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“播州のおやさま”に呼ばれたかもしれない話─2

十代の終わり頃、私があまりに不安定に見えたせいか、街でやたらと宗教関係の人たちに声をかけられる、という時期がありました。

けれど、ものの数分もしないうちに皆が立ち去ったのは、私は森羅万象の中にこそ神がいると信じています、と断言していたからです。


神社仏閣、教会やモスクを訪れ、建築や聖具を眺めたり、色々な聖典を読むことは好きですが、私は特定の宗教を信仰してはいません。

ただ一人の神を信じたり、ひとつの教義に沿った生活を続けることは、自分の性には合わないと感じているからです。

そのため、不思議なご縁で出会った“神様”についても、心酔ではなく、失礼にならないように気をつけながら、新鮮な驚きや知的好奇心でもって語っていきたいと思います。


実はこの話には前編があり、今からちょうど2ヶ月前に『“播州のおやさま”に呼ばれたかもしれない話』という体験記を書きました。

とはいえ、未読の方は置いて行きます、というほど大げさな話でもなく、“播州のおやさま”こと井出クニさんの噂を聞きつけ、兵庫県三木市の『朝日神社』まで友人と出掛けてきました、というだけのシンプルな内容です。


天理教教祖・中山みきの生まれ変わりとも言われるこの“神人”は、数々の奇跡を起こし、予知や助言、“振動”などで多くの人を“おたすけ”してきた類い稀な女性です。

それでも、ほとんどの人がその名前にすら聞き覚えがないのは、この人が一切の布教活動や組織化を良しとしなかったからです。

縁あって頼ってくる人だけが信仰してくれれば良いと、自身の名を広めようともしないばかりか、信者たちからお金を受け取ることもしませんでした。


平凡な一家庭の主婦であった人に、ある日“神”が降り、以後の人生を神の器として過ごしたそんな生涯は、知れば知るほど心奪われるものがあります。

7月の初訪問の際に「今度こそ必ず月次祭つきなみさいに行こう」と友人と話していたことが実現し、今月初旬、お勤めに参加することが叶いました。


会場である朝日神社では、前回お目にかかった男性とも再会し、三々五々集まってくる方たちとも何気ない話をしたりと、場の雰囲気は和やかです。

全く構えたところがない、朗らかで柔和な印象の方ばかりという印象で、駐車場で見かけた車のナンバーは、関西だけでなく中国地方や関東など、多岐にわたっていました。

掃き清められた畳敷の大広間には、100人近い老若男女の姿があったでしょうか。
それぞれが思い思いの場所に座って待つうち、正装した老紳士たちと鳴物が登場し、例祭が始まりました。

美しくしつらえられた祭壇の前で息の合った舞と演奏が続く間、人々はおやさまの言葉に節をつけた歌を唱和します。

その歌詞と歌声の柔らかさ、振り付けの不思議さとシンボリックな手の動きなど、すっかり目と耳が魅了される思いです。


国、家庭、自分を大切に。
神は周囲にあまねく満ちている。
辛抱は必要ながら苦は不必要。
すべては水と火と風、月と日とが元であり、この世は振動で出来ている。
他人と自分、互いが神であることを知り、敬い合えば心に神が増す。
天より授かった魂を大切にし、すべては自分の心がけ次第であると信じる。


そんな教えを平易な言葉で綴った歌が終わると、老紳士の内のお一人が、生前のおやさまの短い話をします。

その後は全員に果物やお菓子、御神酒に塩にお餅と、持ち重りがするほど中身の詰まった袋が手渡され、散会です。


帰路を急ぐ人や広間でくつろぐ人に交ってあちこちで話の輪が出来、私と友人も、先日知り合った男性から、ある人を紹介されました。

その老紳士は先ほどまで祭壇の前で舞い、おやさまの話をなさった方で、驚くことにおやさまのお孫さんでいらっしゃるそうです。

その方から聞いたお話の全てをご紹介したいところですが、あえて何かを上げるとするなら、その時に私たちがいた神殿にまつわるエピソードでしょうか。


そこに立ち入ってまず不思議に思ったのは、一本の中柱も見当たらないことです。
42畳、約68㎡の大広間のどこにも建物を支える柱がなく、視界がすっきりと開けています。

周り廊下の側柱と隅柱のみで、なぜこの規模の建物の形を保ち、大屋根の荷重に耐えられるのか。建築に詳しくもない私でも、普通あり得ない事実だとわかります。


また、昭和11年の創設とはにわかに信じられないほど、建物全体が新しく綺麗に見えます。
使われている木材からして色艶があり、古色がまるでついていません。とても87年も前の建物だとは思えず清新そのものです。

おやさまの御令孫は、その理由をかいつまんで説明してくださいました。

「ここを造ったのはおやさまの決めた大工さんで、読み書きができず図面も描けない人だったそうです。だから、構造上どうなっているのか、誰にもわかりません。
使われている木は岐阜県のある山から運ばれていて、そこは本来、皇族にしか材木を売らない、特別な山なんです。でも、おやさまに言われて大工さんが買い付けに行くと、なぜかすんなり話が通ったそうです。何のつても無いのにですよ。
これも、何がどうなっているのか、さっぱりで。ただ、神様のはからいとしか」


数えきれない逸話や裏話を聞くうちに、気づけば一時間半もの時が過ぎていました。

帰り際には駐車場まで見送りに出て下さり、おやさまの直筆文をコピーした冊子までいただくという、有り難すぎる顛末でした。


それでいてこちらには何を求めるでもなく、良かったらまたいつでもいらっしゃい、というお誘いのみです。

どうにかお礼をしたいと思っても、この神社にお賽銭箱は無く、何がしかのお金を納める制度もありません。
通い続けて10年になるという男性も、こちらでお金の話を聞いたことはない、と教えてくれました。


けれどそれでは、一体どのようにしてこの広い境内を守っておられるのだろう。人々に振る舞われる食事や、お下がりの元手は。

そこがどうしても気になったため、失礼を承知で尋ねてみると、それもやはり、おやさまのはからいだといいます。

“子孫がお金のことで肩身の狭い思いをしないように”と、生前に全て都合をつけておいてくださったのだ、という御令孫のお話でした。


こちらは他の宗教を信仰する人々の参拝も後を絶たず、現に例祭の後には、修験装束しゅげんしょうぞくに身を包んだ山伏による、法螺貝の奉納がありました。

どんな人も否定せず、頼ってくる人たちを心づくしで迎え入れたという、おやさまの大らかさが今も残っているようで、心がほだされていくような感覚でした。


前回と同じく、帰りの車中で、友人と私は自分たちの見聞きしたこと、感じたことについて語り合いました。

とても言葉にはしきれない多くのものを受け取ったようで、通えば通うほどに発見があり虜になる、と微笑んだ一人の女性の言葉が、予言のように効いてくる予感がします。

自分が神だということに早く気づいてくださいよ、頼みますよ」

繰り返しそう言われたおやさまを思いつつ、また間を置かずの参拝となりそうです。






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