文豪乃冬目創玄

コミックの小説家でデビューしました。笑いをお届けしたいと思います。ペンネームは文豪乃冬…

文豪乃冬目創玄

コミックの小説家でデビューしました。笑いをお届けしたいと思います。ペンネームは文豪乃冬目創玄てす。 こちらにも https://note.com/bungo_3/

最近の記事

コーヒー一杯

毎朝、五杯分のコーヒーメーカーで沸かしている。五杯と言っても、マグカップでは、三杯しかないので、つまりが一杯、残り二杯を私がベランダで飲んでいる。何故、コーヒーが好きなのかというと、昔はコーヒーがメインの喫茶店が主流だったからだと思う。コミュニティの場が、そこしか無かった。驚くことに、まだ、五歳なのに、純喫茶につれなていかれたこともあった。もちろん、メロンソーダかなんかを飲んだ記憶がある。 未だ十歳の1961年に歌手西田佐知子がベネズエラの曲をカバーした『コーヒールンバ』が

    • 糖質制限がなんだ。それでもパンが食べたい。

      焼きたてのパンを食べている夢で起きた謙也。大概深夜に起きる。朝の零時頃だ。昔、インターネットの創世記には、電話回線が安い深夜の11時から早朝の6時まで、格安料金だった。今では笑ってしまうが、その時間に起きてネットを繋いだ。Wi-Fiなどない時代だ。その習慣が、七十歳になった今でも続いている。誰もが深夜まで起きていると錯覚していた。零時がスタートだった。 その習慣で、猫が活動する深夜に起こされる。ドアマンのように、深夜雨戸を開けて、待ち構えている猫二匹を外に出すことが謙也の生

      • ピンピンコロリも楽じゃない

        バスが停留所をどんどん進んだ。「定刻より早くいっているよ。とんとん拍子に、停留所に、人が居ないのをいいことに、どんどん進むわ。」10分くらい早く到着しいるはずだ。「運転手が怒ってるわけじゃじゃなく、素通りしていくのが怖かった」と優子の言う通り、「狂気を感じちゃう。冷静な殺人者や犯罪者のような感じがしたよ」と謙也もそう思った。まるでサスペンス映画に出てくる運転手のように思うのは、考え過ぎだろうが、そんな不吉な事を考えながらバスを降りて、二人はスーパー銭湯の「おふろの王様」にルン

        • 庭作りとレンガ菜園と

          袋麺の『札幌味噌』が一個残っていた。味噌といえば札幌。札幌と言えば北海道。北海道と言えば牧場。牧場と言えばバター。てなわけで、バターを投入。中々の味になる。最近、謙也はニラに凝っているので、冷蔵庫にあったニラを数本を抜いてラーメンに入れた。 ニラがお気に入りなったので、ホームセンターでニラの種を見つけた。感動の出会いだった。定石通り苗床に入れて育てながら、移植すると書いてある。謙也は煉瓦の隙間で育てたい。大根で成功している。ネットでは、キャベツやその他の野菜も、煉瓦畑で、育

        コーヒー一杯

          様々な思い出が走馬灯のように流れていく。人生は短し、されど人生は楽し。

          整形外科に何度も通っている謙也一家だが、タクシーで息子と二人で行った。病気を気にする太刀ではなく、ほっとけば治ると思っている。「私がお金を出すから、息子の腱鞘炎の治療のついでに行っておいで」と男気を出す優子。これ以上の拒否は、できないと謙也は、「明日、一緒に行くよ」と返事をした。内心、医者に糖尿病だと宣告されるのが怖いので、拒否し続けてきた経緯がある。 「葉梨整形外科」は、謙也一家の係り付けの医者だ。椎間板ヘルニアの手術から風邪まで、有りとあらゆる病気を診てもらっている。病

