見出し画像

嫌いな言葉は何ですか?

「『嫌いな言葉は何ですか?』ですよね?」

家族がつけているテレビから聞こえる声で、すぐにあの人だ、とわかります。
画面に目を向けてみると、やはりそれはあるバンドのボーカリストで、どこかのホールの演壇で、彼が観客の質問に答える様子が映っています。

答えが気になり、私もテレビ画面を見つめていると、緊張した面持ちで答えを待つ質問者に、彼は軽やかにこう返答しました。

「『難しい問題だよね』です。この言葉を言ったら、そこで全部終わってしまうでしょう?」

自分からは出ない発想に感心しつつ、いかにもその人らしく、面白い着眼点だとも感じます。
それに、言われてみれば、さもわかったような口ぶりでの思考停止、その先の行動の放棄、そういった態度がいただけないという考えは、私にも得心がいきます。


では、もし自分が同じことを問われたらと考えると、即座に出る回答は『暇つぶし』『時間つぶし』です。

日常的に耳にするフレーズながら、私は昔からこの言いかたが、どうにも嫌いで仕方がありません。

「まあ暇つぶしにでも」
「どこかで時間つぶしてて」

こんな風に言われると、抵抗感と憤りでいっぱいになり、絶対に言われた通りするもんか、とまで思ってしまいます。


そんな、ただの言い回しごときを真剣に取って、と笑われるかもしれませんが、これをたとえばお金に置き換えたらどうでしょう。

「大した額でもないんだし、考えないで散財しなよ」
「たかがはした金でしょ?無駄にしたって別に良くない?」

もしこんなことを言われたら、怒るか呆れるかで、以後、相手との付き合いは考える、というかたも多いのでは?


それが、こと時間に関しては、なぜか粗末に扱うような言いかたが通用し、しかもそれを平気で他人に口にすることまで許されるのが、私には耐えられません。
時間もお金と同じく貴重なのに、と思ってしまいます。

コスパならぬタイパで、とにかく時間の使いかたが重視されたり、いかに時間の節約に努めるかが競われるのに、一方でこれらの言い回しが平然と使われる理不尽さときたら。

他のかたは気にならないのかともやもやしますし、特に誰かから「暇つぶしにもなるしさ」などと言われると、未熟な私は相当かちんときます。

私が暇を持て余しているという決めつけも失礼ですし、たとえそうだったとして、その余暇の使い道を指示されることも不愉快です。
あなたのお金をどこそこ、あるいは何々に使うべきだ、などとは決して言わないのに、それが時間となると、何の気なしに言えてしまう不思議さ。

この扱いの軽さが気に障って仕方なく、私は決して「暇つぶし」「時間つぶし」という言葉を使いませんし、もちろん人にも言いません。
限りのある人生の時間を軽くみるような物言いは、命の軽視そのもので不謹慎だとも思ってしまいます。


うわあ、ややこしい人。やっぱり考えすぎじゃない?そう言われれば、それはそれで仕方のないことです。
それでも好き嫌いというのは多分に感覚的なものであり、私のその考えもまた、どうしようもないことに違いありません。

そして、考えたのは、もしかするとこの「嫌いな言葉は?」は、その人の内奥に迫れる、面白い質問かもしれないということです。

人の“嫌い”は、時に“好き”よりも饒舌にその人を語ったり、本音の部分まで露見させます。
だとしたら、自分ならどう答えるかを考えてみたり、身近な誰かと尋ね合い、お互いに“嫌い語り”をしてみるのも面白そうです。

そこから、自分、あるいは誰かに対する、新たな発見、より深い理解につながるかもしれませんし。

では、私から質問を。
あなたの嫌いな言葉は何ですか?

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?