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我が家のダースホース


私は娘が必ず成功する確信を持っていたし、今も思うから東京で一人暮らしをしていても全く心配をしていない。
今はコロ助に捕まるなよーと思っているくらいだ。

不便がなかったので、検査も何もなく現在に至っているが、おそらく彼女も発達障害だと思われる。(本人も自覚あり)
HSPで本当は感受性が強い所ですら把握してコントロールできる。

そして、旦那に似た論理的な思考と、アンガーマネージメントができる。

何より、両親譲りで昔からとても我が強かった。
大学在学中から学部長とやり合い、他の教授にも論理的に交渉し納得させた上で、自分の作りたいものだけを作るようになり、そして、それを客員教授だった有名なアーティストから作風を気に入られ、自身で職場も見つけて上京してからも、その恩師との師弟関係は変わらず。
それ以外でも就職したベンチャーや、個人の案件で人脈も増え続けている。
ナチュラルにお前。こんなに遠くに…と驚く人間の名前が出てきたり。
映像関係のベンチャーを上京一年八ヶ月で業務請負へと変更。
そんな破天荒な行動を事後報告されても、怒ることもなく。

彼女が何を始めても辞めても、親から「あいつやから、何としてでも食って行くし、大阪には向かん。帰って来んよあいつは。」とどっしり構えていられる安心感を20代前半で与えられるような人物は少ないと思う。

そして、並行してアパレルの店員をしながら、フリーランスのマルチクリエイターをしている娘が将来間違いなく成功すると思っていた。
明らかに人の上に立つタイプ
その上、人の得意不得意をとてもよく見ている。
的確な指示が出せる。
はっきりいって美人だ。
そしてカリスマ性もある。

顔のパーツも両親のいいところだけを抽出。
父親の理数系思考と論理的思考。
母親の熟考と文系思考とアーティスト気質。
そんないいとこ取りが東京へ出荷した娘だ。
我が家では酒呑みゴリラと言われている。

彼女は放っておいても、これからもずっと勝手に進化していく。


そして、成人まで後1人。
HSPでADHDでASD(はかなり薄くなったと思う)そして鬱。

人よりもやたら心の成長が遅く、逆にやたら早い成長をする。
でこぼこの息子だ。

小学生の頃はそれはもうひ弱で、空気が読めず、落ち着かず。
定型発達からみれば、不可解な言動多発。
なので、人を怒せたり傷つけたり、イライラさせるつもりがなくてもさせてしまったり、意思疎通が取れない事も多く。
それでも真面目で、優しく、どんなに嫌な言動をされても、親の言いつけをしっかり守ってしまうので、暴力を振るわず、振るわれてもやり返さない。

盛大に悪目立ちしてしまう上に、言い返しはしても暴力を振るわない、言い返したとしても上手に言葉にできない息子は、絶好の的であり壮絶ないじめられっ子だった。

学校生活最後…高学年の1,5年くらいが、彼のまともな学校生活だったんじゃないかと思う。
殺されかけたこともある。

私たち家族は性悪説で生きていて、基本人間嫌いだが、息子だけは性善説で生きてるんじゃないかと思うくらいお人好し。

私も引っ越した事に心から後悔し、苦労させられた。
彼が家のドアを開ければ、小さな島世界。
クラスではなく、地域内の子供コミュニティでカーストが形成されているのだ。
その最下層だった息子が一歩でも家から外に出れば9割が敵。
どの学年でも彼を嬉々として傷つけにくる。
3年の時に発達障害を伝えたところ「ガイジ!」と息子をいたぶるためのツールが増えただけだった。
(今回は割愛して…いつか書きます)

娘と同様、なかなかの苦労人の息子。

昔から自分が動くか、見ているものが動き続けるかでないと落ち着かない特性があったので、走る車のタイヤが好きだった。

音楽は興味がなかったが、私の影響でMichael JacksonとEMINEMが好きで、特にMichaelが大好きだった。
自分の解釈で彼の言葉を理解したいと、英語に興味を持つ。
その後、学校にたまにくるネイティブな先生と積極的に話し、進学はしなかったか、中受でお世話になった家庭教師の先生が英語専攻の方で、受験後しばらく英語を教えてくれた。 
小学高校学年から興味を持って通い出したクライミングでも外国の方と話す機会がとても多く、どんどん会話力が上がってきていた。

