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好きだから、紙飛行機を君に飛ばした。

この間のちいさな戦争が終わった後、運がいいのか悪いのかサバイバーになってしまったことに気づいた時、志麻はもう声を失っていた。

直前まで生きていた人は、読んで字の如くサイバー空間へと解き放たれた。

だからときどき触るスマフォやピーシーの中にあの人もこの人もいるんだと思いながら、モニターをみたりする。

追悼の気持ちはない。

いつかじぶんもすいこまれてしまうであろう場所だから。どうでもよい感じでいえば、<待っててね>って感じなのだ。

志麻は声をなくしたけれど。
声をなくさなかったひとは、口笛吹きの人、<ホイッスラー>になることに決まっていた。

ホイッスラーの人たちがたくさん通ってくるカフェに来てる。

ここに来る前も雑踏でひとり口笛を、ふいているひとがいた。

スーツの男の人で、ちょっとすれ違う時、香水の<ZEN>に似ている香りがした。

なんのメロディだったかはわからなかったけれど、仕事帰りのひとはたいてい疲れている風情だし足取りも重かったり、ちょっといらいらしていそうだったりするのだけれど。その人は、どこかうきうきしていた。

いいことがありますように。

たいていのホイッスラーは、耳が拾えるメロディではなくてふしぎな音の列を並べたような音階の口笛を吹く。

あのちいさな戦争から、そういう人が増えた。なんだろうっておもっていたら、それはどうも言葉らしくって。

口笛語のわかる教授がいる。

コーカサス北西部のカルディ語の研究者だったその人が、口笛辞典を編纂したりして、すこしずつホイッスラーの奏でる言語の訳者が増えつつあった。

ホイッスラーとすれ違うとき、志麻はどきどきする。

今、すこしだけ好きなホイッスラーがいるから。

何時まで経ってもタピオカラテばかりしか提供できないこのカフェに通っているのは、彼がそこの常連だからだ。

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その人は、あのちいさな戦争なんてまるでなかったかのように、涼しい顔をしていつもサンダルを履いていて風通しのよい足元で歩いている人だった。

近づきたいのだけれど、志麻はホイッスラーではないし。それにホイッスラー語がわからないから、コンタクトのとりようがなかった。

つまらなさそうに暫くページをめくっていたら、志麻の耳にサンダルを引きずる音がした。あの人だった。

いつものラテと<スカイドーナツ>を頼んで壁際の席に座る。志麻とは真反対の位置。

今日は声をかけてみたい。

どうやって?

実は昨日の夜からたくさんの白い紙を用意してあった。

その人は隣に座っているおじさんと互いに口笛で言葉を交わしていた。何を言っているのかわからないけれど、時折視線がこっちに放たれる。

どういう視線だろうってすごく気になる。

人生は短いのだから、ためらったもの負けよって、あのちいさな戦争で居なくなる前。

唯一の肉親だった妹の蜜が言った言葉を思い出す。遺言は妹の蜜らしくってて。

志麻はやってみることにした。

<スカイドーナツってほんとうに空色しているんですね>

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みたまま。

バカだなって思いつつ、きっかけはなんでもいいって思って白い紙に書いて、飛行機の形にして飛ばした。

墜落することも予期して、いくつもの飛行機予備軍の白い紙を持参していた。

飛距離を伸ばすため翼をちょっと逸らして投げてみた。これが記念すべき1号機。

きっかけはひょんでいい。
これも蜜の語録のひとつだった。

ひょんから志麻はその人とカフェでの距離が縮まって行った。

っていうのはちょっとはしょりすぎで。つまり彼は言葉を書くことすべてを忘れてしまっていたので、読むことしかできなくて。だからふたりの間にインタープリターの人が入ってくれた。

