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SNSの世界から遠く離れて、書いていた。

まだ、SNSもやっていなかったころ。

人と会うのもオンラインじゃなくて

ちゃんと待ち合わせして、その場所まで

行って、こんにちはと目を見て喋って

いた頃。

とある出版社の編集者の方に言われた。

2冊目の本の予定はないんですか?

そんな雰囲気がみなぎっていたので

わたしの分が悪いことは重々知っていた。

副編集長である彼女は、開口一番

「ゼロさんは、ちなみにフォロワー何人
いらっしゃいますか?」

って切り出した。

SNSやってないので、ゼロですねって

言った。

はぁ、とその目を見て一瞬にして彼女が

わたしへの興味を失ったことはみてとれた。

「やらないんですか? SNS」。

あの頃わたしはSNSアレルギーだった。

SNSでなんか発信しない者はそれこそ

居ない人のように数えられているという

そんな風潮があるのも知っていた。

それは、それで結構ですという気分

だったし。

誰にも把握されたくないよとも

思ったていた。

「SNSやらなくていいのは、売れっ子だけ
ですよ」

くさびを打たれた。

つながるということにもかなりの面倒

くささのようなものを感じていたから。

誰かとつながらなくても、リアルで

会っている人だけで充分だと。

そして、フォロワー何人ですか?

という言葉を聞かされて。

一生フォロワーとかいう人たちの

数に縛られた暮らしとは無縁でいたい

とさえ思っていた。

そして2年半前にnoteにやってきた。

なにかから逃れるためのような

言いたいことがひとつだけあって、

それを言ったら終りにしたかった

だけだった。

ここしかなくて、たどり着いた場所。

そこで出会ったひとたちが、見せてくれる

景色は、思っていたものとは違う世界だった。

親しくなった彼らが、この場所に居ることが

きまぐれなわたしの支えになってくれている。

でも彼らをわたしのフォロワーだと思った

ことはない。

彼らをフォロワーという数でみたことは

ないから。

実際会ったことはなくても

日々の綴られた言葉やイラストや写真に

触れているうちにそこに人格のようなものが

ずっと形作られて、馴染んでゆく。

馴染むとは自分の暮らしに色が添えられて

ゆくことでもある。

この間出会った動画がこれだった。

引用された言葉に惹かれたのではない。

クリエーターだと自分を思ったことはないし。

でもnoteで出会った方は、プロ活動されていない

方もクリエーターだなと感じる方に出会える

ことがある。

この動画の発言者、青木真也さんは格闘家

なので、わたしにそっくりそのまま通用する

わけじゃないけれど。

その言葉のすみずみまでなんかカッコよかった。

今、みんな言うでしょフォロワーとか登録者とか再生回数とか。馬鹿やろうなにやってんだって。
みんな主導権取られちゃってんの。客にね。プロ格闘技選手ってなんだっていったら、主導権とらせないことでしょ。客にね。

客のくせに何言ってんだって言えないなんてプロじゃ
ないんですよね。俺が客を転がしてますから。見たくなきゃ見に来るな。だから客なんですよ。みんなファンでしょ。フォロワーでしょ。登録者数でしょ。

必ず作ったものと行って来いしてる。嫌だったら離れればいいんですよ。

青木真也さんの言葉。

潔い、とてもいさぎよい。

本来ものを創るとはこういうこと

だと思う。

時々絵を描く人に、若い頃から

「共感」してもらいたいって描いていた?

って聞くと、それはないな、自分が描きたいから

描くしなぁ。それしかないなって。

これは、時々わたしも思うこと。

読んでもらうための読者を考えて書くことと、

自分が作りたいものを貫き通すこととの

せめぎあいはずっと続いている気がする。

でも、noteを2年半ほどやっていると、

自分にもこれぐらいでいいんじゃないか

みたいな甘えもあることがあって。

この甘えこそが、とても危険だと感じてる。

その危機感だけは失くしたくない。

いやいやnote肩の力抜いて自由に書きな

よって意見もあるだろうけど。

親しくなったnoteで出会った人々のなかに、

淡々と誰にも媚びることなくスキの数に左右

されずに自分の創作活動に励んでいる方を

幾人か知っているからなおさらそう思うのだ。

そしてこの動画を見た時に大好きな方々の

顔やアイコンが浮かんだ。

青木真也さんにたしなめられた。

誰かに媚びるようなものを書いてしまったら

それはきっとわたしがnoteを辞める時なんだ

ろうと思う。

noteだけじゃない。

書くことを辞める時なんだと。

それだけはわかっている。

自分に枷かけとかないとダメな気がしている。

最近書評するゲームに参加して心底「書く」に

真剣な人たちと出会った影響のせいかもしれない。

日々彼らはわたしが眠る時もなにかを

描き、書き続けていることを目の当たりにした。

彼らの書く姿勢が、わたしをゆさぶるここ数週間

だった。









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