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さくら。

咲いてはすぐに散ってしまう桜を見ていると、忙しない気持ちにさせられる。桜は飽きられる前に散るから賢いなあ、と好きな作家が呟いていた。好きになったからには飽きずにずっと読み続けるつもりだが、無理に咲き続けろなんてことは、軽々しくは言えない。

酒が飲めず間が持たないので、花見は苦手だった。周りはどんちゃん騒ぎ。酔いの勢いで言ったことなんて、明日にはみんな忘れているのだろう。それに引き換え自分の声は、隣人にすら届かない。トイレにも行かずに飲み続けるあの人の、体のどこにあれだけの水分を収める甕があるのだろうか。日も暮れて寒くなってきた。地べたに敷いたブルーシートに接着しつつある尻も痛い。そろそろ一人になりたい。家路が恋しい。桜は歩きながら見るくらいがちょうど良い。本当は、もしもお酒が飲めたなら、とも思っている。

桜の季節という曲の、作り話に花を咲かせ愛を込めてしたためた手紙を自分で読んで感動する、というおかしな描写がとても好きだ。

疫病で床に臥せっている間に、染井吉野は見ごろを終えていた。この写真は、まだ元気だった時に撮った三分咲き。これぐらいの、瑞々しいこれからという咲き具合の方が、グイグイの満開より好みかも知れない。満開を見られなかったことへの僻みではない。

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