          様々な思い出が走馬灯のように流れていく。人生は短し、されど人生は楽し。

          何かに取り憑かれたような、未来はいつも面白い

          妻の優子が、足の指を骨折、息子が利き腕の腱鞘炎で痛みを訴えている。家族がなんらかの故障や怪我で、買い物へも出れない状態だ。謙也1人が何とか時間はかかるが、買い物くらいは行ける。「まるで、何かに取り憑かれたように家から出さないように仕向けられているようだわ」と優子の言う通り、家から出さない作戦のような気がしてくる。 今日は、地元の人しか来ないホームセンターの「クロガネヤ」に行ってきた。「今日は、一粒万倍日だから、苗を見てくるわ」と優子に言って出かけた。一粒万倍は「わずかなもの

          何かに取り憑かれたような、未来はいつも面白い

          男は強くなれという、女たちの罠

          とてつもなくファンタジーな夢を見た。全ての世界が、とても幻想的で、美に富んだアートな世界だった。そこには、悲惨や悲しみが全く無い、明るく陽気な異次元であった。辛い現実も暗い過去も消滅した世界に、驚く程の数の人たちが集まった。 そう、謙也が大好きだった百貨店が蘇った。百貨店は、人々に夢を売る場所だ。ディズニーよりも、欲深い人達も集まる場所。謙也がプロデュースし、妻の優子がデザインし、息子たちが装飾し、数々のデザイナーやイラストレーター、アーテストが参加した華やかなルネッサンス

          男は強くなれという、女たちの罠

          檸檬と火起こしと走れ謙也

          火を操れる人間は、この火で文明を作った。聖なる火は、全員に生きる勇気と生命の躍動を与える。人間には、真っ赤な血が流れている。まるで、その血を奮い立たせるように火は我々にやる気と底力を与えれくれると謙也は思った。 世界三大宗教である、キリスト教、イスラム教、仏教に大きな影響を与えたと言われるゾロアスター教。イラン・ヤズドの拝火神殿で、聖別された火を管理する神官。ゾロアスター教は善の象徴として火を尊び、信者は火に向かって礼拝を捧げると言われていた。聖火や拝火など火は、神に近い存

          檸檬と火起こしと走れ謙也

          つまらない時代だから本当の笑いを

          謙也は午前〇時頃起きて、今時分の3時30頃に腹が減る。台所で昨日の残り物を探す。白飯と味噌汁が残っていた。白飯は丼に半分、味噌汁は、僅かにガスコンロの上の小さな鍋に残っていた。極め付けは、アヒージョに使った唐辛子やニンニクが入ったオリーブオイルだ。面倒くさいとこれも温めてから白飯にかけた。新感覚のネコまんまが完成した。これが結構いけるのだ。 西洋と東洋のミスマッチ。口の中に残る唐辛子とニンニクの味。味噌汁独特の芳醇な香り。新しいものを発見したと喜ぶ謙也に褒める人もいない。な

          つまらない時代だから本当の笑いを

          美佐江のバルセロナ放浪記

          美佐江は、まだ高校2年生だ。女子校の中で、目立たない存在だ。短大の文学部に入って、会社勤めをして、そこでかつこよくなくてもいいから、真面目な男性と結婚して、子供を産んで、慎ましい家庭を作りたいと思っている。 昭和の時代は、慎ましく社宅に住み、貯金をして、いずれ郊外の一戸建ての家を持って、家族仲良く暮らすのが、みんなの共通の夢だった。サラリーマンと言う言葉が定着し、誰もが真面目に働いて居れば、郊外だが家を持てた時代だ。 そんなレールの上を走れば、平和な家庭が築けた。そんな夢

          美佐江のバルセロナ放浪記

          白湯と酒とシルクと女と

          「さっき、ここに置いた水が無くなったんだけど」と優子が慌てて、皿に浮かした切り花の花にあげた水が空っぽだったのに気付いた。人間が飲むわけがなく、ほっておいたら、どうやら雄猫のみーちゃんがたっぷりとあった水を飲み干したようだ。 怪奇現象かと思った謙也は、大笑いしている。「そんなことってあるんだね」と皿を覗くと、花だけが残って、空っぽだった。花に魅せられて飲んだのか、香りなのか、花の色なのか、猫にしか分からない。実際に飲んでいる最中の姿を見て無いので、分からない。飲み干した皿を

