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堂々と「対等」である事



■はじめに


お店側とお客側、家族内、あらゆる組織etc…
関係が「対等」であれば、双方向の”気持ちの贈り物(=gift)”が、続きます。

”gift”には、贈り物という意味だけではなく、「その人自身」や「生まれ持った才能」の意があります。
自分からうまれる、気持ちの贈り物を、ここではgiftと呼んでいこうと思います。

この"gift”は、人と人とをあたたかく結んでくれる一方で、なかなか続かなかったり、時に残念な気持ちに変化してしまうこともあります。

今回は、この”gift”を大切に紡いでいくために重要なものの見方を、
「上下」と「内外」、そして「感謝・尊敬」。この3つに分けて整理していきます。



①上下の意識があると、giftが、「あたりまえ」にされてしまいます。


・お金を払っているから、それをされるのはあたりまえ。
・大きな役割だから、それをするのはあたりまえ。
・ポジションが下だから、それをするのはあたりまえ。

そうなると、giftのキャッチボールが始まらず。始まりかけても、続かず。
giftは、どこかで終わりを迎えてしまいます。さびしい気持ちを残して。
「双方向」ではなくなってしまうのです。
(私からのgiftも、続かなかった事がありました)



②内外の意識が強いと、giftが「貸し」「借り」になってしまいます。


日本では、近所の方への「お裾分け」など、コミュニティの中で贈答(贈り、答える)習慣がありましたが、今日では、外側の人(他人様)に気を遣って、トラブル防止などを意図したり、便宜をはかるような、形だけの風習が増えてきているようにも見えます。
内側、外側、その線引きをより色濃いままにした上での贈り物は、背負い背負わせるような、心のないほうの「貸し」「借り」を産みます。

また、自分の成功のために貸しを作るために行う行動は、giftではありません。

自分のビジネスを成功させるために、周囲に貸しを作り続け、見返りが無いと手のひらを返す人がいました。
その人と、借りを返しあうような短期的な1回のストロークをしているひとは居ましたが、それだけで終わりました。
結果、その人から、多くの人は去っていきました。
※経験上、このように人を利用しようとする人は、その人自身も人から利用されるように思います。


「借り」と感じるか、「ありがとう」と感じるか。

どちらを強く感じるかで、「対等」であるかどうかがわかります。



血の通った「自らのお店」を営む上では、

お客さんもお店も、完全に対等。
・・・お金とサービスで双方納得の上「等価交換」しているから。

組織の中も全員、完全に対等。
・・・「役割」が異なるだけなのだから。


これらがとても大切であり、根本であると考えています。


③感謝や尊敬は、それとは「別」に、しっかり持って表せばよし。


日本人は言葉などの文化にも表れているように、ここの分離がとても苦手です。
感謝している人の言う事に従ってしまう事が多いように感じます。

感謝と敬い、ましてや感謝と従属は別です。

ここを混同するべからずです。


だから、ここは個人的にですが、

「お客様」ではなく「お客さん」。

「いらっしゃいませ」ではなく「こんにちは」。

です。


お店に来ていただけた感謝から、へりくだっていて(そのような態度をとったりして)は、giftが始まりません。


憧れの上司や、能力が高くてかっこいい先輩だから、言うことに従っていては、いつまでもその人と、人と人とのgiftができません。


カフェトリエでも大切にしている「対等」には、このようなコードがあります。

カフェトリエの人たちの間でも、そのほかのひとたちに向けても。

胸を張って「対等」であるためにも、あるべき仕組み、するべき行動と努力を、徹底していくのが、誠実な場所の在り方だと考えます。


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