山田淳也

ばく 過激派文化活動家 演劇やめて藝道始めました。温泉大好き♨️ 発酵食品チャレンジした…

山田淳也

ばく 過激派文化活動家 演劇やめて藝道始めました。温泉大好き♨️ 発酵食品チャレンジしたい。意外にまともです。 最近のプロジェクト 「トニョーカ演劇祭」「未来の万博(仮)」 よろしくお願いします。

最近の記事

トニョーカ演劇祭〜まちのひとへ〜

みなさん!こんにちは。トニョーカ演劇祭ディレクターの山田淳也です。 今回のトニョーカ演劇祭でみなさんと一緒に作ってみたいのは、新しい生活文化です! 私達は日々を生きる中で小さな政治をし、小さな表現をしています。その一つ一つが私達は尊いものだと考えています。アーティストがこの街に来て、表現を見せて、帰っていくというカタチだけが表現なのではありません。私達一人ひとりが、日々文化を生み出している主人公です。 そして、その一人ひとりが作ってきた文化をみんなで共有し、育てることで、新

    • トニョーカ演劇祭〜やつらは今年もやって来る〜

      自らを、「アーティスト」と自認するすべての皆さん。 私はトニョーカ演劇祭ディレクターの山田淳也です。 そうです。皆さんご存知、 美しい自然・歴史を背景に、兵庫県豊岡市を中心に9つの魅力的なエリアを巡る演劇祭、豊岡演劇祭。 ...………を背景に行われる野生の表現者たちによる命ざわめきたつ歓喜のお祭り、トニョーカ演劇祭、を、ディレクションしています。 トニョーカ演劇祭、今年もやります! 元はといえば去年、私たち集団ばくが豊岡演劇祭フリンジに落選した悔しさから、もう一個作っ

      • 自論解体再構築ショー 〜演劇から「」へ、「」から寄り合い藝への変遷〜

        多分一年前くらいに、「(演劇)」「()」宣言という文章を書いた。その後活動する中で大きな転換をしていったので、かつての文章をもとに、今の自分が訂正をいれる。この一年の中で何が変わったのか、ぜひ読んでほしい。  「(演劇)」「()」とは 「(演劇)」(カギカッコえんげき)は演劇という言葉とは区別される。従来の演劇の形式では取りこぼしてしまう(広義の)表現を拾い上げるために、演劇の形式自体を再形式化し、それを一時的に「(演劇)」とよぶことにしたもの。従来の演劇の形式とは、例えば

        • 文明批評

          久しぶりに批評を書く。 なにか特定の作品についてということではなく、この資本主義文明について。 私は過激派文化活動家なので、ここには忖度無しで書く。 もはや「芸術」や「演劇」の文脈ゲームの中で籠城するだけの「アーティスト」というリベラル崩れの人々には、現代社会に呼応する創造性など持ちようもないのは火を見るより明らかだ。 「アーティスト」などと名乗ることが、いかに恥ずかしいことか、自覚しなければいけない。 もちろん、それぞれのフィールドで豊かな時空間を創造する仕事は精一杯頑張

        トニョーカ演劇祭〜まちのひとへ〜

          われわれ編集室 オープン

          がいよう〜 私は去年、「野生のネットワーク」ということを考えて、色んな場面で多様な人々がそれぞれもつ生活の中のことばを引き出し、記していく、というようなことをしてきました。活動を続ける中で、自分の中にも見える形で変化があったので、「野生のネットワーク」を訂正し、「われわれ編集室」という継続した活動を、見える形でも見えない形でも続けていこうと思っています。集団ばくとしての活動というよりは、山田淳也が思いつきで始めている活動です。 感じてる問題意識 私は最近、信じるに値する

          われわれ編集室 オープン

          最後の万博(仮)リサーチ報告3

          タイトルを「最後の万博(仮)」に変えてみました。理由は後ほど書いてます。隠しテーマが定まってきました。あとはいかに万博したい人も反対の人も混乱に巻き込めるかを考えてまたタイトルを変えていくと思います。 1 大阪でのリサーチ 12月末、一週間ほど大阪をリサーチしました。また秋田へ出向き、能登地震、日航機自事故を経て迷いつつもプロジェクトの芯が掴めてきました。今回はそれぞれの報告をします。大阪!釜ヶ崎という地区で滞在しており、この地区に関してはリサーチの殆どを費やしていました

          最後の万博(仮)リサーチ報告3

          最近の考察

          私は最近友達と鍋をすることが多い。理由は温まりたいから、人とご飯を食べたいから、という至って普通の営みとして鍋を食べている。しかし、鍋を繰り返す中で気がつくことがあった。まず、鍋は垣根を作らない。「演劇の話しよう」というと交友関係の中でもほとんど半分くらいは話せなくなる。しかし、「鍋しよう」というとほとんどの人は「いいね」と言ってくれる。そこからコミュニケーションがスタートし、生の実感というか、豊かさのようなものが感じられるようにまでなる。つまり、鍋ということばが想起させるイ

          最近の考察

          未来の万博(仮)のためのレポート(2つの空港と2つのスペクタクル) 2

          未来の万博に向けたリサーチを続けています。今回は、沖縄に行って見てきたものごとを共有したいと思います。 そもそも沖縄は、僕の母の生まれの地であり、祖父母の故郷です。小学生の頃は毎年行っていたのですが、中学生以降部活も忙しくなりいけなくなって8年がたったのち、久々に沖縄に行きました。 その理由は、祖父が認知症を患ったことです。タイミングをのがしたら後悔すると思い、行きました。 久しぶりに祖父母、叔父、叔母、いとこと集まり、飲み食いしました。とても楽しかった。祖父は僕と兄の判