          白湯と酒とシルクと女と

          バスを待つ間にパチンコおばさん登場

          コミバスを待つ間、微妙に時間があったので、バス停の近くにあるコンビニに行き、さけるチーズをあてに、ストローで飲む日本酒、たったの108円で鬼ごろしを買った謙也。誰もすわっていない丸いベンチに腰をかけて呑み始めたら、スーうとバス待ちの八十歳だというおばあちゃんが座って、素面で話しかけてきた。若い女の子なら、大歓迎だが、おばあちゃんだ。 興味ないので、軽く遇らうつもりで聞き耳を立てたら、大金持ちで、土地を売っ払って三万円ちょっとのアパート暮らしだという。ボケてはいない。はっきり

          バスを待つ間にパチンコおばさん登場

          日本の中のフランスのような葡萄園の思い出。

          謙也の高校時代に相模原市にワイナリーの広大な葡萄園があった。謙也は、親友の光ちゃんと女性のシャンソン歌手が来ると言うワイナリーに二人で訪ねた。無知のなせる技だった。 電車とバスを乗り継いで会場に到着した。大勢の音楽関係の大人達や若干のセレブ、ワイン愛好家、フランス人など、大勢の客が、ワイングラス片手に談笑していた。「どこにいるんだろう」と光ちゃんは、好奇な目でシャンソン歌手を探した。意外にも、彼女はひとりでパーティ会場として設営されたブドウ園の中でぽつねんと佇んでいた。

          日本の中のフランスのような葡萄園の思い出。

          コーヒーと茶道とキャンプと

          毎日のように深夜に猫が、襖をガリガリする音で起こされる謙也。それでも居間と寝室がわりにしている和室で寝ている謙也は起きる。すぐにトイレで用を足して出てくると、台所の食洗機から洗い終わった皿や箸、スプーンなどの食器を全部、それぞれの棚に入れる。ほんの十分をあれば終わる。「食洗機の下にあるゴミの部分も綺麗にしておいてね」と妻の優子に口が酸っぱくなるほど言われているので、ゴミのトレイを水洗いして終了だ。 それが終わると猫が台所の狭いスペースのテーブル部分で座って待っている。静かに

          コーヒーと茶道とキャンプと

          春が来た 春が来た どこに来たの

          雨が庭を激しく濡らす。桜雨、花の雨、春時雨(はるしぐれ)、春のにわか雨、桜のころなら「花時雨」など、様々に雨を示す言葉がある。桜雨は、まさに今を表していると謙也は思った。一方、性的な欲望の「春情」 や活動の盛んなとしごろの青年期の「青春」など春は様々に使われる。それだけ使い勝手がいいワードでもある。 春は花々や木々の芽吹きの季節。若葉、青葉が咲き乱れ目にも爽やかな季節だ。これからソメイヨシノの桜が咲く。青空がピンクに染まる。誰もがこの時期を待ち焦がれ、桜の木の下で宴会が行わ

          春が来た 春が来た どこに来たの

          社会主義でも共産主義でも資本主義でも民主主義でもない新しい世界が必要

          何だから、社会そのもののシステムが狂ってしまったように感じている謙也は、社会主義でも共産主義でも資本主義でも民主主義でもない世界が必要だと思っている。 1920年代から1930年代前半にかけて流行した文学で、虐げられた労働者の直面する厳しい現実を描いた「プロレタリア文学」が文壇を席巻した時代、「円本(えんぽん)の流行によって、文学者の収入が急増。しかし、まともな作家は、失業時代だったと聞いた謙也は、武者小路実篤がこんなことを言っていたのを思い出した。「自ら講談社を訪ねて、原

          社会主義でも共産主義でも資本主義でも民主主義でもない新しい世界が必要