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映画「チョコレート・ドーナツ」を観て

 相変わらず梅雨は明けませんが、部屋にこもって映画を観る時間は至福です。最近観た映画の話。

 「チョコレートドーナツ」(原題:ANY DAY NOW)

 女装してショーをするドラアグクイーン的な仕事をしているルディと、ゲイであることを隠して弁護士をやっているポールが出会う1970年代のカリフォルニア。当時のアメリカは、ゲイへの差別が凄かったみたい。まあ確かに、Netflixのクァアイなんかを見ていても、現在アメリカのローカルエリアに住む人の口から「ゲイっていいやつなんだな」という言葉がぽろっと出てくる。ゲイが市民権を得たのは本当にここ数年何だなあと感じます。

 で、このルディとマルコのカップルが、ルディの隣の部屋に住んでいる知的障害児マルコと出会うことで物語が進んでいく。マルコの母親は、麻薬中毒者で育児放棄のち、薬物使用で逮捕。もともと、隣に住んでいたルディは、マルコに優しく接していて、この母逮捕をきっかけに、弁護士のポールに協力してもらってマルコを引き取るために、法律と戦うのだけれど...


 法廷でも、弁護士事務所の同僚や上司にも、とにかくゲイだとバレると、差別されまくる。裁判でルディが誠実正直な答弁をしても、「子供の前で女装したのか」「子供の前でキスをしたのか」と、とにかくゲイであることが子供の教育に悪いことをしているから認められない!というロジックを組み立てられてしまい、マルコとルディたちは離れ離れに。

 知的障害者という差別されがちな立場の子供に、惜しみない愛情を注ぐルディとポール。人と人との関係性こそ、人間が生きる時のよすがとなるものだと思うのだけれども、当時のアメリカ社会に生きる立場の強い人たちは、社会的に認められていない"ゲイ"を排除すること、彼らが親になる権利を認めないこと、に躍起になる。その様子を見ていると、私はその時代に生きていないのになぜだか共感してしまった。この映画の中で、ルディが歌を歌う仕事をしていることもあり、たくさんの歌が出てくるのだけれど、ボブディランの"I shall be released"をルディが歌うシーンで、もう涙が止まらなかった。


 後から"I shall be released"について調べてみると、社会のステレオタイプや常識などによる閉塞感からの解放を唱えたという背景があったと知る。映画の中に出てくるマルコが通う保育園の保母さんが、ゲイだろうが何だろうが、子供に愛を注いで育ててくれる大人なら、そんな偏見は不毛だというスタンスだったのが、個人的にはグッときた。

 あまりに良い映画だったので、色々ググっていたら、"タダシイyouに見える"というお笑いをやっている二人組が、ポッドキャストでこの映画の話をしていたので貼ります。


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