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「未来の万博プロジェクト(仮)」リサーチ経過報告1

現在、僕は「未来の万博プロジェクト(仮)」のためのリサーチを進めている。その経過をここに残して行こうと思う。現在まっさら。このプロジェクトは一緒に勧めてくれる人を募集中なので、もしこの文章を読んで「なんかやりたい!」と思う方はどんどんお声掛けください。

1 きっかけ

このプロジェクトを思いついたきっかけは、「トニョーカ演劇祭」を開催したこと。自分たちが相手取っていた違和感の正体は、どうも「豊岡演劇祭」の背後にあるなにかのようだ、ということに気がついたことからだった。今ここに疑いようがないほど確かにあるのに、無いことになってしまう人やものの声を聞き取らなければ、との思いがあった。その思いは強くなり、「わたしたちの」といえる何かを作るプロセスを作る方向に舵を切っていった。そして、その問題は、どうやら今オレたちだけの問題じゃないらしい、と気がついた。誰かに決められた自由意志と、生きてるのに死んでる顔で電車に乗る人々や、文化の鎧をまとって心は微塵も動かない人々や、自分の内側からの声に耳を傾けず病んでいく人々や、資本や国家イデオロギーに勝手に決められた「理想の未来」「理想の街」、そしてそこに至るための「合理的手段」に線引され排除されるいくつもの声。考えただけで満足して現実を再生産する「はなくそみたいなインテリ精神」。SNSで個別最適化という孤立をさせたのち家畜の給餌のように口元まで運ばれてくる快楽物質としての情報の洪水。西洋白人中心主義の隠された支配と、抑圧された人々が起こす一大スペクタクルとしての戦争。破壊は均衡を超えて、地獄の門が開きっぱなしで向こうからは核の歌が聞こえてくる。。。
そんな状況でも演劇は演劇に閉じこもり、芸術は芸術の枠の中で自家発電を繰り返していて気味が悪いです。他にすることが、こんなにもあるだろ、と思ってしまいます。そして、孤独を感じます。声を上げることも、怖いです。

芸術は決定的におかしくなっていると感じる。もともとなのかもしれないけど。どうすればこの状況を変えられるか?もしくはまったく別の小さくても確かな流れを作って、世界を複数化できるか?小さな流れ同士が繋がり、やがて竹の根っこのように繋がっていくことを期待します。これは僕のアーティストとしての地位や名声の向上、収入の増加などとは全く別の原理で回ってる切実な問題です。この感覚を無視した途端に精神が蝕まれていくようなのです。

そのためのプロジェクトが「未来の万博プロジェクト(仮)」。
これらの問題を共有し、深め、広がりを持つためにぴったりのことばが、「万博」だと直感しています。

1970年に開催され、色んな意味で伝説となった大阪万博。生まれる以前の出来事だけど僕でもよく知っています。
そしてそれから55年後の2025年。また大阪万博が行われます。

国家の威信をかけて、経済の成長をかけて、「いのち」や「みらい」ということばをかけて、未来の廃墟は再び現れます。人間は、この55年の間一体何を学び、何を得てきたのか、試されることになるでしょう。

わたしも、一人であっても、万博をします。でも、反博(万博に反対した当時のアーティストたちの運動)のようなことはしません。逆に盛り上げてしまいます。
丁寧に、ことばを解いて裸になれるように、静かで小さくて、でも確かな万博をします。

もし一緒に考えて、アクションを起こしたいと思ってくださる方がいたら、お声掛けください。念の為言いますが、アーティストかどうか、年齢や職業など、全く条件はございません。誰もが考え、行動し、つながることができます。

2年かけてのプロジェクトになります。今後も経過を発信していくつもりですので、ぜひご確認ください。

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