【映画】「オードリー・ヘプバーン」感想・レビュー・解説

オードリー・ヘプバーンの孫が、こんな風に言う場面がある。

【世界一愛された人が、愛に飢えていたなんて悲しい】

同じ人物が、こんな風にも言っていた。

【父が、「オードリー最大の秘密を教えてあげよう。それは、常に悲しみを抱えていたことだ」と言っていた】

有名人の自殺の報に触れる度、僕たちは「有名で誰からも好かれているように見える人でも、切実な孤独を抱えているのだ」と思い知らされる。だから、「オードリー・ヘプバーンが孤独を抱えていた」と知っても、そのこと自体には驚きはない。

彼女自身も、

【人生で一番良かったことは、経験した苦しみを後に自分を助けるのに使えたこと。
そして無条件で愛せたこと】

と言っていた。話を綺麗にまとめようとするならば、「辛い経験こそが、彼女の人生を輝かせることに繋がったのだ」と言えるだろう。あまりにも陳腐な言い回しではあるが。

【新たな女性像を創った】

【ハリウッド黄金期の最後のスターの1人】

【突然「新型」として現れたの】

『ローマの休日』で一夜にして世界的な名声を手に入れ、現在に到るまで、時代を越えて様々な「アイコン」と認められているオードリー・ヘプバーンは、ずっとバレエを習い、踊っている時だけは不安を忘れることができ、ダンサーになりたいと願う女の子だった。演技の仕事は「生計を立てるための手段」に過ぎなかったそうだ。しかし同じ月に起こった2つの偶然が、彼女を『ローマの休日』へと導き、世界的スターへと上り詰めた。

【フワフワした役柄が多かったけど、そんなキャラクターに重力を与えるのが上手かった】

【『ティファニーで朝食を』の著者カポーティは、オードリーはホリー役には優雅過ぎると感じていた。もっと軽薄な、男の添え物であるような女性であると。彼女は、マリリン・モンローの代役だったが、しかし新たなホリー像を作り上げた。単なる娼婦ではない、深みのある人物へと昇華させた】

様々な人物が、彼女の「女優」としての才覚を褒め称えていた。オードリー自身は、

【私はシャイだから役者には向いていない。ダンサーならまだ許されるだろうけど】

と語っていたが、カメラの前に立つオードリーを誰もが絶賛した。

また、『ティファニーで朝食を』の試写を観た幹部が、「『ムーンリバー』はカットだ」と言ったそうだ。しかしそれに対し、「死んでも許さない」と猛反対したと、オードリーの息子が語っていた。結果として、オードリーが「ムーンリバー」を歌う場面は、映画を代表する名場面となった。彼女はプロデュース能力も圧倒的だったのだ。

それはこんなエピソードにも現れている。『麗しのサブリナ』の衣装製作のため、ユベール・ド・ジバンシィが初めてオードリーと会う段取りとなった。ユベールは最初乗り気ではなかったそうだが、やがて2人はお互いの類似性に気づき、お互いに魅了されていく。そして、ユベールとオードリーが生み出したスタイルこそ、「オードリースタイル」と呼ばれているのだそうだ。

このエピソードを語っていたデザイナーは、ユベールとオードリーのことを「芸術家と芸術家」と呼んでいた。オードリーは、服を着る単なるモデルではなく、ユベールと共にドレスの制作に携わる側としてもその存在感を発揮していたというわけだ。そのデザイナーは、

【ファッション史において重要とされるドレスの多くは、ジバンシィがオードリーのために作ったものだ】

と言っている。ユベールも凄いが、やはり服を着る側であるオードリーのプロデュース能力も不可欠だっただろうと思う。

僕は、演技やファッションのことはよく分からないが、オードリー・ヘプバーンに対して感じる凄さは、「全盛期のオードリー・ヘプバーンが、無名の存在として現代に現れても、その存在感は間違いなく通用するだろう」と感じさせる点だ。

例えばだが、僕の印象では、マリリン・モンローが無名の存在として現代に現れた場合、かつてと同じような存在感を発揮できるかは分からないと感じる。なんとなくだが、マリリン・モンローは「時代が求めた存在」みたいなイメージがあるし、少なくとも僕は「マリリン・モンローという存在」に「普遍性」を感じることはない。

しかしオードリー・ヘプバーンは、全盛期のスタイルのまま現代に現れても、「現代に通用する存在感」を発揮すると思う。恐らく、未来永劫そんな存在として捉えられるのではないかと思う。その「普遍性」に、凄さを感じる。

