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ホンモノの師匠、ニセモノの師匠。


もしいまあなたが誰かに師事しようとしているなら、

あるいは既に誰かに師事しているなら、

ぜひこの記事を読んでみて欲しい。


私は一般社団法人を立ち上げ、認定講師制度をスタートさせた。

ビジネス数学インストラクター。

公益財団法人日本数学検定協会が認定する、公的な指導者資格だ。

詳しく知りたい方はこちらで。


では本題。

昨年は4名の認定インストラクターを輩出した。

つまり私は師匠となり、弟子が誕生したことを意味する。

師匠・弟子という表現が適切かは個々の主観もあるだろうが、

誰もが概念を認識できる共通言語という意味でここでは使うことにする。

あなたのしっくりくる言葉があれば、それに置き換えて読んで欲しい。


師匠になるずっと前から、私には「師匠論」があった。

平たく言えば「師匠とはこうあるべきだ」という持論だ。

難しいことを言うつもりはない。

極めてシンプルなことだ。


いわゆる師匠には2種類ある。

ホンモノとニセモノだ。

それじゃわからん?

そうですね。


ホンモノ=弟子が自分を超えることが最高の喜びと思っている

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ニセモノ=弟子が自分を超えることなどあってはならないと思っている

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こんなにわかりやすい比較はないだろう。

あまりに美しい。



ニセモノの師匠は、弟子を作る(育てる)体で、

実は自分の都合いい駒を集めているだけだ。

だから、自分を超える存在が出てくることをとても嫌がる。

「飼い犬に噛まれる」に似た感覚を持っている。

自分の私利私欲が目的だからだろう。



ホンモノの師匠は、弟子が活躍し、自分を超えていくことを心から喜べる。

例えば野球選手のイチローさん。

サッカー選手の本田圭佑さん。

彼らにも幼い頃に師匠がいたはずだ。

そしておそらくその師匠よりも野球(あるいはサッカー)が上手になった。

ある意味で、師匠を超えたことになる。

その事実をイチローさんや本田圭佑さんの師匠が不快に思っているわけがない。

これほど嬉しいことはない。

誇り高く思っているはずだ。

これが師匠という存在の正しいメンタリティだと思うわけだ。



自分の私利私欲ではなく、

誰かの成功や幸せのために「師」という役割をしているか。



これは、とても大事なことだと思う。

私は自信を持って言えます。

教え子には、いつか私を超える研修講師になって欲しい。


私がビジネス数学エグゼクティブインストラクターなら、

ビジネス数学スーパーウルトラプラチナエグゼクティブレジェンドインストラクターが誕生して欲しい。

(↑ 名称( ・∇・) ↑)


それが公的な指導者資格の認定を任された私の、

師匠として弟子を持つ立場になった私の、

誰よりもビジネス数学教育を世界に広めたいと強く願う私の、

最高の喜びなのです。


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↑  私だ( ・∇・)



ホンモノの師匠が最高に嬉しいのは、自分を超える弟子が誕生したとき。

私にもいつかそんな時が来る。

今からそれが楽しみで仕方がない。



私はこの記事で何が言いたいのか。

もしいまあなたが誰かに師事しようとしているなら、

あるいは既に誰かに師事しているなら、

見極めた方がいいということ。

その師匠はホンモノなのか、ニセモノなのか。

何を喜びに「師」という役割を担っているのか。

尋ねても本音は聞けません。

よく観察することです。

よく発言を聞くことです。

もしその師匠が「厳しい」人なら、

その厳しさの本質を見極めることです。

超えて欲しいから厳しくしている人か。

超えて欲しくないから厳しくしている人か。



これから師匠を選ぶすべての人へ。

すでにいま師匠がいるすべての人へ。

最後までお読みいただきありがとうございました。



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最後までお読みいただきありがとうございました。
国内でただひとり、ビジネス数学教育家。
ビジネスパーソンのための数学教育を提唱し、企業人の育成に貢献しております。
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