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セクシーボーイになりたかった

高校1年生なんて今から8年前のことだから、その記憶はとっくのとうにセピア色である。青春とは常に過去で、中高生が「今、青春なんだ」とメタ認知することは限りなく難しい。言うなればその難易度は彼らが反抗期をメタ認知するのと同じことだ。

「部屋に入ってくるときくらいノックしろよ!俺、今思春期なんだからな!部屋で何してるか分かんねえ年頃なんだよ!」

「どうしてパパの下着と一緒に洗濯するの!?私、そういうのに微感で複雑な年齢なの!」

……多様性の時代なのでメタ認知思春期がいても何ら不思議ではないが、僕みたいなありふれた人間は反抗期や思春期を客観的な視点で観るということはなかった。

そんな青春を今になって思い出せば、それは脳内「モテたい」という四文字しかなかったと思う。もちろん、人間の根源的な欲求であるから、23歳になった今も「モテたい」とは思うのだけど、モテへの執着度合いは全くもって異なる。

高校の友人たちもその思想というか、価値観を持つ人間が多く、そのうちの一人から「モテるための情報を教えてくれるYouTuber」を教えてもらったことがある。今思えばその友人は決してモテるような人間ではなかった。

しかしそれは超情報化社会に生きる青年にとって何者にも代え難い有益な情報であった。さっそくLINEでリンクを送ってもらい、帰宅後勉強そっちのけですぐに視聴した。

そこではモテたいなら清潔感を身につけろとか、ファッションにこだわれとか、眉毛を剃れ・鼻毛を切れとか、所謂ごく一般常識的なことが言われていた。

まあその通りなのだが、既にファッションは割に好きでこだわりがあったし、眉毛も整えていた(鼻毛は出ていたかもしれない)から、目新しい情報はなかった。

だが、唯一そのYouTuberがおすすめしたことの中でやっていないことがあった。それは、「香水をつけること」である。

へえ、香水ねえ。敷居が高い感じがして手に届かなかったが、モテるのであれば試してみてもいいかもしれない。なんせ口うるさい3年生の弓道部の先輩が引退したのだ。2年生の先輩はいるが、これでようやく自由権を手に入れたのだから僕は香水をつける権利を有していることになる。

僕は悪い顔をしてスマホで香水のおすすめについてググってみる。よく分からんサイトのライターが示すのはどれもブランド物の香水ばかりで、相場はだいたい1万円くらい。5千円のものであっても「リーズナブル」とか書かれていた。

5千円でリーズナブルって、、高校生にとっての5千円とお前の思ってる5千円は訳が違う。ていうかそもそも香水って水だろ。どうして水ごときに僕の財布から樋口一葉を一人失わなくてはならないのか。そんなことを考えていると何だか馬鹿馬鹿しく思えてきた。

けれども忘れてはならないのが、この頃の僕のモテへの執念は異常であるということだ。僕はいつしか、「香水をつけることによってモテるかもしれない」という情報を「香水をつけなければモテない」と考えるようになってしまった。

そうなれば話は早い。部活が終わった後の放課後、友人からのラーメンの誘いを断って僕は小田原駅近くのドン・キホーテに向かった。もちろんお目当ては香水である。エスカレーターを早足で登って香水コーナーを目指す。だがそこにあったのは無数の香水で選ぶのにかなりの時間を要すことになる。

コンビニでおにぎりを選ぶのとは訳が違う。それは 種類の量的なこともそうであるが何より金額の高い買い物であるからだ。

そんな中、990円でセールになっている香水を見つけてしまった。香水って5千円くらい出さないと買えないものであると思っていたが、どうやらそんなこともないらしい。

ブランド厨の詐欺ライターがおすすめしていたカルバンクラインの香水を横目に、僕はその安い香水を手に取った。その香水の名こそ、「SEXY BOY」である。セクシーボーイ……前衛的でめっちゃええ名前やん。それは僕のモテたい欲求の最たる目標であり、潜在意識をくすぐるようなネーミングであった。ちょっと「くさい」名前だなと思いつつ。

え、ぜったいいいじゃん。そこからは「セクシーボーイ=いい香水」という色眼鏡をかけて試してみる。ドンキの香水コーナーはありとあらゆる香りが混ざっている、国家でいえば様々な国籍で構成されるカナダみたいなような場所であるため、セクシーボーイを左手首にシュッとしてみてもイマイチその香りは掴めない。まあそれはそれはいい香りなんでしょう!そんな想いで僕は気づけば財布から取り出した野口英世をレジの店員に手渡していた。

はて、このセクシーボーイとやらはどこにどの程度の量をつければいいのか。全くもって見当もつかぬ。これが僕の香水デビューなのだから、当たり前である。

ただ、YouTuberを紹介してくれた友人は手首につけてそれを首にポンポンと叩くように香りを付着させていた。じゃあそれでいいか。せっかくだし2プッシュ、いや香らなかったら香水を買った意味もないし3プッシュくらいいっとくか。