さて、そんなオードリーだが、冒頭で触れた通り、彼女は人生のほとんどの時期で「苦しみ」を抱えていた。映画を観る限り、ロビーという男性と出会ってからの晩年は、それまで抱いていたような「対人関係に対する不安」からは大分解放され、穏やかになれたのではないかと感じた。晩年は晩年で、ユニセフでの活動により別のストレスを抱えることになってしまったのだが、総じて彼女の晩年はかなり穏やかだったと言っていいのではないかと思う。

しかし、それまではずっと「飢え」を感じていた。

子どもの頃は、文字通りの「飢え」を耐え抜いた。ドイツ軍が占領するオランダで、食べるものを確保できない厳しい環境を生き抜いていたのだ。終戦時、彼女を含めた多くの子どもが栄養失調に陥っていたという。そしてその時にやってきたユニセフの人たちに救われた。晩年、彼女がユニセフの活動に没頭するのは、この子ども時代の経験があったからだ。

【私の人生は、その頃の記憶で形作られている。あの苦しさと貧しさは、今でも息づいている。】

また、オードリーについて語る多くの人が、彼女の「心の傷」について触れていた。まさにそれは「愛への飢え」と言っていい。

映画ではあまり具体的に触れられなかったが、オードリーの母親はかなり辛辣な人物だったそうで、オードリーは自分を「醜い」と思っていたという。ある場面で、「顔のパーツの何もかもを変えたい」と、そのコンプレックスを語っていた。

【美しさは見た人が感じるものよ。自分では見ることができない。だから朝起きたら、綺麗に見えるように全力を尽くす。】

また、オードリーが死の間際のこんなエピソードを息子が語っていた。入院していたオードリーに、2~3週間付きっきりで一緒にいたという息子は、その期間に母と様々な話をしたという。その時のことを振り返って、彼は、

【母は、自分には何か欠陥があると感じていたようだ。しかし、そう感じて生きるのはよくないとも考えていた。だから前に進むことができた。】

と語っていた。ありきたりな言葉でまとめれば、「自己肯定感が低い」ということになるだろう。

そこにはもう1つ大きな原因があった。両親の離婚だ。オードリーは、突然父がいなくなってしまったことが理解できなかった。そしてそのことに、生涯苦しんだと多くの人が語っている。

彼女がいかに父親の失踪に苦しんでいたのか分かるエピソードがある。既に世界的な名声を得た大女優オードリー・ヘプバーンは、父親の失踪から25年後の1964年、父親の行方を知りたいと意志を表に出す。赤十字の協力でアイルランドにいることが分かり、彼女は会いにいくのである。

その時の話をオードリーから直接聞いたという友人は、こんな風に語っていた。

【泣きながら話してくれたよ。父は冷たかったと。再会を喜んではくれず、傷ついたと。】

彼女は結局、「なぜ自分を捨てたのか」と聞けなかったそうだ。そして、もう父のことを許そうと決断する。

しかしだからと言って、彼女の中から「捨てられることの恐怖」が消えたわけではなかった。誰と関係を築いてもそうだったが、特に男性との関わりでは顕著だった。恋愛や結婚は彼女を癒やしてはくれない。その理由の1つは、相手に「父親像」を求めてしまっていたからではないか、と語っていた人物もいる。

オードリーは、何よりも「家族と過ごす普通の日々」を求めた。映画の撮影のために、息子の子育てから離れなければならない苦しさに耐えられず、彼女は女優としての絶頂期に10年もスクリーンから遠ざかった。映画関係者の多くはその決断を「信じられないもの」と語っていたが、オードリー自身は、

【家にいる方が幸せなの。
それは決して犠牲なんかじゃない。】

と言っていた。本当にその通りなのだろう。オードリーは一時期ローマに住んでいたが、ローマでは人々の噂好きやパパラッチに悩まされた。家族とのプライベートな時間が侵食されていると感じ、大きなストレスを抱えていたそうだ。その後、スイスにある、フランス語で「静寂」を意味する「ラ・ペジブル」と呼ばれる建物で静かに暮らした。この地で出会った多くの「普通の友人」と、穏やかな日々を過ごしたそうだ。

