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人生最大の危機に陥った話9

実家に戻り母と暮らし始めた

この頃は認知機能が低下しているとはいえ
会話も普通に出来て相変わらず
“私がルールブック”的ないつもの母だった
台所に立てばまだ包丁を使うことも出来た

ある日、母が洗い物をした後をふと見ると
泡がついたままの食器がかごに入っていた
こういうところから少しずつ出来ない事が
増えていくのだな…と切なくなった

またある日の朝、ふと見るとコンロの
グリルに覚えのない焼き魚が入っていた
どうやら母が夜中に焼いたようだ
しかし起きてきた母に聞くと
「焼いた覚えはない」と言う

これはヤバい
もし火がつけっぱなしになっていたら…
もし調理中に服に火が燃え移っていたら…
とゾッとした
それを切欠にガスコンロをIHヒーターに変えた

そして暫く経った日の夕方
その頃台所仕事は殆ど私がやっていたが
やれそうな事はリハビリを兼ねて
母にも手伝ってもらった方が良いと思い
漬物を切って欲しいと頼んだ

母は分かったと返事をして包丁を持ったが
そこで動きが止まった
私「どうした?」
母「…」
私「切り方わからない?」
母はコクンと頷いた

あぁまた一つ出来ない事が増えた
そう思った

不思議だが出来ないことが増える毎に
母は段々と穏やかな性格へと変わっていった
認知症が進むと怒りっぽくなる人が多いと
聞いていたが母は逆だった

今までがメチャ怒りっぽい人だったから
それ以上怒りのボルテージを上げることが
出来なかったのか?(そんな事ある?)

とにかく昔話に出てくるおばあちゃんの様に
毎日ニコニコとまるで菩薩のようだった
同じ頃猫を保護して飼い始めた
母は元気な頃は動物を毛嫌いしていたが
猫をとても可愛がってくれた
これも認知症になってからの変化だった

またその頃看護師をしている知人が私が鬱で介護を
している事をどこかで耳にしたらしく
地域包括支援センターに知り合いがいるからと
面接の予約を入れてくれた

介護の事など何も分からず
壊れていく母を目の前に不安一杯だった私に
手を差し伸べてくれたのだ
本当に私は人に恵まれていると感謝しかなかった

そこからケアマネージャーさんを介して
介護認定、デイケアの利用、介護用品の
レンタルに介護保険を使った家の改修
(玄関の上がりかまちや階段の手すり等)と
トントン拍子に進みQOLが向上した
と、同時に母の症状も転がるように悪化していった

足が上がらず摺り足気味の歩き方になり
風の強い日は風に押されて転ぶ
歩く勢いがついて止まれなくなり転ぶ
家の中のちょっとした段差に躓いて転ぶ…
しかも毎回手が出ず顔から転んでいくのだ

心筋梗塞の既往がありワーファリン
(抗血液凝固薬)を服用していたので出血しやすく
体中に見るに耐えない酷い内出血が起きた

また骨粗鬆症でもあったので骨折もした
病院でテーピングしてもらっても
帰りの車の中で外してしまう

外せないようにギプスで固定しても
それをなんとか外そうとして
ハサミでガシガシギプスを切ろうとする💧

子どものような母に苦笑した

▶人生最大の危機に陥った話 -最終章- に続く


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