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千鳥足の父とうつむく僕

うちの父は、間違いなく吞兵衛だ。
真っ赤な顔をした父が額にネクタイを巻き、結婚式で浜田省吾を熱唱する姿を見ては「恥ずかしいな」と顔をうつむいてしまったのを覚えている。

帰り際には、ひとりでは歩けないほどに酔っ払い、母に支えられながら歩いている。
「結婚した当初はお酒なんて呑んでなかったから、騙されたみたいなもんだよ」
と、母はよく笑って話していた。

「まずは、ビールを飲んで、次に日本酒。締めにウィスキー。これがオレのフルコースなんだよ」
晩酌しながら、そんな事を口にする。

清々しいほどの吞兵衛である。誰もそんな事は聞いていない。
わが家の大黒柱がそんなもんだから、I.W.ハーパーの瓶も誇らしげに佇んでいやがる。このお酒がどういうものなのか、理解できない小学生の私は英語の文字が並ぶその姿に、畏敬の念をうっすら抱いていた。

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酒をどれだけ飲めるか?
大学時代はそれだけでマウントがとれた。私はお酒に強い訳では無い。しかし、お酒が呑めない体質では無かったので、先輩に注がれるままに呑んだ。

「やっぱり、一杯目はビールだよね」

なんて言っていたけれど、ジュースとどっちが美味いか?と問われたら、正直今でもよくわからない。注がれるままに呑んでいただけなのだが、卒業時には立派な吞兵衛に仕上がっていた。

顔を真っ赤にした父の姿が思い出される。当時の「恥ずかしい大人」に自分がなってしまったが、不思議とイヤな気持ちを抱いてはいなかった。

*****

23歳の時に、従姉の結婚式に招待された。
従姉が父にカラオケのリクエストをする。父はお酒を注がれ、額にネクタイを巻く。いい年をしたオッサンが20~30代の若者に向けて浜田省吾を熱唱する。会場は悔しいけれど大盛り上がり。もしかしたら主役よりもインパクトがあったかもしれない。

「オジサン!最高ですね!」なんて、見ず知らずの若者に囃し立てられる。
「あの人も変わんないねぇ~」と従姉と叔母がゲラゲラと笑う。
「まったくもう」と母が支えにいく。

小学生の時はうつむいていたから分からなかったけれど、笑顔の輪がそこにはあった。あの日を境に父が酔っぱらう姿を素直に笑えるようになった気がする。今となっては母の代わりになって、千鳥足の父を支えているほどだ。

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お酒の席を経験して2つ、分かったことがある。
一つ目は「お酌をしてくれる人が居る、っていうのは幸せな事」。そして、二つ目は「お酌した相手がそのお酒を呑んでくれたら嬉しくなる事」だ。

大人は思っていたより正直で、嫌いな人にお酌なんてしない。お酒を注ぎたい人にしか注がないものだ。お酌したお酒は口をつけるだけでいい。「私は貴方のお酒を、疑いも無く呑めますよ」という信頼の証なのだから。

それを知っているからこそ、お酒を注いでもらった時には、その場でグラスに口をつけて「ありがとう」と、伝えるようにしている。そうすると、相手も笑顔になってくれるのだ。その場が盛り上がるためなら、冗談すら言えるようにもなった。

*****

コロナ禍で酒を酌み交わす機会がめっきり減った。
お酒を注ぎ合う姿は貴重だったと思い知らされる。また仲間たちとネクタイの結び目を緩めては、酔いに身をませる日々を待ちわびている。
その時に、お酌してくれる人がいるような人間でありたい。と、襟を正すのだ。そう、母に支えられていた父のように。

#ここで飲むしあわせ

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