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「禁じられた映画作り」をどう続けるか…イラン映画・パナヒ監督の闘い

イラン映画のジャファール・パナヒ監督。長編デビュー作「白い風船」(1995年)は故・キアロスタミ監督の脚本で、少女を主人公にしたほのぼのとした作品。その後、スタジアムでのサッカー観戦を禁じられた女性たちが男性に変装して潜入しようとするストーリーの「オフサイド・ガールズ」(2006年)を監督し、イランの女性問題に目を向ける。

パナヒ監督


保守強硬派と改革派の激戦になった2009年大統領選に際しては、選挙後に起きた改革派の大規模デモをテーマにした作品を作ろうとして、翌年逮捕。政府に20年間の映画製作の禁止を宣告されてしまう。

2009年大統領選挙後の改革派による抗議デモ

映画大国イラン。国民への影響力が大きいだけに、映画を通じた体制批判が社会に与える影響を、イスラム体制が大変心配していることは明らかだ。検閲を含めた映画製作への締め付けは、1979年のイスラム革命以降続く。それに嫌気がさして、国外に「亡命」する監督も多い。モフセン・マフマルバフや、バフマン・ゴバディなどが代表格。

だが、パナヒ監督は、あくまでイラン国内にとどまって、映画作りの継続を模索する道を選んでいる。これまでにビデオ日記のスタイルで「これは映画ではない」(2011年)などの作品を作った。

今回の日本劇場公開作品「熊は、いない」(2022年)は、当局の禁令をすり抜けつつ、当局を芸術を通じて批判しようとする監督の高度な芸術表現の結晶だと言える。映画作りをめぐり、当局とのつばぜり合いを続けるパナヒ。彼の間接的な体制への批判・皮肉が、この作品の構図やストーリーの中に随所に現れている。映画という芸術の婉曲さ、高度さ。新たな可能性に目を見開かされる思いがする。

作品の中で、架空の映画監督を演じたパナヒ氏は、撮影のためにイラン北西部のトルコ国境ののどかな村に滞在している。国境の向こうのトルコ側には、助監督以下、撮影チームがいる。イランでの映画撮影が禁じられている中で編み出された「布陣」だといえるが、同時に、自分が今置かれた状況を分かりやすい形で示すことで、その不当さを国際社会にアピールする狙いもあるのかも知れない。

建物の屋上が通路に使われるイラン山岳地帯の民家

トルコ側では、助監督のもとで撮影が着々と進められる。筋書きは、愛し合うイラン人男女2人が、イラン国内での弾圧から逃れるためにヨーロッパに密航しようと、偽造パスポートの入手など、さまざまな試みをする、というものだ。監督はイラン側の村の民家や、時には丘の上にのぼって、オンライン会議などを通じて、演出などに関する指示を熱心に出す。

一方で監督は村で、保守的な「ムラ社会」の現実を映す様々な出来事に直面する。自由恋愛を貫こうとする男女と、「ムラ社会」の秩序を維持しようとする住民との対立。監督もそうした状況の当事者の1人として巻き込まれていき、自身が「ムラ社会」によって歓迎されざる客という立場に追い込まれていく。

監督はこうした「ムラ社会」を、イスラム体制に統治されるイラン全体の状況と重ねているようでもある。作品では、「迷信」という言葉が「ムラ社会」の旧弊を批判する文脈で使われているが、その言葉は「イスラム体制」そのものに向けられているようにも感じられる。「熊は、いない」という作品タイトルにしても、同種の体制批判が込められていそうだ。つまり、村人の間で共有される「熊が出る」という「うわさ」は、村落共同体を緊張感を醸成し、秩序を維持するために支配者が利用する「幻想」にすぎないと言っているようなのだ。

「イスラム体制」を重ね合わされているような「ムラ社会」。男女の自由な恋愛の意思を、力ずくでねじ伏せようとし、自らが手を下さないにしても結果的に悲劇に追い込んでいく。昨年から活発化した、女性の頭髪をかくすヒジャーブ着用強制に対する抗議の高まりと、当局の弾圧という現実とも自然と重なる。胸が痛む。

作品について、試写会の後に話をうかがった配給会社の担当者は「全体的にすごく暗いトーン。監督のペシミズム、心の暗さが現れている」と言っていた。確かに、どこをとっても、明るさ、希望のないストーリー展開。自身の境遇を含めイランという国の行く末に、監督は明るさをみじんも感じていないのかも知れない。

それでも作品の中には、監督の困難に立ち向かおうとする強い意志が感じられたシーンがあったという。恥ずかしながら、筆者自身はそれに気づかなかったのだが。そこは注意深く見ていただきたい。パナヒ監督の、未来に向けて進もうとする意志だから。

さらにもう一つ、作品の中で、トルコと目と鼻の先の村に滞在して、トルコ側に「密入国」して、撮影を直接指揮できるチャンスがあったのに、監督はあえてそれをしない。イランに踏みとどまり、映画を撮り続けていこうという監督の強い意志を現わしたのかも知れない。つくづく信念の人だと思う。

「熊は、いない」は、9月15日から、「新宿武蔵野館」「ヒューマントラストシネマ渋谷」「UPLINK吉祥寺」で上映が開始される。

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