軽んじられて雑に扱われる時
一見すると人当たりが良くて好かれやすい、誰に対してもフラットにいつもオープンマインドという長所が、もし悪い方に作用するとすれば、この人になら何を言っても許されるかのごとく軽んじて扱われること。
小中学校某Aちゃん、高校某Bちゃん、大学では某CちゃんDちゃん。
それまでまともに人と喧嘩をしたこともなかった私が、初めて反旗を翻した(笑)のが某Cちゃんとの件だけど、その時初めて、
「あ、毅然としていいんだ。感情的にならずに理路整然と気持ちを伝えるのであれば!」
と学んだ。
(そしてその学びを就活のESでも早速使う。笑)
この一件が今の私を形成する大きなターニングポイントだったと思う。
それまでは、何よりもその場の空気が大事。
言いたいことがあっても黙っているタイプ。
小学生の頃は、学級会で自分の意見を言おうものなら、反対意見が出るかもしれないことに、常にびくびく。
多数決では常に多数派にいたいから、様子を見ながらそろりそろりと手を挙げる。
そんな私のES自己PR。
「協調性を重んじるがために黙って耐え忍んでいるだけが美徳とは限らない」ということです。場の空気が乱れるのを避け、言いたい放題の友人に対しても正しいことが言えなかったのですが、感情論に走らず、理路整然と自分の思いを告げることも重要であると思い、その友人に正直な考えを告げた経験から、そのように考えるに至りました。
21歳の私へ。
今でも基本的には「その通り!」と太鼓判を押したい気分。笑
だし、このスタンスを取るようになってからはむしろ、自分を押し殺してまで読むその場の空気なんて、大した重要じゃないと思っている。
誰に対しても言動のきつかった某Dちゃんは、私にだけ、ということはなかったけど、ある時全部に反応せずそっけなく対応していたら、私に話しかけることは少なくなり、自分のきつい言動を受け止め、いじってくれる人のところへ頻繁にいくようになった。
やっぱりそういうものなんだ。
受け止めてくれる、何を言っても反発しない、と思われてるから。
だから、
受け手が寛大なのをいいことに平気でわがままを言ってきたり。
ズケズケと嫌なことを言ってきたり。
都合の良いように利用されることがあったり。
そう思われたくなかったら、扱われたくなかったら、
やっぱり自分の姿勢やスタンスを少し変えてみる。
「そんな失礼な発言受け取りませんよ」
「意に介しません」
「私はそんなふうに扱われて平気な存在じゃない」
と、文字通り言うのではなく、毅然とした態度で示す。
そもそもが、どんな人だって、軽んじられていいわけはないし、ぞんざいに扱われていいはずがない。
態度で示す以外にも、
・どんなところに傷ついたか、悲しかったか、
・その事実を伝える
・その上で、こんな言動、こんな扱い方はやめてほしい
と感情論ではない方法で伝えることも、自分ができる工夫のひとつ。
それをせずに、ぞんざいな扱われ方をされるのが嫌だと思いつつも、結局は言いなりになっていたり、自分に対する傍若無人な振る舞いを放置しているということは、自分がそれを受け入れているということ。
戦う必要はないけど、自分が自分らしくいられることを許してくれないような相手と接する時は、こちら側も相手がそのような態度や振る舞いを自分にしてくることを、容易に許可しないこと^^
***
学生時代の某A~Dちゃん、案の定今ではすっかり付き合いはないし、
特に某Cちゃんに関しては本当に諸々傷付いたことが沢山あって、何なら一生会わなくていいくらいだけど(爆)、
彼女との関わりがこうした学びを授けてくれたと思うと、今となっては「ありがとう」だし、本当に感謝しかない。
嫌いだけど。笑
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