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爆揺れ列車の車窓から
キャンディ行きの列車が出発した。旅は既に始まっているが、いよいよ始まるような予感を列車の揺れが後押しした。
列車が動き始めて20秒ほどだろうか。プシューっという大きな音を立てて列車はいきなり止まってしまった。
思わず「え?」と声が漏れたがその後一息つく間もなく列車が再び動き始める。今度こそは問題ないようで、コロンボの市街地、スラム、椰子の木々と木々の間をかき分けるように進んでいく。
『世界の
トゥクトゥクドライバーとの心理戦
キャンディの駅に着いたのは夕暮れ時のことであった。ただし、スリランカで見る夕焼けはお預け。冷たい雨脚が強く、ホテルまでの3キロはトゥクトゥクを使うことにした。
便利なことに、ここスリランカでもスマートフォンでタクシーを呼ぶことができるようで、日本で予めインストールしておいた「Pick me」というアプリを立ち上げる。シムカードも空港で買っているので使えるはずなのだが、電波が悪いせいか画面は永遠と
キャンディ日和 (ウニャムニャ・ムスリムデイ)
泊まったホテルは一泊2,000円もしない安宿なので、朝食はついていない。朝食は別料金らしく、800円ほどであるらしい。格段、高い料金ではないがスリランカにおいては割高である。
それに昨日夕食後で訪れたパン屋の紅茶が美味しくて、そこで朝食を取るつもりだったから、朝は適当な時間に起きて朝食ついでにキャンディの街を散策することに決めていた。
スリランカの強い日差しから身を守るために日焼け止めを塗りた
何回か死にかけたけどまた行きたいあの場所
死にかけるというのは実際のところ死んでいないのだから、その程度というものがあると思う。それに、「死」とは生物的死と社会的死の2種類が存在するものだ。心臓が一時は止まったけれど再び動き出すという限りなく死に近い生物的死にかけがあれば、飲み会であやうく吐瀉物を撒き散らしそうになるという社会的死にかけも存在するだろう。
では、僕がスリランカの滞在中に何度か死にかけた経験というのはどこに分類されるのか。