音楽理論について

(タイトル変更した)

自分自身、音楽理論なんて全然知らないんだけど、自分がやってる事、多分かなり理論に忠実な気がする。

多分だけど、音楽理論は思ってるよりもずっと音楽を可視化しようとしているだけで、そこに文化的、人格的な空気は無いような気がする。
理論なんだから、そういうのはあっちゃいけないとも思うし。
バロック期的な音の推移とか、現代ポップスのメロディの構成癖みたいなの、多分説明されて無いでしょ。
そういうのはTipsとか歴史の領域というか。

「どう頑張っても人間はそう切り取ってしまう」という領域を話していて、その領域を逸脱したアプローチをしたとしても、結局その中に収まって聴こえてしまうようなものが理論な気がしている。
12音以上用いてもなんとなく12音に収まって聞こえるよ。これは間違いない。
それに、どれだけドミナントとトニックを外そうとしても、その先には別のトニックとドミナントが見えてしまうし。

俺が持ってる理論がこの程度なんだけど、それでも「正しいなぁ」と思う。

だけどさっきから全然知らないムーヴしてるのは何故?って話なんだけど、自分はそう言ったものに影響され過ぎてしまう傾向があるから知りたく無いという事。

要するに、理論を使わないと音楽は作れないなんて事は無いよ。

どう頑張っても理論的になっちゃうんだから気にする必要が無い。

それに音楽理論によって自由を失うなんて事も無い。

自由を失う瞬間があるのだとしたら、それを勉強している最中に用いた歴史や
Tipsに気を取られてしまうからだと自分は言いたい。

初めから最後まで音楽は自由だよ。

自由を奪っているのは「認識」という話でした。

「音楽」と「騒音」の区別は付くでしょ。
それに従うんだよ。
多分その境界線が人の持つオリジナリティだと思う。
逆に「音楽」の幅を広げて、「騒音」の幅を狭める努力も面白いかもしれないし。

自由っすよ、マジで。

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