を持った庶民の抵抗は、乱舞することから始まるのかもと謙也も思った。面白い、実に面白いと。


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