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扉を開けてタイムスリップしてきた話

この扉を開けるのは勇気がいる。
私は、未知の扉を開けようとしていた。

2月の日曜日に母と娘と一緒に神戸の須磨寺へ父の墓まいりに行ってきた。
しばらく行けていなかったのでモヤモヤしていたが、これでちょっとスッキリである。

スッキリしたところで、いい具合にお腹が空いてきた。
時刻は13時を回ったところだ。

どこか店に入ってお昼にしようと思ったが、駅からお寺に続く参道は典型的なシャッター通り商店街だ。

母は腰が悪く、あまり連れ回すわけにもいかない。

「何でもいいから近くにないかな」と見回したところ、一軒の小さな食堂が目に入った。
ショーケースには蝋細工で作られた、うどんや野菜炒めなどの食品サンプルが、変色して埃を被った状態で並んでいる。
ガラス戸は曇りガラスになっていて、中の気配が分からない。
しかし、暖簾だけが妙に白くキレイにはためいている。一応は営業をしていそうだ。

普段なら素通りしそうなお店だが、他に選択肢もないのでこの店に入ることに決めた。

扉に手をかけたが、躊躇する。
開けた瞬間におじいさんが新聞を読んでいて、迷惑そうに睨まれたらどうしよう・・・。

それでも「中はどうなっているのか」という好奇心も手伝い思い切って開けてみると、意外なこと(かなり失礼!)に3組のお客さんが食事をしているところであった。

「いらっしゃいませ」

おばさんがこちらを見て「よそ者だな」という一瞬の目の動きがあり、それでも笑顔で席をすすめてくれた。

店内は田の字に4テーブルあり、スポーツ新聞を読みながら食べているおじさんが一人とテレビを見ながら瓶ビールを飲むおじさんが一人。隣のテーブルは老夫婦が向かい合ってうどんを食べていた。

テーブルにメニューはなく、壁に木の札に墨で書かれたお品書きが並んでいる。
店内は小綺麗にしてあり、外からは廂テントを通してオレンジ色になった光が、曇りガラスから柔らかく入り込んでいる。
まさに昭和の世界にタイムスリップしたような感覚である。

娘はきつねうどん、母は昆布うどん、私は腹が減っていたのでカツとじ定食を注文。

この場合、オペレーションが悪ければ、うどん2つが先に出てきて、カツとじ定食は遅れて出てくる可能性があるかもと心配したが同時に出てきたので、「侮ってすいません」と心の中で懺悔した。

味はいたって普通である。

日頃あまり外食はしないが、たまに食べに行くときは人気のあるお店や、美味しいと評判を聞いたところに行くことが多い。
いたって普通のものを普通に食べに行くという習慣はない。

美味しいものを食べに行くというのは「食体験」としては豊かかもしれないが、普通のものを普通に食べに行くというのは「食文化」として豊かなことかもしれない。

他のお客さんは常連さんのようで、ビールを飲んでいるおじさんは「あんたも一本開け」とお店の人にビールをご馳走している。
「ああ、すいません」と少し口をつけてグラスを置くが、それ以上の気遣いを返すわけでもない。
狭い店内だが、誰もよそ者の我々を気にするでもなく、ゆっくりとした時間が流れていた。

「まだ、こんなお店が成立しているんだな」としみじみ感じる。
というのも、私の祖父母もかつては食堂を営んでいて、こういう雰囲気に懐かしさを覚えるのだ。母も私が小さいときはそこで手伝っており、落ち着くのかお店の人に気軽に話しかけていた。

もうすぐ、こういうお店はなくなるだろう。

私のお店も常連さんが多く、サロンのようになっていたりもするが、この感じは出せない。
出したところで、商いとして成立させれる気がしない。

SNSやメディアから流れてくる食の情報は、ほとんどが「食体験」の情報だ。
普通のものを普通に食べに行くような話を、誰も面白がったりはしない。
日常のありふれた食文化の豊かさを、もっと伝えることができればいいのに。

家族経営と思われるこちらのお店の人からは、仕事のストレスのようなものは感じない。
こうやって生きることと、仕事をすることが一体となった平穏な日常。

できないと分かりつつ、どこか羨ましさを感じるのである。

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