やなことあったらアイス買って帰ろう
「やなことあったらさ、アイス買って帰らない?」
高校時代からの友人の言葉だった。
自分の中では結構な落差のある躁を体験し、
緩やかに落ち込み期に入りつつある時、電話してみたときのこと。
事の発端は、
「病院、行ったほうがいいかな?でも行って何かになるかな?」
という相談からだった。
自覚する限りでは明らかにADHD(ネットでの判断だからなんとも言えない)と緩やかな躁鬱。名前をもらうことに意味がない気もするけど、自分で何とかできる話ではないこともわかっていたからぐるぐる悩んでいた。
これまではこの自分の特性が気にならなかった環境だったものの、仕事で求められれば求められるほど、どうにもならない壁の輪郭が見えるような感覚だった。支障をきたしているような気がしていた。
調べれば調べるほどそうなんじゃないかという気がしてくる。
(ネットってそういうものだけれどね)
ただこれまで経験してきた鬱というか、落ち込み期と大きく違うこともある。それは落ち込み機の割に自分がピンピンしていることだった。
身体は動く。働けないわけじゃない、演劇だってやろうとしてる、
全てに絶望しているわけじゃない。全部自分が悪いとは思わない。(自分が最強だったら解決する話だとは思うことは多々あるけど)
ただ、”漠然とした不安定さ”がいるくらい。
ただそれのせいで靄がかかるというか、思考が止まるというか。
自分にしかわからない自分の違和感。
「今のままでいいのかずっとわからないこと」
「会社での立ち位置に疑問を抱き始めてしまったこと」
自分の土台になってきた事象に対して疑念を抱いて
揺らぎ始めたのが始まりだった。
ポロポロと言葉にしながら整理してもらいつつ、自分でも整理していた。
そして色々話す中で、
自傷行為ができないのも小さな負荷になっている話をした。
傷をつけることで、ガス抜きのような感覚はあるけれど、
傷が見えることで配慮すべき事項もすごくあって。
その時に友人が言ったのは、
「やなことがあったらアイス買って帰らない?」
呑気に、演劇的なセリフを吐くやつだなあと思った。
「自傷行為で救われる感情があるのもわかるものの、
他にも救い方はあるのだから、試したほうがいい」
という言葉には納得だった。
本をたくさん読んでいる奴の言葉は違うなあと考えていた。
「2000年かけて解けない人間の哲学を20年やそこらでわかるわけない」
それはそうだなあと考えていた。
今日は大雨、落雷の日でコンビニに行くのはやめたけど、
電話をしながらアイスを買って帰りたくなった。
「自分が一番面白い他者」だと言った彼のまやかしを信じてみたくなった。
今、自分のことが客観的に見えるというか、他人的に見える今だからこそ、そういう見方もありだなと思った。
友人が好きな哲学者はエピクテトスと言うらしい。
人は誰しもいろんな役割をいろんな仮面(役)でもって振る舞っていると言う話。これが混ざると混乱するってことだと解釈した。
自分を異化するみたいな。
演劇的だ〜〜。やっぱこいつ賢すぎる〜〜〜。って思っていた。
こういう些細な話に付き合ってくれる友人がいるのはいいことだ。
というかこういう友人がいる自分が面白い。
数日後の私はどんな私に何について書きたいと思うんだろう。
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