オードリーは、

【愛せる相手を見つけられただけでも幸運。
愛されればもっと幸運。】

とも語っていた。「愛される」という点では、オードリーはかなり不遇の人生を歩んだと言わざるを得ないが、「愛する」という点では類まれな才能を発揮した人物だった。

オードリーはもちろん、身近な人間も愛した。面白いエピソードがある。映画に登場した、確かプロデューサーであり友人であるという女性が、当時6歳だった息子に、「オードリー・ヘプバーンは映画スターなの?」と聞かれたそうだ。「大スターだよ」と答えると、「じゃあどうして映画スターらしく暮らさないの?」と言われたという。カメラの前以外では、シンプルで普通を好む人だったそうで、そんなスタンスで周囲にいる人間と別け隔てなく接したという。もちろん、家族との時間は何よりも大切にしていた。

しかしそれだけではない。少し触れたが、オードリーは晩年、ユニセフの活動に膨大な時間を割くことになるのだ。

正確には覚えていないが、確か、オードリーの両親がチャリティイベントを企画し、そこに呼ばれたオードリーが、戦争体験を語るように促され、それを聞いていたユニセフの誰かがオードリーに親善大使を打診した、という流れだったそうだ。子どもの頃に自分を救ってくれたユニセフに関われることは、彼女にとって非常に大きな出来事だったそうだ。

「女優の仕事が一段落したら、世界中を飛び回るのは止めて一つ所に落ち着き、ゆったり過ごしたい」と考えていた彼女の計画は外れ、ユニセフの親善大使として世界中を飛び回ることとなった。どこへ行くのにも彼女は、その国の政治や情勢を学んでいたという。友人のカメラマンは、仕事柄世界中に足を運ぶことが多かったこともあり、常にオードリーから「あの国はどんな感じ?」「あそこで何を見たの?」と質問攻めだったそうだ。

結婚こそしなかったが晩年を共に過ごしたロビーは、オードリーに休みを取らせたいと考えていたが、「ユニセフの人に頼まれるとどこへでも行ってしまう」と嘆いていた。

彼女にとっては決して他人事ではなかった。自身も飢えに苦しんだ経験がある。目の前で亡くなる子どもたちの姿を見るのは耐えられないと言っていた。そんな彼女の、ユニセフに関わる仕事ぶりについて、「利他的な人」「無私無欲で働いた」と多くの人が語っていた。

オードリーがPRすれば毎回100万ドルは寄付金が集まるし、ある時はアメリカの公聴会に出席してスピーチを行い、1時間で6000万ドルの追加予算を勝ち取ったこともあるそうだ。ある人物は、「世の中のために自身の名声を使った」と評していた。本当に素晴らしいと思う。

しかしオードリー自身は、

【自分が本当に役に立っているのか心配になる】

と零していたという。とにかく心配性だったそうだが、少なくともユニセフに関していえばその心配はまったくの無用だろう。映画では、「オードリーがユニセフに関わるようになってから5年で、ユニセフの規模は倍になった」とその影響力の大きさについて触れられていた。たった1人の人間がもたらす影響力としては凄まじいと言えるだろう。

【人間というものを本当に愛していた】

ある人物がそんな風に語っていたが、まさにその通りだと思う。

オードリー・ヘプバーンのように、その凄まじい才能でセンセーショナルに世に登場し、その名声を長く維持し続けた人物は、人類の長い歴史の中から拾い上げればそれなりにはいるだろう。また、オードリーと同じように、人類愛に満ち溢れた人物もそれなりにはいると思う。しかしその両方を圧倒的なレベルで兼ね備えた人物などそうそういるものじゃないと思う。僕が今思い浮かべられるのは、マザー・テレサぐらいだ。寄付や慈善事業の規模で言えば、ビル・ゲイツを含めてもいいかもしれない。

とにかく、これまでの人類の歴史の中で、これほどの要素を兼ね備えた人物は数えるほどしかいないだろうと思わされる、凄まじい人物だと感じた。

ある人物が、「有名人が、みんなオードリーのように生きれば、世界は変わる」と言っていた。もちろん、オードリーのように生きるのは相当ハードルが高い。誰もが真似できるわけじゃない。ただ、有名無名に関係なく、多くの人がオードリーの1/10程度でも世界に関心を持てば、それだけで世界は大きく動くのではないかと思う。

僕にはそんな可能性はほぼないだろうが、万が一僕が「名声」を手にできたなら、オードリーのように「世の中のため」に使える人間でありたいと思わされた。

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