そして、中学がとても良かったことと色んな重圧から解放されたこと。
そのタイミングでクラスメートが他意なく言った言葉が(当時から息子本人も他意はないと理解していた。)小学校の頃の地獄をフラッシュバックさせてしまったようで、重い鬱を発症し、引きこもりに。
X BOXでFPSをやりながら大人の英語圏の人たちに相談に乗ってもらったりして、ますます英語力が上がった。

引きこもりネトゲ留学だ。

そもそも、聴覚過敏があるので、リスニングはもちろんのこと、再現力も高いので発音もネイティブレベルに。

ただ、その当時はかなりラフなアメリカ英語で、最近フラットになってきたらしい。

今日も「俺より語彙力ある外国人の友達できたから、色々教えてもらってる」と。
日本はなんでも資格社会だし、息子よりネイティブに会話できない人が有資格なこともある。
君はどんなにスムーズに会話ができても、資格無しで初めの書類で跳ねられる側なんだから、少しはビジネス英語を覚えて欲しいし、TOEFL取って欲しいけどなぁ。
英語で面接が受けられたらベストだけど。
しかし、ADHDマンは「その世の中がおかしい。紙だけで何が分かるんや。頑張って、お金出して資格とってもスムーズに会話できんかったら意味がない。英語なんて伝わればええんや。伝われば。」
はい。そうですね。
おかしいですよね。
理不尽ですよね。
でも人事の方々みんなが英語を話せるわけじゃないので(そういうもん)と言う新しいテンプレに早く追加してください。
と時折私は、彼にとってウザいことを言う。

今まで、そんなADHD の落ち着かない彼を落ち着かせるためにした事。
家族で夜のドライブ
学研の電子ブロック
そろばん
ハイパーヨーヨー
ルービックキューブ 
クライミング

とにかく、彼がやりたがること、興味のあるもの、興味を持ちそうなものはなんでもやらせた。
そして、高校入学前、そんなに手が暇で落ち着かないなら…

ギターやん!!

私ひらめきました。
旦那の慰安旅行のお土産に、息子が喜ばない安物ウクレレ。
彼が興味を示さなくても財布が痛くない優しいプライス。
息子が弾かなくても、旦那か娘が弾くので、無駄にもならない。

それがきっかけで、高校入学同時にギターを始め今年で4年目。

高校から始めたにしては、本当に上手過ぎる。
ギターをやっていた旦那も、音楽が好きでライブハウスへ行く私も、彼の才能には驚かされる。

一度ハマると過集中が過ぎて怒られるのがADHD。
もちろん聴く音楽のジャンルも幅も好みも増えた。
途中でエレキからエレアコまで手を出し、アベノマネーもとい、ワレラノマネーで彼は欲しかったエレアコを手に入れた。

音楽の専門学校で資格を取って、まず音楽で食べることを考えている。
絶対音感と相対音感もあるので、向いているだろう。
それで音響系学科を選び、最終的には音響とレコーディングエンジニアで食べながら、ギタリストと作曲家を細々と続けたいらしい。

「事務所とか会社とかは発達障害の俺には、コミュニケーションなどをキッチリ専門で勉強してから。」
と息子は思っていたのだが、高校卒業前に息子のギターを気に入って下った事務所の社長の目に留まり、一応プロのギタリストになった。

急展開について行けず混乱していたが、コロ助で活動する場がなかなかないのと相まって、やっと落ち着いてきたようだ。

そして息子は、また新たな言語を話せるようになった。
イタリア語。

以前の彼のiPhoneは全て英語だったので、まだ!ギリギリ!なんとかわかった。

現在、彼のiPhoneを見せれられても?????イタリア語なのでさっっぱりわからない。

イタリア語を覚た理由は…非常に単純でベタですので、お察しください。

という訳で、彼はバイリンガルからトリリンガルに進化してしまった。
最近、フランス語に興味があるらしい。

トリリンガルで、日本語・英語・イタリア語。
3つのうち、一番苦手な言語は母語である日本語。

発達障害にとっては、とても扱いにくく表現をするのも、受け止めるのも曖昧で言葉が多過ぎる上に、丁寧語・敬語・謙譲語…ややこしい!
と。

一番手がかかり、一番苦労したこの子が、娘より成功しそうな気がしてならない今日この頃。

もちろん手がかかるのは、現在進行中だ。