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片付けもできないじぶんに、泣きそうになりながら。

好きなものに囲まれていたいと思う。

でも好きなものに囲まれているためには
好きじゃないものは捨てなければいけない。

たとえば、部屋。

昔独り暮らししていた時に、俳句を書く人
それを生業にして生きている人と同じ
マンションに暮らしていたことが
あったけど。

彼女の部屋は冷蔵庫の中まで好きなものに
おおわれていた。

それは部屋をデザインする、もしくは
みずから編集しているかのごとくだった。

わたしも憧れて真似をした。

及ばなかったけど、わたしの部屋も好きなものに
囲まれて暮らすことができた。

好き嫌いの激しい若い頃だったからという
こともあるけれど。

嫌いなもの趣味じゃないものはどんどん捨てた。

そうしたら、好きなものが残っていた。

それができる環境にあったのだと思う。

独り暮らしは父や母に結婚を反対された
ことへのリベンジのようなところも
あったから、思い切り「生活」を感じさせ
ない空間にしようと、努めていた。

しばらくして実家に帰ることになった。
祖母の介護のために。

そして長い年月が過ぎ、元住んでいた家は
様々な大人の諸事情があって、血がつながったもの
同志でわけあうことになり、母は父と別れ
母とふたりで(+猫ちゃん)上京した。

そしてわたしはずっと細々とであっても書いていた。

書いていたけど、稼いでいるとも言えなかった。

でも一方で気が付いていた。

いつもおろそかになっているのは、生活のあれこれ
だった。

実家に帰ると「生活」が迫って来る。
母と二人暮らしになった途端それにまみれた。

好きと嫌いとかじゃなくみんなもろとも襲ってくる。

日常のお茶碗を洗うとか洗濯をするとかはまだできる。

ただただ、書き始めると資料を漁ったりするので
どうしても机の上が紙だらけになる。

紙のノートも散らばる。
鉛筆も新聞も、ポストに入っていたDМも。

でも机の上に載らないものは、フローリングに並べて
しまったり。

積み重ねてしまったり、煩雑に暮らしが乱れている
のは気づいていた。

ほとんどの時間を書くことに割いていた。売れっ子でも
ないのに優先していた。

不器用だから。

〆切を頂くと気になって、暮らしが二の次になる。

わたし以外の書く人の頭の中はよく知らないけれど、
書く前パソコンに向かう前に頭の中であちこち
組み立て作業をしていることが多くて。

年がら年中書き出しの文章を考えているような
書き留めているようなそんなの意味ないよなって
名もなきわたしは、ほんとうにもう人として
ほとんどダサいよなっていつも思っていた。

もっとちゃんと生活しろって自分の中ではひとり
反省会を盛大にやっていた。

そして、ある日母が倒れた。

弟がやってきた。

その頃ちょうど、大量の応募原稿を選考している最中で、
最高max散らかっている時に母が倒れた。

母が長期入院することになった。

弟が部屋の中のその惨状をみて、ぼんちゃんぼく手伝う
からさまず、いらないもの捨てよう。

いらないもの言って。
おれが捨ててあげるからって。

弟は困ってるわたしを助けたかったのだと思うけど
その時わたしは少し心が傷ついていた。

片づけられないわたしはもう人としてかなり
失格で生きている意味もないぐらいに成り下がって
いるんじゃないかと、よなよな落ち込んだ。

ある日スマホで部屋を映していた。

どのアングルからみたって、散らかってる部屋に
しかみえなくて、荒んでいた。

スマホをみていたら悲しくて。

このスマホに映る現実は、これまでわたしが
蔑ろにしてしてきたすべてが映りこんでると
思った。

母がご飯を食べる時にはテーブルの上には何も
ないようにしていた。

でも母がご飯を食べ終わって眠り、わたしが仕事を
始めるともうその場所は紙たちで手がが付けられなく
なっていた。

夜中まで仕事していたらなおさらだった。

そして一人暮らしになった我が家に弟がやってきて
掃除機をかけてくれたり、段ボールをまとめてくれたり、
古新聞や古着を車で持って帰ってくれた。

助かった一方で、どこか弟の監視下にいるような
だめんずの姉を不憫に思っているような
あえて使うとしたら自己肯定感とかいうやつの
低い人間になっていた。

夜中泣きそうになりながら一念発起掃除した。

嫌いなものいらないものは捨てる。

好きなものすらもうわからないのだから不要な
ものは捨てるって決めた。

こつこつ夜通しやっていたら、廊下一杯にいらない
ものたちが並んでいた。

そして決められた日にコツコツ捨てたら廊下には
もう何もなくなっていてそこは本来の廊下になって
いた。

ある日。

母の面会からひとり帰ってきた時に、とても鮮やかで
健やかな清々しい気持ちになった。

視界に映るものを見て「これが片付く」という
ことなのかと、ばかなわたしは嬉しくなっていた。

そして夜中に掃除する癖がついていた。

少し思いつめているわたしに気づいた弟はわたしが掃除
できないのは、ぼんちゃんちの掃除機が悪いんやと思うと
言うてくれた。

その掃除機は疲れていた日に訪れたあやしい訪販で家族が
買ったものだった。

お釜の中に水を入れつかうタイプ。業者が使ってるような
やつだからきれいになると、だまされて買ったやつだった。

弟はこれが使いにくいせいだと言ってくれた。
大げさじゃなく掃除できるといいって。

そしてこの間のクリスマスの日に、病院の面会から
車で送ってくれる時、帰り際にぽつんと
「掃除機買うたから使って」って言った。

使いやすいやつやでってぽつんと言った。

クリスマスイブの日だった。

ぼんちゃんへの「クリスマスプレゼント」って笑って
渡してくれて、そのまま車で帰っていった。

段ボールみてたらずっと欲しかったメーカーの掃除機
だった!

わたしはずっと掃除できないだめなわたしが責められて
いると思っていたけれど。

弟はぼんちゃんの道具のせいやって言ってくれたことが
ちょっとすくわれた。

組み立ててみたら、かっこよかった。



欲しかったやつでした。
すみません、不肖な姉で。
でもほんまにありがとう。

そしてトリセツ読むのが好きなわたしは
二重に感動していた。

この言葉にもっていかれた。

「シンプルに誰もみつけられない問題を解決する」

そんな言葉を目にした時に、
なんか自分を責めんでええから、楽しく
掃除せーって言われている気がして、
さっそくぶーんとかけてみた。

めちゃくちゃ吸い込みはる。

今年は色々あったけど、嫌なことはこの掃除機が
吸い込んでくれると思ってまた明るく生きていこ
うと思う。

欲しかったやつやん。
dyson買うてくれて
ありがとう。
がしゅがしゅ働いてます。


トリセツの言葉。
ジェームズダイソンさん
ありがとう!





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