シンセサイザーという絵の具

絵の具というよりブラシ?
それともキャンパス?
じゃあサンプラーは写真の切れ端?

例え話は、解像度を高くするほど粗が目立つようになり、はなから破綻しているロジックが見えるようになるだけなので、そこらへんふんわりと考えていただきたい。


現代のシンセサイザーは誇張無しに、全ての音が出せる。
とはいえ、すでに録音の技術も高いのだから、現実にある音は現実から拾い上げた方が早いという話もある。

この話の究極の着地点は、つまるところ、すでにあるもので良いのか、それじゃ物足りないのかという話だ。

たった一枚の死んだペットの写真も良いが、そのエモーションを表現するにはクリエイティビティが必要なんだよね。
それを表現してシェアする必要なんか無いんだけどね、それでもこれをどうにかして外に排出しないと気が狂ってしまうような、そんな時に「表現する」という選択があり、だから現実にない音を作らなくてはならない。
だから絵を描かないといけない、写真を切り刻まないといけないとか、言葉を使わないといけないみたいな。

みんなそうだとは思わないけど、自分はそうだと思ってる。
そんな話どうかしら。
腑に落ちた?腑に落ちない?


自分は、シンセサイザーとかサンプラーを絵の具とか、ブラシみたいに使いたい。
写真を模写するような事も、写真すら用いるような事をしたりもして、抽象的に表現したい。

そんな感じの話でした。


こんな文章書く意味あるか?って最近思う。
別に意味なんてないのなら、好きにやると良いって、音楽を通して知ったのを思い出したよ。

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