今思えばそれはつけすぎである。しかも香りが強く出る手首と首だ。香るか香らないかといった具合がであるが、その粋を知らぬのが青春というものである。

そしてはじめて自宅で香水をつけたときに感じたのだが、セクシーボーイは割に強烈な香りだった。ムスク系で落ち着きのある感じなのだが、どことなく甘い医薬品的な香りも漂う。香水というのはこういうものなのだと思い込み、それが毎朝のルーティンに組み込まれるようになった。

ただそれでモテるようになったかと言われれば断じて否。むしろその強い香りのせいでクラスメイトの女子たちから嫌な顔をされて避けられていた気もする。

はじめて自分が香水臭いと知ったのは母からの金言であった。家族で買い物に出かけたとき、僕はいつもの癖でセクシーボーイをつけて車に乗り込むとそれはもう酷い言われようである。

「お前、なんかつけてるだろ」
から始まり、

「臭すぎ。まじで耐えらんない。うえ、酔ってきた」
と言って母はハンカチで口元を覆い、助手席の窓を全開に開けていた。

終いには車を運転する父からも「香水は少しつけるくらいでいいんだよ」と半ばキレ気味に言われる始末。

こっちはよ!そういう年頃なんだから仕方ないだろ!とメタ認知思春期を発動する訳もなく、ただひたすらに黙り、その香りが消えるのを待った。その時間はとてつもなく長いものだった。

セクシーボーイをそれ以降つけることはなくなった。「臭い」という言葉の持つ魔力は凄まじいものだったから、それなりに傷つき、そして学んだのだろう。

とはいえその後も(モテ本能なのか)香水には度々手を出しているが、石鹸の香りとか、柑橘系の香りとか、割に爽やかなものを使ってきたし、1プッシュを足首につけるくらいに留めるようになった。香水の量を少なくしたとき、はじめて思春期という枠を超えて大人になったといえるのかもしれない。その後、彼女できたし(香水とモテとの因果関係は不明)。

大人になって再会したセクシーボーイ

セクシーボーイの香りを思い出してくださいと言われれば、簡単に思い出せるようなものではない。しかし、ドンキで売られているだけの香水であるからそれなりにつけている人も存在するのだろう(もしかしたらこれを読んでいるあなたはセクシーボーイをつけている一人かもしれないし)。

事実、僕は一度だけ電車の中でその香りに遭遇したことがある。朝の満員電車だったから、全くもってその香りの発生源が誰であるかは分からないが、この香りがセクシーボーイであることの確証があった。

おそらく周りの人間は「臭え!」という感情なのかもしれないが、僕からすれば「懐かしいなあ〜はあ〜エモいなあ」といった具合で様々なことを思い出す朝だった。ちなみに少し酔った。


あのセクシーボーイは今……

僕が使っていたセクシーボーイがどこにあるのかといえぼ、現在においては「分からない」。しかし僕は母からチクりと言われたあの日以降、もうセクシーボーイを身体にも目にもつけたくない(あるいは母の目につけられたくない)と思い、自宅ではなく部室の棚にぽつんと置いていた。捨てるには分別の仕方がよく分からないし。

無論、誰もつけることはないからその香水は一向に減らない。僕はセクシーボーイを部室に置いたまま引退し、高校を卒業した。

卒業した数年後に、一度だけ母校に行ったことがある。高校時代の友人から文化祭に誘われて行ってみることにしたのだ。そのとき、何かの折で当時弓道部員だった友人と部室に入ったのだった。

少しカビくさくて、畳の香りが充満して、相変わらず薄汚れている弓道部の部室に懐かしさを覚えつつ、目に入ってきたのは棚に置かれたセクシーボーイである。これは紛れもなく僕がドンキで買ったセクシーボーイだ。

まるであのときから時計の針が進んでいないような、不思議な錯覚を覚えるのと同時に、驚きと恥ずかしさも一度に込み上げてきた。

それもそのはず、そのセクシーボーイはガムテープでぐるぐると巻かれ「封印」されていたのだ。

「あ、先輩。この香水めっちゃ臭いんすよね。いつからあるのか分かんないですけど」
僕が3年生だったときの1年にあたる現役弓道部員の何も知らない後輩が溌剌とした笑顔で話しかけてくる。知らないのだから彼に罪はない。

「あ、そうなんだ!僕が入部したときからあった気がするなあ!」
僕は苦笑いで応えた。隣にいた同級の友人も何も言わずに苦笑いしているのは、甘酸っぱいホワイトムスクの青春を思い出しているからなのだろう。


【追記】
断っておくけどセクシーボーイはめっちゃ臭い訳ではないと思います。「つけすぎ」がよくないだけで!





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