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平和であるように。 #シロクマ文芸部

「平和とはな、虚構のようなもんなんだ。人が2人いれば2つの価値観がぶつかって、どちらが正しいのか争いを始める。世界中の何処でも例外なく、同じように。だからな、平和なんざ、夢や理想の類なんだ。それをなんとか現実に近づけようと、やっと今みんなが努力し始めているんだよ」

亡くなった祖父の言葉だ。

都内にある祖父の眠る墓地に来ていた。仕事の都合で少し早めのお墓参りだ。舐めつけるような強烈な陽射しに、ハンカチで額を拭ったそばから汗がまた滲んだ。

空を見上げると、綿の切れ端のような雲が場違いに漂っているだけで、その向こうに宇宙が広がっているとは想像も出来ないほどに、ただただ青かった。ずっと見ている内にヒュッと吸い込まれて、何処かへ放り出されそうな気がした。

僕が見上げている空は平和そのものだけど、その平和は均一化されたものではなく、繋がっているこの世界の何処かの空は、もしかしたら見たくもない光景なのかも知れない。時代によっては、恐ろしくて、悲しい空だったのだろう。

祖父は戦争経験者だが、戦争の怖さを、ことさらに植え付けるようなことはしなかった。
「過去を知るよりも、これからを大事にしなさい」
それが祖父の想いだった。

小学生の時、初めて絵画を見て「何か」を感じたのがピカソの『ゲルニカ』だった。その「何か」の正体はその当時はわからなかった。僕が知っている上手な絵とは違うし、何を描いている絵なのかもわからない。けれど、「何か」を僕に訴えかけて来た。心を騒つかせる「何か」を。

『ゲルニカ』はそれ以降、不定期に、何を意図するでもなく僕の前に現れた。そして年々、歳を重ねる毎に意味を持たせ、あの日感じた「何か」を伝えようとした。

その絵が描かれたのは1937年のことだ。スペインの市民戦争に介入したドイツ空軍により、ゲルニカが無差別爆撃された。戦争と無関係な市民を巻き込んだ、非道な行為への怒りや絶望、そして暴力が生み出す混沌を大きなキャンバスに投影した、パブロ・ピカソの反戦のメッセージ。戦士は倒れ、女は死んだ幼子を抱き叫び、馬や牡牛も命を奪われた。白・黒・灰色のみで描かれ、色はない。爆撃の瞬間、世界は色を失ったのだ。

ピカソはゲルニカについて多くを語っていない。「牡牛は牡牛、馬は馬だ。鑑賞者は結局、見たいように見ればいいのだ」とだけ言うに留めた。それでもゲルニカは、言葉以上に深くて重い「何か」を僕に伝え続けて来た。それがピカソが伝えたかった想いなのかどうか、僕にはわからない。

毎年終戦記念日が近づくと、祖父の言葉と『ゲルニカ』を思い出す。

「過去に囚われるなよ」と、あの紺碧の空の向こうで祖父は言っているかも知れないけれど、僕にとっては祖父のあの言葉と『ゲルニカ』が、過去と現在を繋ぐ、僕らの生きる世界が平和であるべき理由なのだ。

「この青い空が、いつまでも平和であるように」と祈りながら祖父のお墓を洗い、「また来年来るね」と伝え、そして帰路に着いた。

空はまだ、青いままだった。


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