2号機は

<ぼく、この間、しんきろうをみたよ。それでね、しんきろうをさわったよ、ゆびで>にした。

作り話ではない。

この期に及んで作り話などにかまけている場合じゃないので、リアルな会話を綴った。

このカフェに来る前に、通りすがりに聞いた小学校の低学年生らしき男の子達の会話だった。

そう、あのちいさな戦争でなぜか子供は傷つかなかったから、言葉を喋れるし口笛も吹かない。

その人は、ゆっくりと紙飛行機をひろげるとあきらかに眼尻が下がって、え? って顔でカモン!みたいな指の仕草をした。

でも、それはサンキューの意味だからその日はそれで終わりだった。

収穫はその人の名前が、フェルナンドさんだったことと、そのちっぽけな紙飛行機を欲しいと言ってくれたことだった。

お父さんはリスボン生まれらしい。

いま、誰もが過去形で話す時はすべてあのちいさな戦争のせいだと思うことにしている。

近くで見ると、ほどよく柔和な表情の人だった。

眼がたまらなく好きって思った。

あの闇に包まれた日以来いちばん幸福だったのかもしれない。1週間その人に逢えなかったけど志麻はそこに通い続けた。つまりタピオカラテを飲み続けた。

8日目。

一週間カフェを訪れなかったのは、リハビリのせいだと知った。

口笛からはたぶん一生逃れられないらしい。あれから6か月。近頃はあのインタープリターのおじさんも一緒ではなくて、ふたりの力だけで言葉を理解しようとしている。

ずっと一緒にいると、そういうことがわかってくるものなのだ。

風を肌で感じるような季節になっていた。

志麻の声は相変わらず凪だった。ほんとうに生身だなって思う。身体と心のバランスなんてもしかしたら、とれていた試しがないのかもしれないし。それでも、ふちのふちから落っこちないように歩いてゆく術を、いつのまにか身に着けてしまったのかなとも思う。

それは、あのちいさな戦争とは関係ない。

ある日フェルナンドさんが港に行きたいといった。故郷のリスボンを思い出すらしい。

横浜の海だった。そこでは海がひとが、そらがふねが、かもめがことばを奏でているって彼が言った。

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詩のような言葉だった。

ホイッスラーである口笛吹きと、志麻は違うから。

奏でる日常ではないところで、暮らしていることを如実に気づかされる。

だけどフェルナンドさんがそう言うと、まるで日々それぞれがなにかを奏でているかのような錯覚に陥りそうになる。

そしてそれは、もしかしたらどこかの国の誰かも日々を奏でて暮らしているんじゃないかと、まっすぐだまされていくことへの心地よさへとつながってゆく。

フェルナンドさんが志麻を抱きしめた、口笛を吹きながら。

運命と覚悟がみなぎったひとは、筋肉のついた精神を持っているような気がした。口笛をつたないなりに訳してみる。

「海も鳥も空もことばを奏でているのは、あのちいさな戦争を越えた人達への希望の声なのです」

そんなふうにしか訳せなかった。

フェルナンドさんの腕の中から離れようとしたら、彼の鞄の中からあの日の紙飛行機が何機も落ちてきた。

紙飛行機のひとつだけ。

折り目がだらしなく開いて飛行機の形をなくして中に書いた言葉が見えていた。
<君はぼくに教えてくれた。高く飛ぶように深く沈めと。それでいい>

これは、志麻の言葉ではない。

フェルナンドさんがある映画の主題歌の歌詞についてインタープリター付きで話してくれた時のものを志麻が綴ったものだった。

ひとりの男の子が空に向かった視線をふいに海に投げかけてダイビングする、あのうつくしいからだの曲線が忘れられないって言った彼の口笛の調べを思い出す。そして今ふたりの間には海があった。

まざまざとあおい。

青すぎる刹那の物語が、誰にでもひとつはあるような気にさせられて。

そらもうみもひとも。

出会ってしまうと、もう出会ったことがなかったことには、ならないことになる瞬間があることを、志麻は痛いぐらいに気づかされていた。

なきそうな 声はいにしえの 足音跳ねる
ほらきみの 背中に言って いるんだよ君に



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