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自意識は森の中へ。

僕は、自撮りが出来ない。それは、自分で撮った"キメ顔"を誰かに見せるといった行為に恥ずかしさを感じる故の話である。自撮りをしたり載せたりしている人を見ると、自分に自信があって良いなぁと思っていたのだが、『東京百景』を読んで、自信の無さが問題なのではなく、自意識の高さが邪魔をしていたことに、今更ながら気がついた。他人事に感じていた自意識過剰とは自分のことで、人前で緊張する性格もそれが原因のようだ。

いつかアー写(自分が納得のいく自分の写真という意味)を誰かに撮って欲しいなと思うこともあるけれど、もはや被写体が自意識を捨てることが必要なので、結果は同じであろう。そして、よくよく考えてみると自撮りどころでは無く、結婚式などで撮られる集合写真も苦手だった。付き合いで写り込むものの、なるべく後ろの目立たないところが僕の持ち場である。誰も気に留めてないよ、と客観的に伝えても、自意識は切れない存在であった。

ただ、気を許せる人に撮ってもらったり森の中にいる写真は、いい顔してるなー、と自分でも思えることが多い。僕にとっての"自意識の捨て場"は森の中。思い出とともに自意識も毎回持ち帰ってしまっているが、出来ることなら足跡とともに置いてきたいものである。穴を掘って埋めたら、そこから木でも生えてくれればなお良い。

又吉作品は、小説と同様にエッセイもとても楽しめた。大切な人たちとの日常と頭の中がドラマチックに綴られていて、心が動かされる。決して輝いていなくても、もう10代ではなくても、青春は続いているのだ。それは、誰の人生にも当てはまるのだろう。

彼の書く文章はこんなに好きなのに、ピースのネタを見た記憶がないので申し訳なく思っているが、折角ならテレビではなく、生で観に行きたいと考えている。なるべく後ろの目立たないところが、僕の持ち場である。


東京百景:又吉 直樹(※以下角川文庫HPより引用)

振り返れば大切だったと思える、「ドブの底を這うような」青春の日々の記憶
死にたくなるほど苦しい夜には、これは次に楽しいことがある時までのフリなのだと信じるようにしている。
のどが渇いてる時の方が、水は美味い。
忙しい時の方が、休日が嬉しい。
苦しい人生の方が、たとえ一瞬だとしても、誰よりも重みのある幸福を感受できると信じている。
その瞬間が来るのは明日かもしれないし、死ぬ間際かもしれない。
その瞬間を逃さないために生きようと思う(九十九「昔のノート」より)

芥川賞受賞作『火花』、4月公開の話題の映画の原作小説『劇場』の元となるエピソードを含む100篇のエッセイからなる又吉文学の原点的作品『東京百景』が7年の時を超えて、待望の文庫化。
18歳で芸人になることを夢見て東京に上京し、自分の拙さを思い知らされ、傷つき、苦しみ、後悔し、ささやかな幸福に微笑んだ青春の軌跡。
東京で夢を抱える人たちに、そして東京で夢破れ去っていく全ての人たちに装丁を一新し、百一景と言うべき加筆を行い、新しい生命を吹き込んで届けます。

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