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22 お好み焼き 「福ちゃん」

キッコーマンの企画の「おいしい記憶」に投稿した作品です。落選したけど、個人的にはいい文章だと思います。

【以下引用】

お好み焼き「福ちゃん」

 「おっちゃん、腹へった」
 「よっしゃ大きいの焼いたるわ」

野球部だった高校生の頃、僕らがよく行った店があった。古い店構え、昔ながらの看板に「お好み焼き 福ちゃん」。ここが行きつけだった。近所に住む野球部の仲間とよく通った。

ここのいか豚モダンが絶品だった。ボウルに入った生地をスプーンでがつがつと混ぜ、じゅっと鉄板に広げる。うず高く盛られた生地に、いかと豚肉がどさっと載せられ焼かれていく。

その間、看板おじさんのおっちゃんとよく話した。高校の近くにあったので先輩もよく来ていた。例によって僕らもよく通った。おっちゃんはだじゃれが好きで、それをどう受け流すかが僕らの隠れた楽しみだった。また、野球も好きなおっちゃんと阪神タイガースの話をよくした。

お好み焼きは評判通り大きかった。ソースを塗るというより、どどっとこぼす。じゅうじゅう焼ける音とソースが焦げる香りがたまらなく刺激的だった。青海苔をかけたあとにソースを少し垂らす。「これが通の食べ方や」とおっちゃんはよく言っていた。これを何度行っても同じことを言っていた。皆に言っているのだろう。

かくして大きく分厚いおっちゃんのお好み焼きの虜になっていった。

大学生になった僕はやはり「福ちゃん」に行った。例の仲間とは別々の学校になった。他の学校の話は新鮮だった。目の前ではおっちゃんが相変わらずいか豚モダンを焼いている。幾分サイズは小さくなってはいたものの。

 「杉本くんらも大人になったなぁ」

おっちゃんが言った。そうかもな、と思った。おっちゃんは僕らが大人になる姿を横で眺めていた人だった。

学生の頃、母親を連れて行ったことがある。ここのとん平焼きという卵と豚肉を使った代物を土産にしたところ、これが母の好物になった。そんな母は野菜炒めを注文した。そんなものがメニューにあるはずなかったが、快く作ってくれた。かつて生地で一杯になっていたボウルに野菜が盛られ、鉄板の熱とともに程良い量に落ち着いていく。じゅぅという音と醤油の良い香りが店を充満させていた。

ただ、この頃から自分の身の回りが忙しくなり、ほとんど店に行かなくなっていた。寂しさも後悔もない。そんなことを思っている暇がなかった。

そして僕は教師になった。将来の夢を知っていたおっちゃんにそれを告げると喜んでくれた。うれしかった。ただ、もう学生の頃以上に足を運べなくなっていた。
あるとき、「店もう辞めよう思てんねん」と久々に店を訪れたときに聞かされた。おっちゃんはもともと年をとっていた。思えば出会った頃からもう数年経っているのだ。

「杉本くんには世話なったな。また電話してきてや」と番号を教えてくれた。この時ははいつになく寂しかった。

こうして「福ちゃん」は閉店した。それ以来、おっちゃんと話していない。電話すればいいのに。でも今更何と言えばいいのだろう。焦げたソースの香りをかぐたびに思い出す。

そんな僕らの青春だった。

【引用終わり】

スギモト