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「日本金メッキ時代」の到来

みなさんの周りに、やたらと海外のことが好きな人はいますか?
ハリウッド映画を見るのが好きな人とか、海外スポーツの観戦が好きな人とか、たくさんいますよね。
もちろん、このように海外に興味を持つのは視野も広がりますし、非常に良いと思います。しかし、海外はすごくて日本はだめだという思考をしている人が一部いるようです。

今回伝えたいのは、
このように、日本を卑下して海外を持ち上げる考えは、日本人の精神を枯渇させるということです。
人類の歴史にもこの現象は起こっていて、それにも触れながら説明します。

「お上品な伝統」の激化

みなさんは、「お上品な伝統」(Genteel Tradition)という言葉をご存じですか。
アメリカ南北戦争後の19世紀末頃に出てきた風潮で、経済的に裕福なアメリカ人がヨーロッパに憧れ、教養や文化を好んだという風潮です。
南北戦争で、農業で経済を回していた南部が敗北し、世界一の工業国となりました。その過程で、大量の資本を持ったアメリカ人がヨーロッパに行き来できるようになったというのが、「お上品な伝統」の背景です。

このような、拝金主義で西欧への憧れを持つアメリカの状況を嘲笑した作家マーク・トゥエインは「金メッキ時代」と記しました。
表面的にしか物事を見ず、内面がない、という意味ですね。

バブル崩壊後の「日本金メッキ時代」

バブル崩壊後、「金メッキ」のような薄い精神性が日本人の中に巣食っているようです。
比較的裕福な位置づけである大学に行ける人はヨーロッパやアメリカに留学して、教養を身に着けます。19世紀末のアメリカと同じですね。
また、SNSを見ても「海外はすごい!でも日本は…」のようなコメントはたくさん見受けられます。
さらに、21世紀になってからの人材流出は甚だしいですよね。どの分野でも最先端は海外にあります。アカデミック・スポーツ分野、ファッション・ビジネス分野はすべて海外です。
日本で頑張って日本を世界の頂点にする、と考える人は少ないですよね。

これが日本の空洞化を招く一因と言えるでしょう。

このように、海外に憧れて日本を卑下することは、日本人のアイデンティティを失くし、「自分とは何者か」も言語化できないほどに堕落した精神を持つことを意味しているでしょう。

<追記>日本人の精神はどこに

グローバル化によって、日本人の思考方法も変わっていってますよね。
「論理的思考の育成」は学習指導要領でも書かれている。これはアメリカのプラグマティズムという思想から始まった思考法です。
日本の精神はどこに行ってしまったのでしょうか。

思うに、世界が欧米中心になるなか、日本人は日本人しか持っていない武器で勝負するのも良いと思います。
例えば、ジブリが世界に認められるくらいもののあわれという感性は日本特有の美的感性です
以下、もののあわれについて思うことを書いた記事です。


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