私が鬱・パニック障害を克服するまでの道のり…鬱が発症する前…その2

その1からの続き…
〜主人の転勤で名古屋から横浜の社宅へ〜
主人の転勤で当時は3ヶ月の次女と、幼稚園年少になる長女と共に名古屋から横浜へ。社宅ということもあり、お互いの家族環境もわかっているし、同年代の奥さん、子供もいて安心だった。これからが楽しみでしかなかった。

だが、蓋を開けてみると社宅のボス、それに群がるコバンザメ。子供も含めてかなり虐げられた生活を約5年間続けることになった。独身時代は楽しくてこんな辛い目にあったことないのに、どうして?こんなことばかり考えていたが、持ち前の明るい性格で5年目に入る頃には暗いトンネルを抜けることができた。しかし、ここからが人生で一番苦しむことが起きた。

〜謎の過呼吸…息ができない、助けて!〜
次女が幼稚園入園、長女が小学校入学して落ち着き、私は週2のバイトを始めた。この辺りから、お腹が空くと急に過呼吸気味になり、落ち着くまでに30分を要した。最初は「なんだろう?」という不思議体験な感覚だった。そこから1ヶ月後、ホッと一息つくとガタンと風景が落ち込み、それと同時に週に1回過呼吸が起きるようになった。この発作になる時は一人でいる時のみだった。有難いことに仕事中は全く大丈夫だった。

なんだろう?とだんだん気になるようになってからは毎日過呼吸になるように。ようやく治ったと思ったらまた過呼吸なんて日もあった。とにかく30分間、宇宙に放り出されたように息も吸えない吐けない。訳がわからないから、パニック状態。外で倒れたら誰か救急車呼んでくれるかなと思い、この発作が起きた時は外に出てひたすら歩くようになっていた。

不思議なことに倒れない。倒れないから病院へも行けない。だんだん寝れなくなり、食欲もない。なんならずっと吐き気に襲われる。不安でしかない毎日。当時30代前半だったが更年期かと思い、名古屋にいる母に電話するも、どうも違う。母も考えすぎでは?とか、明るいこと考えていたら?とかわかりきったことばかり言うだけ。誰にも頼れないと思った。

〜孤独との戦い〜
主人にこんな状態知られたら心配するだけ。主人だけじゃなく子供達にも、のたうち回る自分の姿を見られたくない。とにかく人知れずずっと30分間苦しさに耐えるしかなかった。夜も息が上がりなかなか寝付かれなくなっていった。
吐き気は治らず胃腸外科へ。検査したら全く問題ないという。医者は察してくれたのか、精神安定剤をくれた。これでなんとか夜寝られるようになった。

これで様子を見ようと思ったが、今度は「消えてなくなりたい」これがずっと頭の中から離れない。
テレビ見ても、スキャンダラスな雑誌を見ても、何も感じない。喜怒哀楽が消えてしまった。こうなると、自分は人間ではないと思うようになる。感情を無くして黙々と動くだけのロボットになっていた。

〜心の闇…「生と死の境界線」〜
こうなると、「死ぬ」ことしか考えられなくなった。どこで死のうか?痛くない、一気に死ねるやり方を探す。自分が生きていても意味はない。一刻も早くこの世から消え去って、子供達に新しいママを迎え入れてあげたい。主人にもこんな私で申し訳ないから、良い人見つけて幸せになって欲しい。これしかもう頭になかった。

だけど、なかなか死ねないもので、朝が来るたびに「まだ生きてる、意気地無し」「情けない」「生きた屍」こんなことばかり。でも生きていても辛いしかないし、なんの楽しみも見出せなかった。だいたい自分が生きてる意味はあるのか?と生きることの否定しか頭にはない。死に方ばかり考え、高いところから見下ろすところで、いつも行動できずにいた。毎日この繰り返し…

…その3へ続く(未定)


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