          未来の万博(仮)のためのレポート(2つの空港と2つのスペクタクル) 2

          「未来の万博プロジェクト(仮)」リサーチ経過報告1

          現在、僕は「未来の万博プロジェクト(仮)」のためのリサーチを進めている。その経過をここに残して行こうと思う。現在まっさら。このプロジェクトは一緒に勧めてくれる人を募集中なので、もしこの文章を読んで「なんかやりたい!」と思う方はどんどんお声掛けください。 1 きっかけ このプロジェクトを思いついたきっかけは、「トニョーカ演劇祭」を開催したこと。自分たちが相手取っていた違和感の正体は、どうも「豊岡演劇祭」の背後にあるなにかのようだ、ということに気がついたことからだった。今ここ

          「未来の万博プロジェクト(仮)」リサーチ経過報告1

          「野良」という態度、または集団創作方、または上演について(芸術の野生化のために)

          演劇入門 レポート 山田淳也  私がこの授業で興味を持ち、学んだことは、日本現代演劇の成り立ちの特殊さである。西洋由来の「演劇」を明治になって持ち込んでから、まったく西洋とは違う発達の仕方をしており、それ故に生じたねじれのようなものは、多くの日本の演劇の状況で、未だに解決されていないんじゃないかと思う。そして、このねじれた構造は他の芸術ジャンルにも共通して存在している。日本における演劇を考えるなら、一つの指標になるのが明治以前明治以降という区分けだ。この授業では主に、明治

          「野良」という態度、または集団創作方、または上演について(芸術の野生化のために)

          あした帰った(劇研アクターズラボ+伊藤拓也)「あなたは山になる」 劇評

           高槻城芸術公園劇場はとても新しくおしゃれな建築で、エントランスにはカフェがあり、人だかりができていた。音楽演奏のイベントがあったようで、ビシッとスーツで決めた受付のスタッフさんたちが忙しそうにしている。パッと観ただけで客層も演目もいわばハイカルチャーな感じがした。  さて、「あなたは山になる。」はどこでやっているのかと見回しても、目立った案内も無いしそれらしき人たちも居ない。スタッフさんの一人に聞いてようやく地下一階で行われるという事がわかり、人だかりから随分離れた廊下の突

          あした帰った(劇研アクターズラボ+伊藤拓也)「あなたは山になる」 劇評

          声(モノローグからダイアローグへ)

          上演指示 ①一人以上の人が行う。      ②主体はパフォーマーである。そうである振りをする。      ③「どうしようもないこと」に抵抗する。      ④上演に集まった人たちとも「手段」を考える。 禁止事項  パフォーマーは声を出してはいけない。 役柄    パフォーマーは声を響かせたい。 手段    複数人がそれぞれの「どうしようもないこと」への抵抗の「手 段」をインストラクションとして書き起こし、それをパフォーマ

          声(モノローグからダイアローグへ)

          「アインシュタインの夢」批評 〜戦争を止めるための繋がれない繋がり〜

           この作品は共時性と共時不可能性という普通両立しないもの同士を舞台という特殊な空間において、それらを拮抗させつつ共存させた。そしてその拮抗の末に、「愛」が時間という概念がなくなってもなお私達をつなぐ、というメッセージが浮かび上がる。  共時性とは、私達が「いまここ」を共有している感覚のことだが、静岡芸術劇場のライブ性を喚起する密度のある構造が、この劇の激しい身体表現と相性がとても良く、強く「いまここ」を共有している感覚になった。フィジカルシアターによる、エンターテイメント的な

          「アインシュタインの夢」批評 〜戦争を止めるための繋がれない繋がり〜

          ハムレット(どうしても!)批評 〜ヨーロッパとの対面〜

           この作品は、ヨーロッパという「演出」によって書き抜かれるヨーロッパという「戯曲」の到達点と限界点を見せていた。演劇の言語の重厚性を十分に感じさせるが、それをメタ的に観つつ、でもやっぱり言葉の力を信じていることを圧倒的なパフォーマンスで説得していく。観客を圧倒する密度と強度をもった作品となっていた。  この劇は、シェイクスピア作「ハムレット」を様々な哲学者たちの解釈や、俳優たちによって語られる新たな解釈を交えながら上演していくものだった。本当は10時間に及ぶパフォーマンス作品

          ハムレット(どうしても!)批評 〜ヨーロッパとの対面〜

          「『変化』と対面する」武本拓也の新作ショーイング&トーク批評

           武本拓也はこの5年間ずっとソロパフォーマンスを行ってきたアーティストだった。その彼が、他のパフォーマーと協働で作品制作するという挑戦を始めた。それと同時に長期間に渡る制作の実験も始めた。彼が問題にしているのは、おそらく作品主義的な業界の風向きであって、新作を無理してつくっては批評によって仕分けされ、あたかも作品も人も業界の代謝とアーティストのキャリアのために消費されていくような流れのことだろう。だからこの文章は単なる批評文のつもりで書いているのではなく、長期的な制作であると

          「『変化』と対面する」武本拓也の新作ショーイング&トーク批評

          「 」上演 ぱへやンマーケット

          山田淳也です。 11月23日 新温泉町のナカケーというスーパーマーケットの二階で行われた「ブンダ場」というバザーのイベントの中で「ぱへやンマーケット」という作品を上演しました。僕達も出店者となり、お店を開くというマーケット型の上演になりました。 お金 ということばをおりなおすというおもしろい実践になりましたので、ここに記録したいと思います。 メンバー 山田淳也 仁平美月 大津葵 宮下千裕 ぱへマとはぱへやンマーケットは、ぼくが通貨とことばの類似性について考え始めたことが

          「 」上演 ぱへやンマーケット