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天使の変装

「人には親切にしなさい。知らずに天使をもてなしているかもしれないのだから」

新約聖書ヘブル人への手紙第13章に記されている一節です。
これは美しいと共に、真理をついた言葉でもあります。

なぜなら特殊な能力でもない限り、私たちは時の流れの中から出られず、“今ここ”にいながら“未来”や“全体”を見渡すことはできないからです。


それができればどれだけ良いかと思います。

ある出会いが、人生においてどんな意味を持っているかを、あらかじめ知ることができたなら。

そうすれば、最初は気にも止めなかった相手が実は極めて重要な人物であるとわかったり、軽々しく誰かと距離を詰めたばかりに、後になって大変な目に遭うような経験をせずに済むからです。

私自身も、人間関係において、そんな思いがけなさに何度ぶつかったことか。
あんなことを言うんじゃなかった、もっとあんな風にすれば良かった、とため息混じりの回想は限りがありません。



人の非礼は許し難い。そして、最初の悪印象は永久に消えない

ジェーン・オースティンの小説『高慢と偏見』の中で、傲慢ごうまんな貴公子フィッツウィリアム・ダーシーは、最後には自分と結婚することになるヒロイン・エリザベス・ベネットに、冷然とこう言い放ちます。

ダーシー自身もエリザベスにずいぶんと非礼を働くうえに、実はほぼ一目惚れの状態で彼女に心を奪われてもいるのですから、相当なこじれっぷりをうかがわせる発言です。


この物語が“イギリス人にとっての源氏物語”とも称されるのは、クラシックな恋愛小説の域を脱し、様々な人間の心理を極めて克明かつ重層的に描いているためです。

人間の心の弱さ、思い込みから犯すあやまちとその克服が物語のテーマのひとつともなっており、人々は見当違いの噂話や、そこから生まれる印象に振り回され、何が真実かを見誤り、取り返しのつかない失策を重ねます。


むろん、だからこそ波乱が起こり、物語も動くのですが、もしも冒頭に書いたように、登場人物たちが時の流れの先の関係性や、誤った印象の真実を知ることができたなら、多くの心痛を避けられたでしょう。

『アメリカのとある印象コンサルタントは「初対面はやり直しがきかないんですよ!」と叫んで1時間に3万ドルを稼ぐ』というテクストを読んだことがありますが、摂政時代リージェンシーのやっかいな恋人たちがこの原則を知っていたなら、物語はずいぶん簡単にハッピーエンドを迎えたに違いありません。


それでは物語に何の面白味も無くなることは承知ですし、人間的成長のため、登場人物に数多あまたの試練は付きものです。

けれども現実の世界であれば、やはり自ら人間関係を複雑にしないのが一番です。


そのためには、やたらと居丈高いたけだかに振る舞うのではなく、ひとまずは周囲の人に敬意を持ち、出来る範囲の親切を心がける、というスタンスが良いように思います。

知り合ったばかりの人と、そこからどんな関係や縁が深まっていくかもしれないのですから。



見知らぬ人に不親切にしてはいけない。なぜならその人は変装した天使かもしれないから

世界中の本好きの憧れ、パリ左岸の伝説的書店〈シェイクスピア・アンド・カンパニー〉の店内の壁にも、《ヘブル人への手紙》をもじったこんな一文が書かれています。

私たちは時間を超えて関係性の真実を見抜いたり、天使の変装を見破る眼力を持ち合わせていないため、たとえ袖擦り合うだけのご縁であっても、少しでも周囲の人に関心を持ち、丁寧に接することができればと願います。


聖書の時代よりもはるか前、プラトンもやはりこんな言葉を残しました。

人には優しくしなさい。皆、何かと戦っているのだから

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